旅の日記

ボリビア・ウユニ塩湖編(2000年10月20日)

2000年10月20日(金) 標高5000メートルを越える(Entering Bolivia)

 いよいよウユニ塩湖へ出発する朝となった。朝8時に集合というのは少々眠いが、なにしろウユニ塩湖、もう心はウキウキなのである。

 ここでウユニ塩湖を知らない人のために補足。ウユニ塩湖は120×100キロという世界最大の面積を誇る塩湖で、標高3600メートルのボリビアの高地に位置する。険しい山々に囲まれ、行くまでに凸凹の道を長時間走らねばならないが、一度足を踏み入れるとそこには地平線まで真っ平らで真っ白な塩の大地が広がっているのだ。塩湖の中は車やバイクが走行可能であり、ライダーにとってこのウユニ塩湖を縦横無尽にバイクで走りまわることは南米ツーリングのよき記念となる。
 ライダーのはしくれである私としても何とかウユニをバイクで走りたかったが、今からエクアドルまで戻ってバイクで下ってくる頃には雨季と重なり、途中の道がぬかるむことや川に沈むことはもちろん、塩湖自体も数十センチほど水が貯まってしまうらしい。少々不本意なのだが、見ておけるうちに、ということで今回のツアー参加となった。

 さて、牛次郎と不要な荷物を宿に預けて朝8時にツアー会社に行くと、同じツアーに参加する白人旅行者が大勢待っていた。10分ほどすると、20人乗りくらいのバスが登場。4WD車を期待していたので、ちょっと肩透かし。何はともあれ、他の客と一緒にバスに乗りこむ。
 バスはまず、サンペドロの町にあるチリ側のイミグレーション・オフィスに向かった。国境にはイミグレが無いので、ここでチリの出国手続きをしておかねばならない。一列に並び、パスポートにスタンプをもらう。車やバイクでないと税関の手続きが不要なので嬉しい。
 ツアー客全員の出国手続きが終わると、バスはサンペドロの町を出てアンデスの山々をグングン登り始めた。サンペドロ・デ・アタカマも標高2300メートルほどだが、そこから30分も走らぬうちに富士山の山頂と同じ高さになった。しかし、バスはまだまだ登り続ける。
 その間、私はずっと時計を見ていた。私の時計、カシオ・プロトレックには高度計がついており、標高何メートルに位置しているのか表示してくれるのだ。今回の旅ではどれくらい高い所まで行くのか計ろうと、出発前に久美子に買ってもらったのだ。3800メートル、3900メートル・・・徐々に数字は大きくなり、そして3970メートルという表示が出た。いよいよ次は4000台か、と思った瞬間、信じられない事が!何と時計は計測をやめ、「−−−−」と数字の表示が空白になった。この時計はひょっとして4000メートルまでしか計測できないのでは・・・確かにこの時計を持っている人の99パーセントは4000メートルもあれば十分なはずだ。しかし、これじゃ意味無いじゃーん!と心の中で叫ぶ悲しきカズヒロなのであった。

 何はともあれ、バスはアルゼンチンへ向かう道とボリビアへ向かう道との三叉路に出た。アルゼンチンへは今まで通り舗装路。対して、ボリビアへの道はいきなりダート。何か差が出てますなあ・・・。
 そして、標高4200メートルにある国境に到着。国境といってもボリビア側のイミグレーション・オフィスである小屋があるだけで、寂しい事この上ない。小屋に入ってボリビアの入国手続きを行うが、係官は非常に丁寧で、パスポートのページが無駄にならないよう隅を選んでスタンプを押してくれた。パスポートのページが不足がちな長期旅行者にはありがたい対応だ。

 ボリビアに入国すると、バスはすぐに湖のほとりにある建物の前に止まった。建物の前にはランドクルーザーが数台並んでおり、ここで乗り換えるそうだ。ここからが本格的な悪路なわけね。
 建物はツアー会社の基地でもあり、中ではパンとコーヒーの朝食が用意された。標高は4000メートルを越えているが、時間が経っていないので頭が痛いなどの障害はまだ出ない。早歩きをしたりすると息が切れる程度だ。
 朝食を終えると、建物の前の湖を見に行った。湖の名前は「ラグナ・ブランカ」、白の湖だ。名前のとおり、浅い湖面は白いほどに明るい水色をしていた。

