旅の日記

ペルー・プーノ編(2000年12月27〜30日)

2000年12月27日(水) さらばクスコ(Farewell to Cusco)

 出発の朝が来た。
 腹はまだ痛いが、まわりの人にさんざん27日に出ると言った手前、少なくてもクスコは出よう。到着したのが4日だから、3週間強クスコにいたことになる。南米でも一大沈没地と言われるわりには短かったが、色々な思い出ができた。少々こじんまりとしすぎだが、いい街だった。もっと暖かくて、大きなスーパーとショッピングモールがあれば、完璧に近い沈没地になるのに。

 昨夜部屋に泊まった安部さんと、向かいの部屋の藤原さんに見送られて午前9時ごろ、ホテルを後にする。安部さんも年明けにはウシュアイア目指して南下を開始するそうだから、どこかで会えるだろう。藤原さんはこれから中米に上がるから、残念ながら旅路での再会は無理だろう。お気をつけて旅を続けてください。
 久々の荷物満載DRは重たい。石畳の市街を慎重に抜け、プーノに続く幹線道路を飛ばす。

 プーノはチチカカ湖畔の都市だが、標高はクスコよりも富士山頂よりも高い約3800m。クスコから400キロ弱の距離だが、途中4300mの峠を越える。クスコからプーノまでは鉄道が走っているが、道路はその線路に沿って走っており、幾度となく踏み切りを渡ることになる。
 一度、貨物列車を追い抜かしてしばらくたったとき、ある踏み切りにさしかかった。ここならいい写真が撮れると思い、線路わきにバイクを停めて地平線の向こうから迫る列車を待つ。だんだん列車は大きくなってきたが、ある地点でその動きを止めた。「あれ?」と思って見ていると、今度はだんだん小さくなっていった。何で引き返すんじゃ!・・・ペルーの列車の動きは謎だ。待っていた10分間が無駄になった。

 道路はそんなに激しいアップダウンもないので、直線が多い。120キロくらいで順調に飛ばせるのだが、何しろ寒い。途中雲行きが怪しくなり、大粒のヒョウが降り始めた。120キロの速度で氷の粒が全身を襲う痛みといったら、まるで空気銃のマシンガンで撃たれているみたい。しかし早く雲の下を抜けたいので、そのままの速度で水/氷しぶきをあげて突っ走る。
 無事ヒョウが止んでも、今度は濡れた衣服が乾くまで寒さとの戦いだ。これは痛い腹に良いわけがない。

 最近よく、「日本は寒いですが、そっちは季節が逆ですから暑いのでしょう」というメールをいただく。しかし残念ながら、事態はそんなに簡単じゃない。
 たしかに南半球は日光のあたり具合が北半球と逆だから、日本のように四季がはっきりしている地域では、そのローテーションも逆となる。しかし世界には季節という概念が日本と異なっている地域があり、特にアンデス山脈に抱かれたこの付近では、季節は「乾季」と「雨季」の2種類しかない。
 日本が冬のとき、そして南米が夏であるはずのとき、アンデスは雨季である。乾季の方が当然、空気がカラっとして朝晩の冷え込みが激しいというが、雨季はその名の通り雨がよく降る。空は鉛色の雲に覆われ、長くて冷たい雨や、ヒョウが降ったりする。なにしろ標高が3000mをゆうに超えているので、日光が雲で遮られれば日本の冬のように寒いのだ。
 だから太陽の角度的にいって「夏」だとしても、半袖短パンで出歩けるわけではないし、プールで泳げるわけでもない。ぬるい電気シャワーを震えながら浴び、暖房のない安宿の部屋で寝袋にくるまって寝るしかないのだ。

 無事プーノに着き、ウメさんに教えてもらったホテル「Los Pinos」にチェックインする。駐車場も中庭も無いが、宿のおじさんとおばさんと3人がかりでDRをフロントの奥の荷物室に入れる。
 午後3時、日はまだ高いのでプーノ市街をブラブラと歩く。そして歩きながら、我ながら素晴らしいアイデアが浮かんだ。それは年越をチチカカ湖に浮かぶインディヘナの島、タキーレ島で迎え、チチカカ湖に上る初日の出を見ようというものだ。
 島には電気も水道もガスもない。それこそ世界が20世紀を迎えたころと(あるいはそのずっと前から)、何も変わらぬ生活をしているのだ。そんなところで21世紀を迎えるのって、何かステキじゃないか?
 
