旅の日記

チリ・ビーニャデルマル編その2(2001年1月16〜19日)

2001年1月16日(火) 汐見荘に戻る(Back in Vina del Mar)

 朝一番で昨日のインターネットカフェへいってホームページを更新し、ラ・セレナの街を後にする。目的地ビーニャデルマルまでは400キロ強の道のりだ。
 途中、海岸沿いは低い雲に覆われ、風もあって意外と寒かった。それでも今、チリは夏休みまっただなか。寄ったガソリンスタンドは人と車で一杯で、バイクを停めた瞬間、好奇心を持った10人くらいの人に囲まれて質問攻めにあった。あまり休憩した気にならなかった。

 午後2時ごろ、ビーニャデルマルの汐見荘に到着。3ヶ月前は宿泊者が少なかったが、今回はベッドがあと二つしか空いていなかった。夏季は満室になることもままあるというので、空きがあっただけでもラッキーか。
 そして汐見荘宛に怪鳥同盟 の佐藤さんから送ってもらったDRのセンタースタンドと無事、対面した。これを汐見荘のオーナー山岸さんが受け取ってくれたおかげで、私はゆっくりと南米を見ながら南下することができたのだ。

 わが愛車、スズキDR800Sはその特異なデザインから「怪鳥」というニックネームを持つ。そして「怪鳥同盟」というのは同じDRを所有するオーナーズクラブであり、メンバーは日本全国に数十人。普段はメーリングリストで情報交換を行っているのだが、昨年、私が一時帰国した際に関東近辺のメンバーで集まったことがあった。そこで「センタースタンドが無いので不便だ」と私が漏らしたところ、佐藤さんという方がわざわざドイツから社外品のスタンドを輸入してくれたのだ。
 ちなみにセンタースタンドとはバイクを直立した状態で、完全に後輪を浮かして停めるスタンドのこと。ちょうど新聞配達の自転車についているスタンドと同じと思っていい。対して、DRに元からついているのは「サイドスタンド」で、バイクの片側に一本棒が伸びた感じのものだ。バイクをその側に傾けて停めるのだが、後輪が浮く事はない。センタースタンドで後輪を浮かした方がチェーンへの注油や調整、パンク修理などが容易になるのだ。

 そしてそのスタンドは汐見荘気付の私宛に送ってもらったのだが、そこで実はちょっとした問題が起きた。チリでは小包が届いた場合、受取人本人が身分証明を持って郵便局に取りに行かねばならない。そして届いてから1ヵ月以内に取りに行かないと、送り返されるか破棄されるらしいのだ。昨年11月に小包が届き、受け取り期限は12月中旬、というメールを汐見荘の山岸さんからもらったときは青ざめたが(何しろ、そのころはまだペルー北部だった)、無事、山岸さんが代理で郵便局から受け取ることができたのだ。もし山岸さんが受け取れなかったら、クスコやチチカカ湖を飛ばして南下するか、どこかにバイクを置いてバスで取りに来なければならなかったろう。よかった、よかった。佐藤さん、そして山岸さん、ありがとうございます。

 3ヵ月ぶりの汐見荘では知り合いとの再会が予想されたが、混んでいるかかわらず、知っている顔はカントクさんと呼ばれる人だけだった。あとの十人ほどとは初対面になるわけだが、中でも一番のキャラクターは姫路出身の中村さんという女性だった。
 バリバリの関西弁で毒舌トークをしたかと思えば、人には意外と気を使う。人に嫌われたくなく、八方美人を自負するあたりは私とよく似ている。

 夜、みんなで話をしている時、中村さんは誰に似ているかという話題になった。そしてその時、彼女が言ったのは「私、サングラスをかけると陣内孝則そっくりなんですよね」。そこで後日、サングラスをかけてもらうと・・・本当だ、こりゃ似ている。静止画だとちょっと似ている程度だが、動いて話しをしている彼女は本当に陣内そっくりだった。

 こうして再び、私は汐見荘にどっぶりと浸かっていくのだった。ここである人との再会を果たさなければならないのだが、その人はいつ来るのだろう?  


