旅の日記

チリ・プエルト・モン編(2001年1月23〜26日)

2001年1月23日(火) サンチャゴでタイヤ交換(Changing tires in Santiago)

 昨夜遅くに洗濯したのが災いし、朝起きてもまだ乾いていなかった。仕方なく、汐見荘を出るのは昼すぎになってしまった。まあ、今日は150キロ離れたサンチャゴまでだからいいか。
 サンチャゴに向かう前に、隣町バルパライソに寄ってお世話になった「ロペス・モト」に顔を出す。オヤジやマルコに別れを告げ、また帰ってくることを約束する。

 サンチャゴに向かうハイウェイはさすがに車が多く、到着までに2時間はかかった。サンチャゴは盆地で、天気も良いことから大変暑い。汐見荘で教えてもらった新しい日本人宿を探すが(料理屋ハポンの2階)、苦労してたどり着いてもそこにいた人が要領を得ず、バイクも停められそうに無いからあきらめて他の宿を探す。
 「South American Handbbook」にバイク駐車可と紹介されていたホテルに行くが、とても私のDRは入らない。しかし近くに24時間営業の駐車場があったのでチェックインすることにする。やはり大都会での宿探しは疲れる。

 チェックインして間もなく、タイヤを求めて街に出る。汐見荘のバイク情報ノートに書いてあったバイク用品屋を回るが、移転していたりつぶれていたりしてなかなか見つからない。最後の望みをかけて遠く離れた「Solo Motos(Vitacura2760)」へ行くと、二つ返事で「ある」とのこと。しかもメッツラーの「サハラ」、前後交換で約200ドル、悪くない。さっそくお願いする。
 フロントタイヤはアメリカのラスベガスで交換し、25000キロ以上走って限界に達していたのだが、リアはコスタリカで交換してまだ8000キロ強しか使っておらず、まだ3分ほど山が残っていた。本当はリアはここで交換せず、持っていってもっと南で交換しようと思ったが、あらためてリアタイヤを持ってみると・・・重い。さんざん迷ったが、結局リアもここで換えることにした。無理して今のタイヤを持たせても、せいぜいあと1500キロだろうし・・・。

 作業は夜7時ごろに終わった。タイヤを交換してさらに車高が高くなってしまい、荷物を積んでいないと本当につま先しか届かない。ブロックパターンのタイヤを履き、サスの調整で車高が上がったDRはとてもスパルタンな雰囲気に見える。まるで今までの羊がいきなり狼になったみたい。
 バイク屋の兄ちゃんは自分も青いDR800に乗っているといい、写真を見せてくれた。そういえばビーニャ・デル・マルでも同じDRを2台見た。このモデルはヨーロッパでしか売っていないはずなのだが、なんだかチリにはよくある。

 まだ明るかったので、市内が一望できるという「サン・クリストバルの丘」にバイクで登る。夕陽に照らされたサンチャゴを見渡すと、思いのほかデカい。メチャクチャ大都会じゃん。ガイドブックを見ると人口は500万人、大きいはずだわ。
 大きいだけでなく、街並みもヨーロッパ調で美しく、うわさにたがわず良い街だ。バスの運転の荒いのには閉口したが・・・。 


本日の走行距離      211.4キロ(計32229キロ)

出費                  8000P   ガソリン
   600P  有料道路
   350P  ジュース
   110000P  前後タイヤ
   1000P  サン・クリストバルの丘入場料
   2500P  夕食(チキン)
計       122450P(約24050
宿泊         Hotel Patricia


2001年1月24日(水) 700キロ走る(A long ride)

 タイヤ交換も済ませたし、あとはガンガン南下するだけだ。サンチャゴをもう少し見たいが、戻ってくる予定なので観光はそのときでいい。今は寒くなる前にパタゴニアを目指す事が優先だ。

 というわけで、サンチャゴから南へ伸びるハイウェイをひた走る。雲一つ無い天気で暖かく、風もなくて最高のバイク日和。道も片側2車線で走りやすい。さすがにシーズンということもあって、同じ方面に向かうバイク旅行者をよく見た。
 どこまで走るか、あるいは勢いあまってサンチャゴから900キロの目的地プエルト・モンまで走ってしまうか、と迷ったが、600キロを過ぎたあたりで疲れてきた。地図を見ると適当なところに「Temuco」という街があったので、今夜はそこに泊まることにする。