 しばらくすると、ランドクルーザーに分乗して出発する時間となった。同じ車に乗るのはボリビア人ドライバーを含めて7人。このグループがいわば一つの班となり、3日間のツアーを共にするのだ。我々にあてがわれたランクルは数台の中でも一番新しいと思われるピカピカのもので、ドライバーは黒いキャップにティアドロップのサングラスをかけた、ちょっと見は犯罪組織の一員のようなオヤジだった。そして我々と一緒に乗ることになったのはイスラエル人の二人組、ミハエル君とフライ君、そしてアイルランドから来たロジャー君の3人。そもそも、このメンバーと一緒になったことが珍道中の始まりだったのだ・・・。

 ここで、イスラエル人のバックパッカーについて解説を少々。世界の観光地にはイスラエル人のバックパッカーが多い。国の人口から考えると、イスラエルの若者は非常に高い率で長期旅行に出ていると思われる。というのも同国には徴兵制があり、若いうちは男女とも軍に属さなければならないが、その間は衣食住が保証された生活である。さらに使う必要の無い給料も支給されるので、除隊するころには結構貯まっているのだそうだ。そしてその金で、日本の学生の卒業旅行みたいな感じで長期旅行に出る、というパターンが多いそうなのだ。
 また、イスラエル人のバックパッカーにはある評判がついてまわっている。それは自己主張が時によって強すぎる、悪く言えばわがままである、ということだ。人種によって性格がどうである、と決め付けるのは大変危険であるが、残念ながら旅行者の間では言われることだ。考えてもみれば、ようやく手に入れた母国はアラブ諸国に囲まれた四面楚歌状態、国内 にもパレスチナ問題をかかえ、少々我が強くなければ国や社会を守れないというのは理解できる。ちょうど島国ニッポンの国民が遠慮がちであるのと正反対のことが起きているのではないか、と私は考える。

 今回のツアー中ずっと続いたドライバー対イスラエル人二人組の対立は、ドライバーが二人組の片割れ、フライ君が助手席に乗るのを拒否したことから始まった。ドライバーが後で我々に漏らしたことには、彼は過去に何回もわがままなイスラエル人旅行者を見てきたそうだ。それで同じイスラエル人が自分の隣に座るのを嫌い、フライ君が助手席に座ろうとしたのを理由も無しに拒否したのだ。これはドライバーの非である。
 しかし、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出てくる悪役の「ビフ」にそっくりで筋骨隆々なフライ君は、そんなことはお構いなしに無理やり助手席に乗り込んだ。結局はフライ君はお客様、ドライバーもそれ以上は強くは出れず、ムスっとして車を出発させた。

 ランクルはラグナ・ブランカを後にすると、すぐに次の湖「ラグナ・ベルデ」、つまり緑の湖に着いた。なるほど、さっきの湖とはうってかわって水が緑だ(写真ではわかりづらいが)。ドライバーによるとさっきのラグナ・ブランカとここは地下で繋がっているが、生息している微生物の種類がそれぞれ違うので、湖面も違う色をしているのだそうだ。
 湖の説明の後もドライバーは我々邦人3人の近くに座り、あの山は何だとか、標高はいくつだとかから始まり、雑談を続けた。ちょっとでもおかしいことがあれば白い歯を見せてワハハハと豪快に笑い、イスラエル人の二人組に対する態度とは月とスッポン。「日本人は好きだ」って言われてもねえ、とっても複雑な心境。

  ラグナ・ベルデを後にすると、ドライバーはランクルを峠に向かわせた。新しいランクルは状態の良いダートを滑るように登り、頂上にさしかかったところでドライバーはボソっと車内のみんなに言った。「アキ、テネモス シンコミル メトロス・・・(ここが標高5000メートルだ)」。ここがツアーの最高地点、車に乗っているだけなのに5000メートルという数字を聞くと頭が痛くなってくる。日本では想像もできない高さだ。