本日の走行距離      421.2キロ(計31863.5キロ)

出費                   600P   インターネット
   5000P  ラ・セレナの宿代
   390P  コーヒー
   4010P  小包の関税
   12300P  ガソリン
   2000P  有料道路
   1970P  食材など買物
   1500P  ビール
   270P  コレクティーボ
計       28040P(約5510

宿泊         汐見荘
インターネット Grafcom


2001年1月17日(水) センタースタンドを取り付ける(Putting the center stand on)

 汐見荘でゆっくりとするのもいいけれど、その前にやるべきことをやららければ。というわけで、センタースタンドを持って隣町バルパライソのバイク屋を目指す。

 探していた「ロペス・モト」はすぐに見つかった。友達のライダー、Yoggy が以前お世話になったバイク屋で、何かあれば行ったらいいと彼から場所を教えてもらっていたのだ。センタースタンドを取り付けるためにはステップ(足を置くところ)のボルトを外さなければならないが、このボルトには緩み止めの液体が塗られていて大変固い。私の工具でちょっと試してみたのだが無理そうなので、プロにお任せしようと思ったのだ。

 70歳になる店主はYoggyの事をよく覚えており、そしてすぐにセンタースタンドの取り付けにかかってくれた。固いボルトにはインパクトレンチ(ハンマーで叩いて回す工具)が有効だが、この店主、叩きやすいようにいきなりDRを横倒しにした。別に気にしないけど、豪快なやり方だなあ。
  そして20分後、無事センタースタンドが装着された。さあ、トライしてみるが・・・重い。ナナハンのセンタースタンドなら上げたことがあるが、この社外品のスタンドは足をかけるところが無く、力が入れづらい。そして何よりも私が非力なことから、いくら力を入れてもDRはスタンドに乗ってくれない。バイク屋のスタッフにいろいろとコツを教えてもらうが、その通りにしても結局は力があと一歩足りず、うまく上がらない。・・・まあ、今後も練習することにしましょう。

 センタースタンドを取り付けたついでに、前後の足回りも調整することにした。
 まずはリアのサスペンション。買ってからまったく調整もせずに36000キロも走ったので(しかも荷物満載)、サスペンションのバネがヘタってきて車高がだいぶ落ちてきたのだ。短足の私には足が届きやすい分うれしいのだが、それにしても限界がある。リア・サスペンションをまるごと外し、バネを調整して車高を元に戻す。
 そして今度はフロントフォークのオイルを交換する。36000キロ換えていないと言ったら、予想どおり店主に怒られた。10000キロで換えなさいだって。でも、10000キロなんてアッという間なんだもの。しかし店主の言うとおり、フォークから出てきた古いオイルは粘り気が無く、灰色に汚れていて量もだいぶ減っていた。
  ちゃんとしたフォーク専用のオイルはここでは手に入らないので、店主はオートマ車のトルクコントローラーオイル(ATF)オイルを注入した。何度も確認したが、同じ働きをするという。そして果たして組みあがってみると・・・あらら、ブエノなサスの動き。ATFオイルが代用できるなんて知らなかった・・・。
 さらにコスタリカで六角穴をナメてしまい、外せなくなった左クランクケースの点検窓を外してもらった。これでバルブクリアランスの調整がやりやすくなった。
 結局、DRの車高は前後のサスの調整によって4〜5センチは高くなった。再び爪先立ちのバレリーナ状態だが、乗れないほどではない。整備は1日がかりとなり、汐見荘に戻ったのは夜だった。

 夕食はカントクさんが作ってくれた「ネギトロモドキ」丼だった。本物のネギトロではないが、こっちの魚の刺身をマヨネーズなどで和えたもので、たいへん美味しかった。やっぱり港町ビーニャは魚がおいしい。


本日の走行距離         42キロ(計31905.5キロ)

出費                 40000P   1日の工賃
   3000P  ATFオイル
   400P  インターネット
   590P  コーヒー
計       43990P(約8640

宿泊         汐見荘
インターネット Cafe Alavista


2001年1月18日(木) ブレーキパッドをつくる(Making a brake pad)

 昨日、フロントのホイールを外した際にブレーキパッドが限界に達しているのを確認したので、二組持ってきたスペアと交換することにした。
 ・・・しかし、大失敗。なんと、持ってきたスペアが合わないのだ。一応年式を確認して買ったはずなのだが、パッドの形状とキャリパーの形状が合わない。あまりの事に笑ってしまう。使えないパッドを二組も、後生大事に持っていたのか・・・。
 さて、どうしたものだろうか。このまま使うにしても、果たして南米最南端・ウシュアイアまで行って帰ってくるまで持つだろうか?かなり危険な賭けだ。やはりサンチャゴまで行って探すか?それでも無かったら日本から送ってもらうしかないか?
 しかし、実はもう一つ方法があった。そして私はそれを実行してもらうべく、昨日の「ロペス・モト」に向かった。

