旅の日記

ペルー・クスコ編その4(2000年12月22〜26日)

2000年12月22日(金) リカさんと昼食を食べる(Eating lunch with Rika-san)

 本当は今朝も安部さんと遠足のはずだった。
 クスコ郊外にあるケンコー遺跡を見に行こうと決めていたのだが、起きたのは10時すぎ。今日の昼食はクスコに住んでいるリカさんと食べる約束なので、時間的にムリ。雨も降っているし、午前中は部屋でゆっくりする。

 実は昨夜、インターネットカフェで日記を更新した後、ミニシアターで安部さんと「イージー・ライダー」を見たのだ。日本人女性によって新しくオープンされたシアターは40席ほどだが、クスコでは最大規模。そこらのビデオ・シアターと違い、ちゃんと白い大きなスクリーンにDVDのキレイな映像が映写されるのだ。
 音も大迫力。映画を見た人は分かると思うが、オープニングでピーター・フォンダ扮する「キャプテン・アメリカ」とデニス・ホッパーの「ビリー」の二人組みが、ハーレーに乗ってアメリカのハイウェイをブッ飛ばす映像が写る瞬間、あまりにも有名なステッペン・ウルフの「ボーン・トゥー・ビー・ワイルド」のイントロが入る。バシャッと、水をかけられたような衝撃がして背筋がゾクっとした。
 自由、風、どこまでも続くハイウェイ、ロックンロール、サングラス、レザーのジャケット、焚き火、星空・・・映像の一つ一つがバイクの旅を象徴していて、極マロな生活をおくる私をたたきのめす。そうだ、私はバイク乗りなのだ。バイクに乗らない人が見たらつまらない映画なのかもしれないが、バイク乗りが誇りを取り戻すのには十分すぎた。

 映画を見た後、盛りあがった私と安部さんはまた酒を飲みながら色々と話をした。安部さんももとはバイク乗り、明日はDRに二人乗りしてケンコーの遺跡に行こうと決め、床についたのだ。(安部さんはまた部屋に泊まった)
 ところが酒が残っていることもあって、起きたのは今朝10時すぎだったというわけだ。失いかけたバイク乗りの誇りを取り戻し、そしてまた失いかける私であった。

 約束の午後1時になったので、安部さんと一緒にリカさんを迎えに行く。日本人男性が経営するペルー料理屋「プカラ」に行ったことがなかったので、今日はそこでランチをすることにする。
 リカさんはオトナだ。まだ大学生だが学校を休学し、旅行会社で1年働こうとペルーにやってきた。音楽や映画、文学のことをよく知っているし、部屋には「National Geographic」が並んでいる。異国の地で、しっかりと生活をしているのだ。私の大学時代はというと・・・思い起こすとトホホとなる。親のスネをボリボリとかじり、マクドナルドの深夜の掃除のアルバイトは手を抜きまくり、学校には週に1時間半しか行かず、酒を飲んでは酩酊し、部屋に並んでいたのは漫画かバイク雑誌だった。今でもそんなに成長していないのかもしれない。もうすぐ三十路として、いいかげんオトナにならねばと思うカズヒロであった。

 食後、日本に帰ったらバイクの免許をとりたいというリカさんにDRを見せ、一緒に写真を撮る。シャッターを押す係の安部さんは「イヤだよ、バイクやホームページを小道具に使う人は・・・」とブツブツ言っていた。仕方ないので、安部さんとリカさんのツーショットも撮ってあげる。

 夕方から小旅行にでかけるというリカさんと別れ、ふたたび安部さんと濃厚な二人の仲に。夜は安部さんは映画にでかけたが、私は部屋で日記を打っていた。安部さんが映画から戻った後、また私の部屋で少し酒を飲んだが、彼は今夜は泊まらずに自分の宿に帰った。


本日の走行距離          0キロ(計27734.9キロ)

出費                     7S   昼食(スパゲティ)
   1S  合鍵
     2.5S  トイレットペーパー
     5S  夕食(セナ=定食)
計       15.5S(約490
宿泊         Hotel Felix


2000年12月23日(土) ケンコーの遺跡を見る(The ruins of Q'enqo)

