旅の日記

チリ・ビーニャデルマル編その8(2001年5月7〜12日)

2001年5月7日(月) バイクを発送する(Flying the bike)

 1週間前に打ち合わせたとおり、今日はスイスカーゴにバイクを持ちこむ日である。サンチャゴに滞在しているハーレーの武田さんと朝10時に国際空港のスイスカーゴ前で待ち合わせをしているので、久しぶりに早起きして出かける。

 途中、小雨に降られながら10時前に着くと、武田さんはすでに到着していた。早速スイスカーゴに積みこみ準備の作業をお願いする。やはり先週話をしたマティアスは責任者のようで、今日はカルロス以下の実務者が作業をしてくれた。
 まずは税関のゲートで書類のチェックをし、パレット(木枠)を作る業者にバイクを持ちこんでサイズを計る。その業者に木枠代を払わなければならなくなったが、「先週マティアスと話をしたときには心配しなくていいと言われた」というと、その分、スイスカーゴの手数料を割り引きにしてくれた。
 その後はブエノスアイレスまでバイクを運ぶラン・チリの倉庫にバイクを入れ、ガソリンを抜いてバッテリーの端子を外す。ラン・チリの担当者がけっこう細かくて、キャブレターの中のガソリンまで抜くよう指示され、外したバッテリーの端子にはビニールテープを巻かれた。
 そして大きな量りで実重量を量る。左右のハードケースもヘルメットやテントなどを入れて一緒に送るつもりなので、つけたままだ。すると電光掲示板に表れた数字は252キロ・・・思ったよりも重い。これで後ろに80リットルのザックを載せ、燃料を満タンにしたら300キロ近くになるだろう。普段、俺はこんな重心の高いバイクで、こんな重さで走っているのか。しかも中米までは後ろに久美子を乗せて・・・。俺ってけっこうすごいじゃん!

 ハーレーはさすがに重く、また武田さんは荷物のほとんどを一緒に送るので、合計で270キロあった。2台の合計は522キロ。でも1台あたり300キロまでOKだから、問題はない。
 量り終わると、あとは料金の支払いと書類の作成のみだという。「あれ?パレットへの積みこみは?」と聞くと、「あとはこっちでやっておくから心配するな」という。・・・むむむ心配じゃ。ちゃんと荷物も忘れずに一緒に積んでくれるだろうか?再三、「俺のハードケースを忘れるな」と念を押しておく。大丈夫だと思うけど。
 これで、わがバイクと再会するのはスペインのマドリッドということになる。スイスからスペインまでは陸路輸送なので、合計で6日ほどかかるそうだ。・・・わが愛車よ、良い旅を。

 バイクに別れを告げた後は、オフィスに戻ってお会計。まず1台あたりの運賃が固定料金で670ドル、2台で1340ドル。これに危険物手当てが50ドル、燃料代が522キロ×10セントで52.2ドル、そして手数料が10ドル、総合計1452.2ドル。うおお、安い!しかも危険物手当てと手数料は2台で1台分にしてくれた。ちなみに、これ以外に木枠業者に2台分の木枠代25ドルを払った。
 スイスカーゴに払う1452.2ドルは武田さんとワリカンにし、半分ずつを支払う。私はチリ・ペソのキャッシュで払った。そしてスペインでの受け取り用に書類を作成してもらって、無事発送手続きは終了。所要時間はしめて2時間。スムーズに事が運んだと思う。

 空港からサンチャゴ市内へはバスで向かった。武田さんと昼食を食べて別れる。次の再会は13日、サンパウロからマドリッドへの飛行機でだ。
 その後、私は地下鉄でOCSのオフィスへ行き、待望のNV5000用の純正ドライブと、以前愛用していたソニーVAIOを受け取る。これでネット界(?)に復帰できるぞ。

 バスでビーニャデルマルに戻り、早速純正ドライブを使用してNV5000の修復に取りかかる。しかし起動フロッピーを使用しようがリカバリCDを使用しようが、やはり立ちあがってくれない。これは本格的な故障のようだ・・・。一難去ってまた一難、これは日本に送りなおして修理をお願いする以外ないだろう。それまで古女房のVAIO君に、また活躍してもらわなければ。