 もう一つの方法とは、今あるパッドの土台から残った分を削り落とし、新しいパッドを貼り付けてもらうというもの。日本のメカニックが聞いたら顔をしかめそうだが、パーツの少ない南米あたりでは車、バイクとも日常茶飯事に行われている。
 というわけで作業を依頼すると、2時間あまりでブ厚い新しいパッドが貼り付けられた。ブレーキのタッチはイマイチになったが、効かないわけでは無い。純正のパッドに比べたら信頼性が劣るかもしれないが、この際仕方がないのだ。

 「モト・ロペス」のあるバルパライソの街から「汐見荘」のあるビーニャデルマルまではバイクで15分ほどの距離だが、帰る途中、バックミラーに結構な勢いで飛ばしてくるXR250が見えた。負けじとこっちも飛ばし、太平洋沿いのバトルが繰り広げられたが、しばらくして夕陽に照らし出された私のシルエットが路上に確認できた。すると、何かシッポみたいなものがバイク後部から伸びている。
 もしや、と思ってバイクを停めると、やっぱり・・・。さっきスーパーで買った水、ミルクや他の食材を撒き散らしながら走っていたらしく、ビニールに入った肉だけがキャリアに引っ掛かって残っていた。あーあー、せっかく買ったのに。
  やっぱり安全運転を心がけねばなりません。仕方なく、そのまま本日2回目の買物に向かう私なのであった。


本日の走行距離       31.6キロ(計31937.1キロ)

出費                 20000P   パッド再生工賃
   300P  インターネット
   850P  昼食(マクドナルド)
   1329P  スーパーで買物
   820P  水、ミルクなど買いなおし
計       23299P(約4580

宿泊         汐見荘
インターネット Cafe Alavista


2001年1月19日(金) ロペス邸におじゃまする(Visiting a motorcyclist family)

 汐見荘には珍しく女性の宿泊客が4人もいたのだが、本日、陣内似の中村さんがそのうちの二人を引き連れて(?)、出発していった。稀有な人を失った、と汐見荘のみんなは思った。

 さて、本日の昼食は「ロペス・モト」の店主、ロペスさんの家にお呼ばれなのだ。気を使う日本人にとっては手ぶらで行くのは失礼な気がするので、スーパーに寄ってワインを1本買ってから店に向かう。
 チリの昼休みはゆったりとしている。午後2時ごろに店を閉め、ふたたび4時過ぎに開けるまでの2時間あまりが昼休憩なのだ。店主の家は店から車で10分あまり、すぐに白い立派な家についた。

 70歳の店主には3人の子供がいる。そのうち30過ぎの長男マルコと、大学生である次女と会う事ができた。マルコは小さいときから父親の英才教育を受け、ロードレース、モトクロスとも南米のチャンピオンに輝いたライダー。私のようなヘタレとは違うのだ。しかし彼も離婚経験者、お互い「オー、アミーゴ!」と抱き合うのだった。
 昼食をつくるのは父親の役目らしく、店主自らブ厚いステーキを焼いてくれた。次女はサンチャゴの大学で日本語と英語を勉強しているらしく、食卓ではスペイン語も交えて3カ国語が飛び交った。
  彼女が日本語を勉強しようとした理由は日本のアニメが好きだからで、私の年齢を告げると「その世代なら『きまぐれオレンジロード』を知っているはず」だって・・・。 詳しいなあ。宮崎駿が好きだというと、今度は「風の谷のナウシカ」の歌を歌ってくれた。どう反応していいか、ちょっと困った。

 会話を楽しみながらの昼食は一時間半ほど続き、その後DRを置いた店に帰った。明日の夜は奥さんが海鮮料理をつくる番なので、また来いとお呼ばれされてしまった。嬉しいなあ。
 ちなみにこの店主、33歳のときに16歳だった奥さんと結婚したそうだ。その時の写真を見せてもらったのだが、奥さん、まるでオードリー・ヘップバーンみたい。店主はその写真を見せながらVサインをしていた。・・・やるなあ、このオヤジ。


本日の走行距離       16.3キロ(計31953.4キロ)

出費                  4408P   ワイン、シャンプー
   1949P  ビール、缶詰
計       6357P(約1250

宿泊         汐見荘