 街に入ると、ハイウェイ沿いに人が並んで立っていて「宿」「ホテル」などという看板を掲げている。なるほど、今は夏季のシーズンだから、一般の人が自宅を一部解放しているわけだな。本当の「民宿」だ。
 適当なオバちゃんに声をかけ、教えてもらった住所の家に行く。庭にある離れが客室で、バイクも安全に停めることができた。

 午後7時。まだまだ日は高く、行こうと思えばあと100キロは行けたかも。でも、700キロも走れば十分だ。700というと、かつてオーストラリアで185ccの小さなバイクで同じ距離を走ったことがある。あの頃は若かったな・・・。
 街の中心にインターネットカフェがあるというので行く。LAN接続もOKで、回線速度も速かった。しかし、ここでも衝撃のメールを受信してしまう。メキシコ・シティで初めて会い、エクアドルで再会、チリのアリカでもニアミスしたホンダ・ゴリラで世界一周中のマサからなのだが、今日、私が通りすぎた小さい村に滞在中だという・・・。おーい、もっと早く言わんかい!通りすぎてしまったじゃん。
 彼の走るペースはゆっくりなので、プエルト・モンに私が滞在している間にも到着はしないだろう。南米最南端、ウシュアイアからの帰りにどこかで会うことになるだろう・・・。


本日の走行距離      703.9キロ(計32932.9キロ)

出費                  6000P   サンチャゴの宿代
   16600P  ガソリン
   1800P  有料道路
   500P  コーラ
   100P  タイヤの空気代
   100P  トイレ
   1200P  インターネット
   1790P  夕食(ラザニア)
   808P  パンなど買物
計       28898P(約5680
宿泊         とある民家
インターネット Enlaces


2001年1月25日(木) ライダーにとって幸せな1日(A fine day for a rider)

 朝はテムコの町のインターネットカフェにいってメールの送受信を行ってから出発した。
 今日も天気が良く、最高のバイク日和。昨日はテムコの手前100キロくらいから片側一車線になっていたが、出発してしばらくたつと片側2車線の白線が眩しい新しい道路になった。まわりの景色もいつのまにか乾燥した雰囲気は消え、針葉樹の緑が眩しい森となった。こんな景色はアメリカ北部以来、同じくらいの緯度に来たということか。

 目的地プエルト・モンまでは約300キロの道のりだが、天気が良いので途中で観光することに決める。やがてハイウェイの向こうに「チリ富士」という異名を持つオソルノ山が見えてきた。本当に富士山そっくり、この山を中心としていくつかの湖があり、美しい景色が拝めるはずだ。

 まずはハイウェイを外れてジャンキエ湖畔のプエルト・オクタイという小さな町に立ち寄って見る。チリ南部にはドイツ系の入植者が多いらしいが、この町もヨーロッパそのもの。美しい湖に面して古いヨーロッパ調の木の家が建ち並んでおり、ちょっとみただけではスイスのよう。この町の入り江からオソルノ山が一望できるというのだが、残念ながらまだ小さくしか見えなかった。

 次にペトロウエ滝を目指す。40キロほどのダートだが、よく整備されている方で荷物満載でも問題ない。この間タイヤも交換したばかりなので、ダートも楽しい。砂煙を上げながら進み、トドス・ロス・サントス湖から流れ出る川にあるペトロウエ滝に到着する。
 このあたりは国立公園になっているらしく、入場料を払って滝の展望台に行くと、オー!予想を上回る絶景かな。眼下には清流が滝となって落ち、その向こうには雄大な「チリ富士」の姿が。ちょっと雲がかかっているのが残念だが、青空に映えた白い山頂が美しい。
 真新しい舗装路のワインディングを飛ばし、ダートも楽しみ、こんないい天気の中で美しい景色を見られるとは、俺はライダーとして何て幸せ者なんだろうと思った。

 一通り景色を楽しんだ後、プエルト・モンを目指す。1時間くらいの距離だった。
 プエルト・モンはサンチャゴから約900キロ南。海に面した静かな港町で、チリ側のパタゴニアの玄関口となる街だ。といってもここからパタゴニア方面に伸びる道路はなく、船に乗るか、私のようにアルゼンチンに渡って南下するしかない。
 街に入ると、例によって「民宿」という看板を掲げているお兄さんが交差点に立っていたので話を聞いてみる。するとバイクも停められるというし、値段もまあまあだったので、そこに泊まることにする。また民家の一部を解放した民宿だった。

