出発の朝が来た。
腹はまだ痛いが、まわりの人にさんざん27日に出ると言った手前、少なくてもクスコは出よう。到着したのが4日だから、3週間強クスコにいたことになる。南米でも一大沈没地と言われるわりには短かったが、色々な思い出ができた。少々こじんまりとしすぎだが、いい街だった。もっと暖かくて、大きなスーパーとショッピングモールがあれば、完璧に近い沈没地になるのに。
昨夜部屋に泊まった安部さんと、向かいの部屋の藤原さんに見送られて午前9時ごろ、ホテルを後にする。安部さんも年明けにはウシュアイア目指して南下を開始するそうだから、どこかで会えるだろう。藤原さんはこれから中米に上がるから、残念ながら旅路での再会は無理だろう。お気をつけて旅を続けてください。
久々の荷物満載DRは重たい。石畳の市街を慎重に抜け、プーノに続く幹線道路を飛ばす。
プーノはチチカカ湖畔の都市だが、標高はクスコよりも富士山頂よりも高い約3800m。クスコから400キロ弱の距離だが、途中4300mの峠を越える。クスコからプーノまでは鉄道が走っているが、道路はその線路に沿って走っており、幾度となく踏み切りを渡ることになる。
一度、貨物列車を追い抜かしてしばらくたったとき、ある踏み切りにさしかかった。ここならいい写真が撮れると思い、線路わきにバイクを停めて地平線の向こうから迫る列車を待つ。だんだん列車は大きくなってきたが、ある地点でその動きを止めた。「あれ?」と思って見ていると、今度はだんだん小さくなっていった。何で引き返すんじゃ!・・・ペルーの列車の動きは謎だ。待っていた10分間が無駄になった。
道路はそんなに激しいアップダウンもないので、直線が多い。120キロくらいで順調に飛ばせるのだが、何しろ寒い。途中雲行きが怪しくなり、大粒のヒョウが降り始めた。120キロの速度で氷の粒が全身を襲う痛みといったら、まるで空気銃のマシンガンで撃たれているみたい。しかし早く雲の下を抜けたいので、そのままの速度で水/氷しぶきをあげて突っ走る。
無事ヒョウが止んでも、今度は濡れた衣服が乾くまで寒さとの戦いだ。これは痛い腹に良いわけがない。
最近よく、「日本は寒いですが、そっちは季節が逆ですから暑いのでしょう」というメールをいただく。しかし残念ながら、事態はそんなに簡単じゃない。
たしかに南半球は日光のあたり具合が北半球と逆だから、日本のように四季がはっきりしている地域では、そのローテーションも逆となる。しかし世界には季節という概念が日本と異なっている地域があり、特にアンデス山脈に抱かれたこの付近では、季節は「乾季」と「雨季」の2種類しかない。
日本が冬のとき、そして南米が夏であるはずのとき、アンデスは雨季である。乾季の方が当然、空気がカラっとして朝晩の冷え込みが激しいというが、雨季はその名の通り雨がよく降る。空は鉛色の雲に覆われ、長くて冷たい雨や、ヒョウが降ったりする。なにしろ標高が3000mをゆうに超えているので、日光が雲で遮られれば日本の冬のように寒いのだ。
だから太陽の角度的にいって「夏」だとしても、半袖短パンで出歩けるわけではないし、プールで泳げるわけでもない。ぬるい電気シャワーを震えながら浴び、暖房のない安宿の部屋で寝袋にくるまって寝るしかないのだ。
無事プーノに着き、ウメさんに教えてもらったホテル「Los Pinos」にチェックインする。駐車場も中庭も無いが、宿のおじさんとおばさんと3人がかりでDRをフロントの奥の荷物室に入れる。
午後3時、日はまだ高いのでプーノ市街をブラブラと歩く。そして歩きながら、我ながら素晴らしいアイデアが浮かんだ。それは年越をチチカカ湖に浮かぶインディヘナの島、タキーレ島で迎え、チチカカ湖に上る初日の出を見ようというものだ。
島には電気も水道もガスもない。それこそ世界が20世紀を迎えたころと(あるいはそのずっと前から)、何も変わらぬ生活をしているのだ。そんなところで21世紀を迎えるのって、何かステキじゃないか?
本当はボリビアのポトシで年越を迎えようと思っていたのだが、ポトシは雑誌の原稿の都合で行きたいのであって、別に年越がそこである必要は無い。無理に今日クスコを出た意味が無くなるが、まあいい。ここプーノで、年末までゆっくりとしよう。
|