本日の走行距離        115.1キロ(計39770キロ)

出費                439291P   バイク輸送代
   7500P  木枠代
   1000P  空港〜市内のバス
   2600P  サンチャゴ〜ビーニャのバス
   850P  夕食(肉じゃが)
計       451241P(約90250
宿泊         汐見荘


2001年5月8〜11日(火〜金) 1ヶ月分の日記を打つ(Writing a month's diary)

 さて、パソコンが無事に届いたあとは休止していたホームページを再開しなければ。最後に日記を打ったのが4月8日分だから、実に1ヵ月分もたまっていることになる。この4日間のほとんどは日記打ちと返事の遅れたメール書きに費やした。

 10日、とりあえずホームページの更新ができた。インターネットカフェからアップロードするが、最近使っていたカフェは日本語マシンがあるものの自分のPC接続はNGなので、以前のCafe Alavistaを利用する。このカフェは高めなのだが、なぜだかいつも混んでいる。
 11日は絵葉書を書いて郵便局に行った。一枚はウシュアイアの上野さんあてである。私が出てから2度も倒られたそうなので、ちょっと心配。日本から気功師が来て治療にあたっていると聞くが。この日の夕食はトンカツだった。超ウマ。しかし中西夫妻による夕食シリーズも、残すところあとわずかだ。

 最近、新しい宿泊客も来だして汐見荘はまた混んできた。しかし私も含め、そのうちの6名は日曜日に出る予定。誰かが出ると「俺もそろそろ出ようかな」と、連鎖反応になることが日本人宿の常なのだ。6名と言うと今の人数の3分の2。日曜日以後、汐見荘はまた淋しくなるのだ。


4日間の走行距離            0キロ(計39770キロ)

出費                  1700P   インターネット
   1890P  コレクティーボ
   5440P  飲食費(中西ディナー)
   10252P  酒、食材などの買物
   3000P  民芸かばん
   470P  切手
計       22752P(約4550
宿泊         汐見荘
インターネット Cafe Alavista


2001年5月12日(土) 最後の晩餐はうどんだった(Making Japanese noodle)

 26泊にわたる汐見荘滞在も今日が最終日。私も含めて明日出発する人が多いので、最後の晩餐は豪勢に行こうと決まった。そのメニューとはうどんとレイネタの刺身。うどんは売っているわけではないので小麦粉からつくるのだ。

 うどん作りは昨夜から始まっていた。水と小麦粉を丹念に練り、ビニール袋に入れて交代で足踏みしてコシを出す。手打ちならぬ、足打ちうどんだ。できた生地は一晩寝かせ、均等に伸ばして細く切ってサッと茹でる。それに醤油をかけ、ねぎを降っただけで食するのだ。汁など余計はものはつくらない。香川出身の安部さんいわく、これが本当の通の食べ方で、うどんそのものが美味くなければできないそうだ。なるほど、コシのあるうどんはかめばかむほど甘さが出ておいしい。
 ネイネタの刺身もいつも通り美味だった。ビーニャ名物のこの刺身も食べるのは今夜が最後だ。しみじみと味わい、これもまた最後となる紙パック入りのチリ産安ワインを飲む。1リットル150円ほどなのだがけっこういけるので、チリ滞在中はたいへんお世話になった。
 明日の出発は早いが、名残り惜しむように午前2時過ぎまで酒盛りは続いた。街自体も美しいビーニャ・デル・マルだが、最大の思い出はなんといっても汐見荘、TV部屋での酒盛りなのだ。


本日の走行距離             0キロ(計39770キロ)

出費                   500P   インターネット
   540P  コレクティーボ
   2500P  ワインなど買物
   850P  夕食(うどん、刺身)
   137$  汐見荘26泊分
計       4390P(約880
        137$(約16440
宿泊         汐見荘
インターネット Cafe Alavista