  本当はボリビアのポトシで年越を迎えようと思っていたのだが、ポトシは雑誌の原稿の都合で行きたいのであって、別に年越がそこである必要は無い。無理に今日クスコを出た意味が無くなるが、まあいい。ここプーノで、年末までゆっくりとしよう。


本日の走行距離      391.4キロ(計28126.3キロ)

出費                   160S   Hotel Felixの宿代8泊分
   34.5S  ガソリン
     3S  昼食(チキン)
計       197.5S(約6210
宿泊         Hotel Los Pinos


2000年12月28日(木) 睡眠新記録(The new sleeping record)

 本当は今朝、チチカカ湖のウロス島への半日ツアーに行く予定だった。ウロス島とは植物の葦(アシ)で造られた人工の浮島で、やはりアシでつくられた小舟で漁をするインディヘナたちが生活をしていたりする。(もはや観光用としての役目の方が大きいそうだが)
  ホテルで申し込みができるので昨夜から予約を入れてあったのだが、朝起きたら腹は相変らず痛いし、小雨も降っていた。無理を言って予約を明日にしてもらい、部屋に帰ってまた寝る。

 そして途中何度か目を覚ましながらも、最終的に体をベッドの外に出したのはなんと午後9時前だった。昨夜寝たのが午前1時だから、約20時間もベッドの中で過ごしたことになる。しかしそれだけ眠れたのには訳があった。起きると体が鉛のように重いので、これは単なる寝過ぎじゃないと思って体温を測ると、38度近くある。腹も相変らず痛いし、こりゃ立派な体調不良だ。自分の体の弱さにつくづく情けなくなる。

 起きてしばらくしたころ、宿の主人が心配してコーヒーやコカ茶などを持ってきてくれた。この人に迷惑をかけたくない。明日はウロス島へのツアーに参加できるだろうか? 


本日の走行距離          0キロ(計28126.3キロ)

出費                   なし  
宿泊         Hotel Los Pinos


2000年12月29日(金) ウロス島にいく(The floating islands of totoras)

 昨日あれだけ眠ったので、さぞかし昨夜は眠れないだろうと思っていたのだが、意外やまたぐっすりと寝てしまった。おかげで朝起きたら熱は下がっていた。腹の調子は相変らずだが、これなら何とかウロス島に行ける。
  ツアーのバスは朝9時半にホテルに迎えに来て、ウロス島行きのボートが出る桟橋まで私を運んだ。モーターボートだというので、ベネズエラのエンジェルフォールの時みたいに幅二人分の細い船体で水しぶきを浴びながら進むのだろうと覚悟していたのだが、ここのは意外と大きくて屋根もあり、ボートというよりはクルーザーに近い。スピードは出ないが、快適ではある。

 15人ほどのツアー客を乗せたボートはゆっくりとチチカカ湖をゆく。琵琶湖の12倍の面積を誇る湖だが、このあたりは入江になっているために見渡せるのはほんの一部。残念ながら雄大さはまだ感じられない。しかしインカの初代皇帝もこの湖から現れたという伝説も残る「神秘の湖」、怪しい雲行きがミステリアスな雰囲気を高める。
 だいたい、名前がいい。「チチカカ湖」−南米に興味が無くても、記憶の片隅にそのインパクトのある名前が残っている人は多いだろう。正確には「ティティカカ」で、スペイン語だと「ラゴ・ティティカカ」になるのだが、やはり「チチカカ」に「コ」をくっつけた、「チチカカコ」という5文字の響きがよろしい。そういえば「カクチカコ」にも似ている。何のこっちゃ。
 ちなみにチチカカ湖の湖面は海抜約3850m、汽船が航行する世界最高所の湖だそうだ。

  プーノの桟橋を出航したボートは30分あまりで「サンタ・マリア島」に到着した。ウロス島とは植物のアシで造られた人工島の総称で、その数は40あまり。大きな島には名前がついており、中には学校や教会まである島も存在する。この「サンタ・マリア島」は直径3、40mほど。数軒の、やはりアシでつくられた家があり、3家族が生活を営んでいるという。浮島の中では中ぐらいの大きさだろう。
 島に降り立つと、意外なほど地面は、というよりアシ面は、しっかりとしている。何せ大きな船だって波を受ければ揺れるのに、この島は微動だにせず、不安定さはまったくない。これで本当に浮島なのか?と疑ってしまうほどだ。

