旅の日記

ボリビア・ポトシ編(2001年1月5〜6日)

2001年1月5日(金) 世界最高所の都市(The wolrd's highest city)

 アンデスをゆく夜行バスは冷えると聞いていたが、ブラジル・ヴァリグ航空の機内から拝借した毛布のおかげで寒くは無かった。適当に眠りながら朝6時前、ポトシのバスターミナルに到着する。このターミナルも、おそらく世界で最高所のターミナルだろう。
 ポトシは標高4070m、世界で最も高い標高に位置する都市だ。スペイン人がこの過酷な地に都市を建設した理由は、ここにかつて世界最大の銀の鉱脈があったから。街を見下ろす標高4763mの「富の山」と呼ばれる山がそうで、鉱脈が枯れ果てるまでスペインで流通した銀貨の多くがここで生産された。
 銀が取れなくなるとこの街は歴史の表舞台から姿を消したが、20世紀になってスズやタングステンなどの有力な鉱脈がみつかり、再び活気を取り戻したのだそうだ。

 しかし朝6時前ともなると、さすがに街は眠っている。私も眠いので適当なホテルを探すが、ニセ警官にからまれた。南米、特にボリビアにはよくニセ警官が出没し、パスポートのチェックといってはそのまま持って行ったり、ニセ札の検査といっては財布から金を抜き取ったりするらしい。
 今回は広場で私服の男が近寄ってきて、財布からチラっと「Policia(警察)」と入ったちゃちな偽IDカードを見せ、「パスポートチェックだ。見せろ」という。当然拒否し、「それなら警察署へ行こう。そこでなら見せる」というと、「じゃあタクシーで行こう」と男はいう。アホか、どこの世界にタクシーで署に戻る警官がいるよ。手際がいいことに一台の白い車が目の前に止まったが(当然グルだろう)、私は無視して歩き去った。彼らはそれ以上、私を追ってこなかった。もし本物の警察なら、そんなことはないだろう。

 さて、共同シャワーもない汚い安宿にチェックインし(1泊だけだから我慢しよう)、午前11時ごろまで眠る。そして再び街に出ると、たいへんな活気で賑わっていた。オルーロもポトシも同じ鉱山街だが、活気が全然違う。ここは人も車もとても多い。

 私がこの街にきた理由は他でもない。世界最高所のインターネットカフェを取材するためだ。無事目的は達成したが、その様子は「Paso」の原稿で書くつもりなので、ここでは控えておく。
 目的が達成したあとは市内観光。市街を見渡せるサンフランシスコ修道院に登ったり、ポトシのシンボルにもなっている、ニカッと笑った顔のレリーフがある旧国立造幣局に行ったりした。特に造幣局は閉館間際に行ったら、ほんのさわりだけだったがタダで見る事ができた。これでまた30ボリ浮いた。

 ポトシでは鉱山見学にツアーにでも申し込まないかぎり、観光はすぐに終わってしまう。暗い宿の部屋に帰っても仕方ないので、あてもなくブラブラ街をあるく。
 やがて暗くなり、私は吸いこまれるようにカテドラルに入っていった。何やら音楽が聞こえ、にぎやかそうだったからだ。
 果たして入ると、祭壇の前では音楽に合わせて12人の褐色の面をつけた男たちが激しく踊っていた。鉱山労働者だろうか、すごい体力だ。こんな高地なのに、私が見始めてから15分は踊り続けていた。(彼らはその前から踊っていたのだ)
 これは何の祭りかと思ったら、次はギターをもった中年男性のグループが出てきて歌い上げていた。よく見ると、まわりには楽器をもった若者なんかがいる。きっと市民参加の芸能大会だろう。

 やがて芸能大会にも飽き、街で本当にすることがなくなったので、宿に帰ってすぐに寝た。ボリビアの宿の夜は本当にヒマだ。 


本日の走行距離          0キロ(計28600.1キロ)

出費                    15B   宿代
   18B  昼食(肉のコース)
   9B  インターネット
   20B  サンフランシスコ修道院見学料
   2B  コーヒー
   5B  夕食(ハンバーガー)
   1.5B  ホットドッグ
   7.5B  CD-Rディスク
計       78B(約1390

宿泊         Hospedaje Oruro
バイクの置き場所 Hotel Lipton
インターネット Tuko's cafe


2001年1月6日(土) オルーロに戻る(Going back to Oruro)

 宿は南米には珍しく、朝10時にチェックアウトしろというので、朝9時に起きる。それでも10時間ほどたっぷりと寝た。

 朝食を食べに入ったレストランで地元のツアーガイドと出会った。そこでウユニ塩湖は現在、雨で30センチほど冠水しているという情報をもらった。これであきらめがついた。実は、まだバイクでウユニ塩湖へ行こうかどうか迷っていたのだ。道が悪いとされているオルーロ以南も大したことなかったし、これはひょっとして行けるのでは、と考えていたが、塩湖に水がたまっていたら走れない。ただの水ではない、塩水なのだ。バイクにいい訳が無い。そしてウユニ塩湖が走れないのなら、苦労してボリビアを南下する事もない。やはり大人しくチリを下ろう。

 オルーロへ戻るバスは午後1時半に出る。それまで例によって、ブラブラと市内を歩く。カテドラルの前に来ると何かの祭りの準備だろうか、造花を売る露店がたくさん出ていて鮮やかだった。
 扉のまわりの彫刻が精巧なので有名なサン・ロレンソ教会などを見て回るが、それでも時間はつぶれない。結局、昨日のインターネットカフェに行ってインターネットをすることに。しかし、今日はなぜか店のシステムが我がパソコンを認識してくれない。そういえば、昨日のLAN接続も少々苦労した。

 時間もあるので自分のパソコンを使うのをあきらめ、店のパソコンにグローバルIMEをダウンロードしながら英語で見られるサイトを見る。結局40分ほどかかってダウンロードしたのだが、なぜか不完全で、その後も20分ほどかけて日本語フォントをダウンロードせねばならなかった。
  昨日もインターネットをやったし、今日はそんなに意地にならないでも良かったのだが、重要なメールが来ている気がしたのだ。そして、その予感は当たった。私は急いでチリへ下らねばならなくなった。(その内容は、また後日)

 カフェを出ると大雨が降っていた。結局昼食を食べる時間も無くなったので、そのままタクシーでターミナルへ向かい、オルーロ行きのバスに乗る。
 行きと同様、約7時間かけてバスは荒涼としたアンデスの山地を走り、夜8時半ごろオルーロに到着した。目が回るほど腹が減っていたので、ターミナル前のレストランですぐに夕食を食べる。
 そしてバイクの置いてあるホテルへ戻り、日記を打って寝た。明日は一気に太平洋まで下る予定だ。


本日の走行距離          0キロ(計28600.1キロ)

出費                   5.5B   朝食(サンドイッチ)
   9B  インターネット
   5B  タクシー
   1B  バスターミナルのトイレ
   9.2B  ジュース、スナックなど
   6B  夕食(セナ=定食)
計       35.7B(約640

宿泊         Hotel Lipton
インターネット Tuko's cafe