 荷物を部屋に起き、食事をしに市場方面に向かう。適当な食堂で貝のスープを頼んだら美味かった。明日も市場に来よう。
 帰り際、バイクに乗ろうとしていると一台のオフロードバイクがやってきた。ヤマハのTT250R、私が昔乗っていたバイクである。そしてヘルメットを脱ぐと日本人、もう2年もオーストラリア、東南アジア、アフリカと旅して先日南米に渡ってきた鈴木さんという青年だった。あまり時間がなかったのでゆっくり話ができなかったが、お互いの宿泊してるところを把握し、明日、会うことにした。どんな話が聞けるか、楽しみだ。


本日の走行距離      468.4キロ(計33401.3キロ)

出費                   600P   インターネット
   250P  コレクティーボ
   6000P  テムコの宿代
   7800P  ガソリン
   400P  有料道路
   2300P  夕食(貝のスープ)
   1649P  パン、水など買物
計       18999P(約3730
宿泊         Hospedaje Familia
インターネット Enlaces


2001年1月26日(金) 魚介を食べまくる(Eating seafoods)

 午前中はホームページの更新をしに、自分のパソコンを接続させてくれるカフェを探す。1軒LAN接続をさせてくれるところを見つけたが、プロクシサーバーの設定があってメールの送受信とFTPが不可。結局、ウメさんのHPに載っていた「Centro de Llamados」という電話屋に行ってみると、情報どおりIDとパスワードを借りてダイヤルアップすることができた。これで無事、更新を済ませる。

 昼食は市場に行って名物の「クラント」という料理を食べた。これは貝、鶏肉、ソーセージ、牛肉、じゃがいもなどを煮こんだボリューム満点の料理。食べながら、これはベンツみたいだと思った。

 なんで高級車が関係あるのかとお思いかもしれないが、ベンツのマークをご存知なら思い浮かべてほしい。円の中心から真上に一本、左右斜め下にそれぞれ1本ずつ、計3本の棒(矢?)が伸びている。これは陸・海・空の全てを制する、という意味のマークなのだ。ベンツは車だけでなく、飛行機や船のエンジンのメーカーでもある。 そしてこの料理、まさに陸・海・空、全てを制しているではないか!
 ・・・などとくだらない事を考えていたら、付け合せの熱いスープで舌をやけどした。

 その後は宿でオイル交換。宿のクラウディオというお兄さんがオイルを捨ててくれたりセンタースタンドを上げるのを手伝ってくれたが、作業終了後、ニコニコしながら「どっか行こうよ」というので、推定体重90キロの彼を後ろに乗せてビーチまで行く事になった。いつもの荷物満載状態よりはるかに不安定でちょっと恐かったが、無事お礼のライディングをしてあげられた。

 そして夕方ごろ、昨日出会った鈴木さんがいるというキャンプ場を訪ねた。一緒だったドイツ人のライダーは出発したあとだったが、鈴木さん本人はまだ残っていた。しばらくキャンプ場で話をしていたが、腹が減って来たのでまた市場へ行って夕食を一緒に食べることになった。
 昼間もそうだったが、ここの市場は観光用としての色合いが濃く、食堂の客引きが激しい。日本人らしき人が食堂街を通れば日本語で「ウニ!」とか「カニ!」とか叫ばれるだけでなく、強引なおばちゃんに服を引っ張られて店に引きずりこまれそうになる。鈴木さんと二人でなみいる強引なおばちゃんたちを押しのけ、醤油とワサビがあるという1軒の食堂に入った。
 そしてオーダーしたのは生ウニとサーモンのバター焼き。ウニは日本のほど甘くないが、量がすごい。何しろ、お椀一杯全部ウニなのだ。そしてサーモンもボリュームたっぷり、二人で満足ゆくディナーを楽しんだ。

 食後はワインを買って鈴木さんのキャンプ場に戻り、飲みながら色々な話をした。彼は23歳と若いが、前向きでしっかりとした意見を持っており、とても気持ちのいい人だった。残念ながら彼はこれから北上し、ビーニャ・デル・マルを目指す。一緒に行動はできないが、ここですれ違っただけでも貴重な出会いだ。


本日の走行距離         38キロ(計33439.3キロ)

出費                  1250P   インターネット
   3500P  昼食(クラント)
   4000P  夕食(ウニ、サーモン)
   1600P  ワイン、ジュース
計       10350P(約2030
宿泊         Hospedaje Familia
インターネット Centro de Llamados