今日も朝からフライ君とミハエル君は団体行動を乱してしまった。フライ君は今日は荷物を積む時にはいたのだが、準備がすべて整った後に「水を買ってくるから待っててくれ」と20分ほどいなくなった。フライ君、普通そういう場合は荷物をミハエル君にまかせて、その間に買っておくものですよ。
ようやくサン・ファンを出発すると、すぐにウユニ塩湖にさしかかった。塩湖といってもすぐに塩の世界が広がる訳ではなく 周辺部は土の上に少し雪が降ったように塩が浮いている感じで、路面は思ったより柔らかい。しかし、しばらく塩湖の中心に向かって走るとすぐに路面(湖面?)は真っ白で、カチンコチンに固くなった。ここまで来ると轍もほとんどなく、車はどこでも好きなところを走れる。とりあえずメインルートを外れ、何にもないところで止まってもらう。
まずはランクルの前で記念写真。向かって左から小生、Kさん、ウメさん、ロジャー君、そしてフライ君とミハエル君だ。この後、それぞれは思い思いのポーズで写真を撮っていたが、イスラエル人の二人はスッポンポンになっていた。しばらくすると「カズ、シャッターを押してくれ」と呼ばれ、何で私があななたちのヌードを見なきゃならないの、と思いつつ写真を何枚か撮ってあげた。
そして驚くべきことに、この二人がヌードになったこと対し、ドライバーが大笑いしたのである。今まで二人が何をしても、何を質問しても、笑みすら浮かべなかった彼がである。「あいつらはバカだ。ワハハ」と、本当に心から笑っていた。この事が、両者の関係改善の糸口となった。
ランクルは再び走り出すと、「イスラ・デ・ペスカド」(魚の島)に向かった。イスラ・デ・ペスカドは魚の形をしているからそう呼ばれるが、小高い丘になっているその島にはサボテンが密生している。我々は島に着くと、早速丘の頂上に登り、360度の塩湖のパノラマを楽しんだ。
それにしても、全く不思議な光景だ。まわりは命のかけらすら感じさせない月のような世界なのに、その中にポツンとあるこの島だけ草やサボテンが生えているのだ。塩湖というからにはかつては海だったと思われるが、きっとこの島はその時代からのものだろう。島にある一番大きいサボテンは高さ12メートル、1年で1センチしか成長しないから、樹(?)齢1200年だそうだ。その間ずっと、この真っ白な大地をみつめてきたのである。
丘を降りた後は、イスラ・デ・ペスカドの入り口で昼食となった。変わり映えしないサンドイッチだが、景色がいいとうまく感じる。
イスラ・デ・ペスカドの後は、「オホ・デ・ウユニ」(ウユニの目玉)というエリアに行った。ここは亀の甲羅の模様が一面に出ているところで、ガイドブックに載っているようなウユニの写真はここか、イスラ・デ・ペスカドで撮られることが多い。
五角形や六角形の模様はヒビではなく、むしろ塩の湖面が形成される時にぶつかりあって盛りあがったものだ。
ドライバーは車を降りると、模様の上を歩きながら何かを探し始めた。そして、あった、あった、と我々を呼ぶ。行って見ると、そこには直径30センチくらいの小さな穴が湖面に開いていて、その下の水が見える。私はてっきり塩湖は下までずっと塩だと思っていたが、実は厚さ2、30センチほどの湖面の下には水が貯まっている箇所もあるのだ。水は冷たく、あたりまえだが塩分が濃い。濡れた手を乾かすと、塩で真っ白になるのだ。
ドライバーは穴に手を突っ込むと、手で湖面の裏を探り始めた。そして、あった、あった、と塩の結晶を採って見せてくれた。まるで機械で切ったような立方体が集まった、美しい結晶だ。これはお土産に最高だ。
よく見ると、穴はそこら中に開いていた。みんなは手を入れ、結晶を採りにかかった。フライ君とドライバーの二人は仲良くはしゃいで、競って採っていた。昨日の敵は今日の友。やはりヌード効果だろうか?でもフライ君にミハエル君、間違ってもイスラム教徒の前でヌードになっちゃ駄目よ。江頭2:50みたいになっちゃうから。
結晶の角は鋭利で、フライ君、ロジャー君、そしてウメさんは手を切っていた。それでも結晶採りは楽しいらしく、私はあまりやらなかったが、イスラエルの二人とドライバーは満足いくまで20分ほどかけて結晶を採っていた。
オホ・デ・ウユニを後にすると、ランクルは塩湖の東にあるウユニの町を目指して走り出した。途中、塩でできたホテルが2軒あり、最後の観光をした。このホテルは建物だけでなく、ベッドも机も、椅子も塩でできている。一泊20ドルだそうだが、機会があれば一度泊まりたいなあ。
この塩のホテルでも、ドライバーとフライ君は仲良くはしゃいでいた。最終日に仲直り、終わり良ければ全て良し、ってな感じだが、3日間彼らの人間関係に振り回された我々は一体何なのだろうか・・・。
そしてランクルは人口1万人のウユニの町に到着し、総走行距離500キロのツアーは終了。イスラエルの二人はこのままラパスへ行く直行バスに乗り、ロジャー君はポトシに行くらしい。お互いの旅の無事を祈り、握手をして別れる。色々あったが、今となれば彼らと一緒で楽しかったと思える。
さて、他の3人と違って我々はチリに戻らねばならない。いつ帰るのか、どこで泊まるのかなどはチリのオフィスでも聞いたが、その時にならないと分からないと言われた。そしてウユニのオフィスで言われたことは、今夜7時に町を出発して、明日の朝にサンペドロに着く、ということだった。ようやくウユニに到着し、今夜いきなり夜行で帰る、というのはちょっと辛いが、早く帰れる分には越した事無い。7時になるまでウユニの町で民芸品の買物をしたり、レストランでリャマの肉を食べたりして過ごした。
そして夜7時すぎ、今度はハイラックス・サーフに乗り込んでチリを目指す。ドライバーも別人で、客は我々3人だけ。どんな道を走って帰るのかと思ったら、ドライバーはいきなり暗闇の塩湖を走り始めた。360度真っ暗、景色もロクに見えないところを、コンパスもGPSも使わずに走っていく。頼れるのはカンと、わずかに見える轍。それも何本も走っているうちから正しい方角に向いているの選んで、その上を走るのだ。恐るべし、地元民。
ハイラックス・サーフもダートを快適に走ったが、それでも眠れるほどでは無い。景色も見えず、眠れず、朝までどうしたものかと思っていたら、車は途中の村で止まった。何でも、ここの宿泊所で午前3時半まで仮眠するらしい。良かった、助かった。
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