  今朝も起きるのは遅かったが、他に予定も無いので昼前から安部さんとケンコーの遺跡を見に行く。ケンコーはクスコの郊外にあるが、調べてみると歩いても行ける距離だった。バイクはやめて散歩がてら歩いて向かうが、途中で雲行きが怪しくなってきたので結局タクシーに乗る。

 ケンコーはインカの公用語ケチュアで「ジグザグ」という意味。宗教的な意味合いの強いこの遺跡は他と違い、自然の岩山の形を生かした荒々しい雰囲気にある。タクシーで着くと、ちょうどボランティアの女性ガイドによる英語説明つきツアーが始まるところだったので、それにくっついて回る。
 インカの時代、ケンコーでは夏至や冬至の日など年に数回、重要な儀式が執り行われていたらしい。遺跡の説明は、その儀式の順序を追って行われた。

 大きな岩を切り開いてつくられた入り口と狭い通路を抜けると、岩山の反対側の広場に出る。ここにはコカや、チチャと呼ばれる酒などの捧げ物を載せた岩の台が二つあり、そして正面にはやはり岩から削り出された玉座がある。かつて、インカの皇帝は金の冠を被ってここに座り、朝日が昇ってその冠が光り輝くのを待ってから儀式を始めたという。
 玉座にはロープも柵も無いから、当然のごとく座って写真を撮る。それまで空は鉛色だったのに、私と安部さんが座って写真を撮る瞬間、雲が晴れ、太陽が我々を照らした。
 「これってやっぱり、我々が皇帝に選ばれているんですかね」・・・大いなる勘違いをする二人であった。

 朝日が昇って冠が輝くと、儀式の舞台は岩山をくり抜いて造られた半地下の神殿に移る。 ここには生贄を殺す台があり、そして生贄に使われたのは黒いリャマだった。インカでは黒は純粋さを表したそうだ。彼らはここで生贄を殺し、その生き血を採ったという。
 ちなみにこの台では、人間の脳手術も行われていた。インカ人の頭蓋骨から手術の跡が見つかったのは有名な話だが、まさか生贄の台で行われていたとは。あ、でも失敗して死んじゃえば、そのまま生贄ってことにすれば良いのか。それって一石二鳥じゃん。(オイオイ)
 また、半地下の神殿には皇帝のミイラが置かれていた台もあり、9代皇帝のミイラがあったとされる台にはロープも柵も無いので、やはり座って写真を撮る。座った瞬間、右手に妙なしびれを感じたが、安部さんは冷静に「呪いだね」と判断していた。

 生贄の黒いリャマから採られた生き血は、神殿の屋根にあたる岩山の上に持っていかれる。ここにはジグザグに刻まれたミゾがあり、その先は左右に分かれている。生き血はチチャと呼ばれる酒と混ぜられてこのミゾに注がれ、それが右側に流れるか左側に流れるかで、凶作(悪い年)か豊作(良い年)かを占ったという。ケンコー(ジグザグ)という遺跡の名前は、ここから来ているのだろう。
 一緒に説明を聞いていた白人がミネラルウォーターをミゾに注ぐと、見事左側に流れ落ちて幸運ということになった。どうやら左側に流れる確立の方が高いらしい。

 岩山の頂上には、珍しい形のインティワタナ(日時計)もある。ちょうど冬至の日の朝日がこの日時計にあたると、二つの突起が目になり、その影が耳となり、全体としてピューマの頭を映し出すというのだ。インカの世界ではヘビが死の世界の象徴、コンドルが神の世界の象徴、ピューマがこの世の象徴とされており、この三つの動物は遺跡の中でよく出てくる。かつてのクスコの街は、上から見るとピューマの形をしていたほどだ。

 岩山の神殿の前には、高さ3、4メートルほどの「ピューマの岩」と呼ばれる岩もある。一見ただの岩なのだが、太陽に照らされると背後の神殿に映し出される影が背中を丸めたピューマのように見えるのだそうだ。
 これで一通りの説明は終わった。ケンコーはパッと見がただの岩山なので、説明が無いと何が何だか全くわからない。運よく英語の説明を受ける事ができて良かった。