 5000メートルの峠を越え、少し走ったところでドライバー対イスラエル人二人組(特にビフことフライ君)の対立は本格化した。風景の綺麗なところがあったので、写真を撮ろうとランクルを止めさせたフライ君だったが、よりよい角度を求めてランクルの屋根に登ろうとしたのだ。屋根にはみんなの荷物を載せた荷台があり、確かに人も登れるが、ドライバーはみんなが真似するのでやめろという。しかし、それでもフライ君は登りはじめた。しかも足をかけるためのフックを使わず、車体の適当なところに足をかけて。 ランクルがいかにボリビアで高いか我々に説明したばかりのドライバーは、必死で止める。しかし、フライ君は車体後部についたスペアタイヤの上に立ったまま、「なぜダメなんだ。俺は写真を撮りたいんだ」と言って降りてこない。「登らせろ」「ダメだ」という会話が繰り返しつづき、フライ君があきらめて降りてくるまで実に数分もかかった。これには我々もあきれてしまった。
 しかし、問題はこれで収まらなかった。走り出してすぐに助手席のフライ君が窓を開けようとしたのだ。「埃が入るので窓は開けないでくれ、暑いならエアコンを入れる」とドライバーは言うが、フライ君は「俺は窓を開けたいんだ」の一点張り。これにはさすがにドライバーもキレ、「残念だが、あんたらには車を換えてもらう。次のランクルがここを通るまで俺は待つ」と言って運転をやめて外に出てしまった。最初は「俺は何と言われようと車は換えないぞ」と強気だったフライ君だったが、「もうわかった。窓は開けないから、もう行こう」という連れのミハエル君の発言をきっかけに譲歩する姿勢を見せ、約5分後、ドライバーは黙って車に戻って運転を再開した。 やれやれ、この先どうなることやら・・・。

 サンドイッチの昼食を挟み、やがてランクルは本日のゴール、「ラグナ・コロラド」に着いた。ここは赤の湖、やはり水中の微生物によって水が赤く染まっており、簡単に言えば赤潮ですな。そしてこの湖は微生物をエサにするフラミンゴが集まることが有名だが、地球の歩き方に書いてある「大群が圧巻」ほどでは無く、水平線にピンクの点がポツポツ、という程度だった。ある旅行者から、このラグナ・コロラダがいかに綺麗で、いかに感動したかを聞かされたことがあったので期待していたのだが、ちょっと残念だった。

 湖を見た後、ランクルは湖畔の小さな集落で止まった。ここにある、雨露がしのげる程度の簡単な小屋が今夜の宿である。標高は4400メートル、高山病がでなければ良いが。
 やることも無いので、散歩して帰ってくると夕食の時間になった。本日のメニューはスープとパン、そしてトマトソースのスパゲティだ。食事はグループごとにドライバーがつくる。つまりドライバーはガイドでもあり、コックでもあるのだ。
 しかし、ここでもドライバーとイスラエル人は小衝突。ユダヤ教徒であるイスラエル人は牛、羊、鳥、ウロコのある魚以外の肉(豚など)を食べないが、どんな肉が出てくるか分からないところでは、用心してベジタリアンで通していることがある。で、ベジタリアンのマナーとしては前もって「肉は入れないでくれ」などど言っておくのが基本だと思うのだが、フライ君とミハエル君は食事が出されてから「当然、肉は入って無いんだろうなあ」とドライバーに迫った。偶然肉は入っていなかったのだが、この態度にドライバーは再びキレかかっていた。一触即発である。

 宿の部屋は大部屋で、6人のグループは一緒に寝る。フライ君と私とは夕食を食べながら両国の違いなど「お約束」ネタの会話をしていたが、部屋に移ってからフライ君は「お前はどの宗教を信じる?」と聞いてきた。ウソはつきたくないので「無宗教だ」と答えると、「じゃあ、人間はどうやってできたと思う?」と聞いてくる。「科学で全てを解決できるとは思わないが、進化については科学を信じる」というと、「じゃあ、サルはどうやって生まれたんだ?やはり進化か?それは表層だけしか見てないと思わないか?」と始まった。あげくは「イスラエルの人々は聖書(旧約)と科学との差異に悩み、それを解決しようと日々努力しているのだ。そういう試行錯誤を行ってこそ、人生だ。見えるものしか信じないというのは実に安易であり、お前の人生は浅い」と言われた。
  悪かったですね、人生浅くて。おっしゃることが分からないでもないんですが、その前に君は別に考えることがあるんじゃないですか、と心で言い、面倒臭いので「フムフム」と納得したフリをして、その場を切り抜けた。悪い人たちじゃなくて憎めないのだが、やはりちょっと苦手。明日からどんな展開になるのか、まさに珍道中・・・。

 それにしてもツアー初日からこの文量。書くことが多すぎる。というわけで史上初、一日で1ページとさせていただきました。


出費                   30B  ウユニ国立公園入場料
計        30B(1ドル=6.2ボリビアーノ、約510円)
宿泊          ラグナ・コロラド湖畔の簡易宿