 ウロス島で生活する人々は、やはりアシで造った「バルサ」という小舟で漁をしたり、畑(!)でじゃがいもなどの作物を育てたり、はたまた家畜(!)まで飼育したりするそうだが、貴重な現金収入はやはり観光客を相手にした民芸品販売によってもたらされる。よって島の人は観光客を乗せた船が着くと、タペストリーやアクセサリー、バルサのミニチュアなどを広げて商売に熱を入れる。
 残念ながら買物に興味のない私は、小さな島をグルグル回りながら写真を撮る。すると1軒のアシの家が数人の男たちに抱えられ、動かされているではないか。こんな狭い範囲で引っ越しかい?と思って見ていると、家があったところにボートで運ばれてきた真新しい青いアシが敷き詰められ、そしてその上に家は戻された。なるほど、こうして弱くなった部分を補修するんだな。

 サンタ・マリア島にしばらくいた後、ツアーは隣の島に移動するというので、せっかくだから他の客数人とともに少年の漕ぐバルサに乗って湖を渡ってみる。長さ5mほどの小舟だが、全体がアシで造られているために浮力がすごい。大の大人が数人乗ってもほとんど沈まないのだ。
 無事隣の島につくと、バルサの少年は料金3ソルを要求してきた。ゲッ!高い!3ソルって、メシが食えるじゃんかよ・・・しかし他の客はにこやかに払っているので、仕方なくそれに習う。これも貴重な現金収入・・・って、100mほど漕いで一気に20ソル以上の収入は貴重すぎるぞ!

 何はともあれ隣の島に来たわけだが、さっきのサンタ・マリア島と同じくらいの大きさなのに、この島はうってかわって不安定。歩くと表面が沈み、付近が揺れる。ガイドによるとこの島はまだ名もない、造り始めて数ヵ月しかたっていない島で、まだ人が住めるほど安定していないという。通常は1年から5年かけてアシを重ねていかないと安定した島にならないそうだ。ちなみにさきほどのサンタ・マリア島は50年モノだという。
 また、島は湖底に打たれた柱に固定されているのだという。それで流されないわけだ。

 以上でツアーは終了。ボートはまた30分あまりかけてプーノの桟橋に戻った。昼食を食べてホテルに帰り、しばらくしてからインターネットにでも行こうと思っていたが、長く冷たい雨が降り始めた。
 日記も打ち終わり、早く止まないかなあと雲の様子を見にロビーへ下ると、そこには見覚えのある日本人の顔が・・・。おお、彼はブラジル、サンパウロのペンション荒木で初めて会い、そしてパンタナル湿原の手前の町でバッタリ再会した荻原さんではないか!何と彼は、昨日から隣の部屋に泊まっているらしい。彼は隣が日本人であることは知っていたのだが、全然部屋から出てこないので変に思っていたらしい。そういえば、昨日は1日寝ていたから・・・。

 というわけで、そのまま彼と街に買物に出かけ(雨は小雨になった)、夕食を食べ、そして部屋でビールを少しだけ飲みながら(二人とも腹の調子は悪い)遅くまで話をした。彼は明日の早朝にクスコに向かうので、今夜がもうお別れだ。しかしながら思いがけないところで思いがけない人とすれ違うのも、また旅の醍醐味だ。


本日の走行距離          0キロ(計28126.3キロ)

出費                    15S   ウロス島ツアー代
   3S  バルサ舟代
   2S  昼食(メヌー=定食)
   4S  卵、缶詰など買物
   6S  夕食(中華)
     3.5S  ビール
計       33.5S(約1050
宿泊         Hotel Los Pinos


2000年12月30日(土) 島渡りの準備(Getting ready to go to the islands)

 明日は大晦日。年越はタキーレ島で迎えようと思っていたが、人に聞くと、どうもタキーレ島よりわずかに北にあるアマンタニ島の方が訪れる観光客も少なて静かだそうだ。というわけで、明日アマンタニ島に渡り、1泊して帰りにタキーレ島に立ち寄る1泊2日のツアーに申し込む。これは期待できそうだ。
 そしてプーノで初のインターネットに挑戦。といってもウメさんのホームページで事前に情報は得ていたので、問題無くLAN接続できるカフェを見つける。3日接続しないだけで、メールは20件もたまっていた。寂しがりやの私は嬉しい。
 帰りに島に持って行くスナックや酒などの買物を済ませて、夜は早めに寝た。体調も回復の兆しにある。 


本日の走行距離          0キロ(計28126.3キロ)

出費                    10S   昼食(ピザ)
   5S  インターネット
   7S  スナックなど買物
   4.5S  酒
   35S  アマンタニ島ツアー代
計       61.5S(約1930
宿泊         Hotel Los Pinos
インターネット    Internet Cyber Club Puno