 クスコ市街までは下り坂なので、帰りは歩いて帰った。喫茶店に寄って安部さんとチェスをしたが、今回は負けてしまった。その後は日記を打つなどしていたが、夜はまたミニ・シアターに行って「ブエナ・ビスタ ソーシャルクラブ」を見た。見た人みんなが「キューバに行きたくなった」というので、キューバに行った事のある私も期待して見たのだが・・・この映画ってこれでいいの?誰か教えて!
 そして映画の話を部屋でするうち、安部さんは私の了承を得るまでもなく、寝る仕度をして私のベッドで寝息をたてはじめた・・・。安部さん、床で寝るのはやはり少し疲れるのですけど・・・。


本日の走行距離          0キロ(計27734.9キロ)

出費                   3.5S   タクシー
   3S  昼食(メヌー=定食)
     3.5S  コーヒー
     2S  インターネット
     4.3S  水、缶詰など買物
     7S  映画、ビール
計       23.3S(約730
宿泊         Hotel Felix
インターネット    SPEED X


2000年12月24日(日) 20世紀最後のイブ(Last Christmas Eve of the Century)

  さて、今夜は20世紀最後のクリスマス・イブ。記念すべき夜だが、お相手は安部さんと、向かいの部屋に泊まっている藤原さん。それでも男3人でささやかに祝おうと昼食後、ワインとケーキを買いに街に出る。

 するとクスコの中心、アルマス広場が大変な騒ぎになっていた。昨日までいつも通りののどかな広場だったのに、今日は車の通行が止められ、路上には所狭しとクリスマス向けの品を売る露店が建ち並んでいた。
 売られているのはリースなどの飾りやキリスト、マリア、天使の像、ロウソク、お香など。そしてラ・コンパーニャ・ヘスス教会の前あたりでは、屋台を組む金の無いインディヘナたちが山から採ってきた木の枝を地面に並べ、クリスマスツリーとして売っている。値段を聞いたら50センティモ(約15円)、買おうかどうかちょっと迷ったが、あとでゴミになるだけなのでやめた。

 これだけのインディヘナがクスコにいるわけが無い。おそらく売れるものをかきあつめて近郊の村々から集まったのだろう。広場は大変な活気で、おばちゃんは声を張り上げて客引きをしているし、子供たちは駈け回って遊んでいるか、観光客の裾を引っ張ってチップをねだる。ときおり爆竹や花火が炸裂して人々を驚かせ、カテドラルの入り口では管弦楽のバンドが演奏していた。
 デジカメとポジフィルム用の35ミリカメラの二つを手に、広場を回って写真を撮る。民族衣装の鮮やかなインディヘナがこんなに一堂に会するのを見るのは、グアテマラのアンティグア以来だ。
  商業的に早くから盛りあがる日本のクリスマスと違い、クスコは最近になるまでクリスマスの足音が聞こえなかった。しかし、ここに残って本当に良かった。これは先進国とは一味違う、別の盛りあがり方が見れるぞ。
 今夜のためにローソクを4種類とお香、そしてスーパーでケーキとワインと安グラスを三つ買う。さらに1人で酒屋に寄り、とっておきのブツを買う。イブだからね、たまには贅沢しましょ。

 そしてクリスマスの挨拶を送る旅行者で賑わうインターネットカフェへ行ってメールの受信だけを行い、 夕食を食べに日の落ちた街に出る。
 夜になっても広場の盛りあがりは衰えず、イブにふさわしい喧騒に包まれていた。男3人なのでいつもの定食屋に行き、腹を膨らませてからホテルでワインを開ける。部屋で開けようとも思ったが、ロビーのTVでシャキーラのライブをやっていたので、それを見ながら3人で乾杯をする。

  フルーティな白ワインを一本開けたところで会場を私の部屋に移し、そこでローソクに火を灯してケーキ(といっても生クリームのケーキではなく、カステラのようなパンケーキ)を取り分ける。そして、さっき酒屋で買った私からの二人へのクリスマスプレゼント、スコッチウイスキーの瓶を開ける。

 言っておくが、ウイスキーは中南米では高級品である。酒屋で安部さんと一緒に羨望の眼差しで見ていたシーバス・リーガルには及ばないが、今夜買った「Grant's」も悪くない部類のはずだ。瓶を見せた瞬間、安部さんは大はしゃぎ。予想以上の反応に買ったほうもうれしい。
 映画「イージー・ライダー」を見た人はお分かりかと思うが、映画には若き日のジャック・ニコルソンがアル中の弁護士として出ている。彼は酒を飲んだ瞬間、体にアルコールが染み渡るのを表現するかのように、肘を鳥の羽のようにバタバタさせて「ニックニック!」と叫ぶのだ。
 今夜の安部さんもジャック・ニコルソンに負けないくらい絶好調。「ニックニック」ではなく「ニンニン!」と、どちらかといえば「忍者ハットリ君」に近い掛け声なのだが、カメラを向けるたびにグラスを飲み干して肘をバタつかせる。
 味わってもらおうと買ったスコッチ・ウイスキーだが、安部さんは立て続きに5杯ほど一気のみし、そして私のベッドで横になってイビキをかきはじめた。安部さん、ペースが早過ぎ。まだ11時にもなっていないんですけど・・・。

 仕方ないので、赤子のように眠る安部さんを置いて、藤原さんとふたたびアルマス広場に出て見る。
 すると、さっきまで並んでいた露店ウソのように姿を消し、広場には残されたゴミが散乱していた。出稼ぎのインディヘナたちは泊まるところも無いので、そこら中で焚き火を起こし、適当な場所で野宿している。若者や子供は花火に興じ、ロケット花火でも何でも人に向けるから、歩いているだけで目の前を花火が甲高い音を立てて横切って行く。
 行ったことは無いが、まるで内戦状態にある街のようだった。関西人・藤原さんも、まるで震災直後の神戸のようだと言っていた。せっかくなので花火売りからロケット花火を買い、群がってきた悪ガキたちとしばし火遊びに熱中する。それにしてもすごい雰囲気、つくづくクリスマスまでいて良かったと思った。

 そして部屋に戻り、私のベッドで寝息を立てる安部さんをそのままに、床の上で寝袋で寝る。たまにはこんなイブもいいか・・・。


本日の走行距離          0キロ(計27734.9キロ)

出費                     3S   昼食(メヌー=定食)
   3.5S  ローソク、お香
     7S  ケーキ、ワイン
     55S  スコッチ・ウイスキー
     2.5S  インターネット
   5S  夕食(セナ=定食)
計       76S(約2290
宿泊         Hotel Felix
インターネット    SPEED X


2000年12月25、26日(月、火) 極マロ生活の最期(The last of "Los dias malos")

 カトリックの国のクリスマスは、日本の正月と似ている。当然休日で商店は閉まり、人通りは少なく、街は閑散として静かである。人々はきっと自宅で家族とともにクリスマスを祝うのだろう。
 アルマス広場も昨日の喧騒がウソのように、まるで何事も無かったかのように露店もゴミも、近隣から集まった出稼ぎのインディヘナの姿も消え、いつものフツーの広場に戻っていた。ただ、昨夜の余りなのだろう、時折聞こえる花火の音が昨夜の盛りあがりを思い起こさせる。
 別に出かけるところもすることも無いので、クリスマスの日もいつも通りインターネットして酒飲んで寝た。「クリスマスをクスコで過ごす」という目標は、これで果たした。

 翌26日は出発の準備を少しずつした。21世紀をボリビアの世界最高所(4000m超)の都市ポトシで迎えたいので、明日には出発しないと間に合わないのである。しかし最近の暴飲暴食が祟ったのか、腹が痛い。食事を取るとすぐにゴロゴロと下ってくるのだ。食あたりでない下痢にはいつもは「正露丸」を飲むのだが、今回は急を要す。「下痢止め界の核兵器」、メキシコ産の「ロモティル」を飲む。
 夕方に最後のインターネットをし、クスコでお世話になった人たちに電話をかけて別れの挨拶をする。そして夜はやはり安部さんと藤原さんと部屋で過ごした。いつものように酒を飲み、そして夜食のラーメンをガソリンコンロで作って食べる。今まで毎晩のように繰り返された光景だが、今夜が最後だ。
 宿に帰ると明日の朝、早起きして見送りに来る自信が無いので、安部さんは今夜も泊まった。ただし気を使って、今回は私をベッドに寝かせた。二人で寝るのも、これが最後だ。


2日間の走行距離         0キロ(計27734.9キロ)

出費                     9S   食費(定食×3回)
   2.5S  水
     3.5S  インターネット
   3.7S  洗濯代
計       18.7S(約590
宿泊         Hotel Felix
インターネット    SPEED X