旅の日記

チリ・サンペドロ・デ・アタカマ編(2000年10月15〜19日)

2000年10月15日(日) さらば「汐見荘」(Goodbye Shiomi-sou)

 とても居心地のよろしいビーニャの街を去る日がやってきてしまった。

 昨夜のうちにパッキングはすませていたので、後は荷物を載せるだけなのだが、午前中いっぱい寝て、昼ご飯も悠長に作って食べていたら、出発は午後遅くになってしまった。
 牛次郎のセルモーター(あるいはフライホイール?)は完全にイカれてしまっていて、やはりエンジンはかからなかった。唯土くんに手伝ってもらって汐見荘の駐車場から押して出す。汐見荘の前は急な下り坂になっているので、後は引力にまかせてエンジンをかけるだけ。そして唯土君と涙のお別れをし、いざ出発。牛次郎は勢い良く坂を下り始め、クラッチを繋ぐと、8日ぶりにエンジンに火が入った。

 しかし我々はまず、ビーニャに到着した日に訪れた巨大なスーパーに向かった。食料の買い出しをかねて、もう一度ゆっくりとあのスーパーを見たかったのだ。
  押しがけができる場所を選んで牛次郎を停め、いざ買物へ。パンや野菜の他、ウメさんは勢い余って空気で膨らますベッドが安いというので買っていた。おそらく史上最も荷物の多いバックパッカーであろう。

 結局買物が終わり、ビーニャの街を後にしたのは午後5時ごろだった。まずは東へ向かい、チリを南北に縦断する5号線に戻ってから、ひたすら北を目指す。
 日が長いので、完全に暗くなるころにはもう8時ごろになっている。暗くなってからもガンガン走り、どこかで夕食を作ろうと思ったが、海辺の道は風が強く、ひどく寒い。今夜は外食で済ませようと1軒のレストランに入ったら、もう午後11時すぎだった。久しぶりに食べたチキンはたいへんなボリュームで、体が温まった。

 その後も午前1時ごろまで走り、ラ・セレナという街のスタンドで眠ることにした。スタンドにはパトカーがいて、我々を不審に思ったのか警官が職務質問をしてきたが、事情を説明するとパスポートを調べるでもなく、やさしい言葉をかけてくれた。チリの警官はいい人が多いなあ。ちなみにチリでは警察は「第4の軍隊」と呼ばれるほど強いんだそうな。いいぞ、頼りになるぞ。
 今日は夕方発にもかかわらず、400キロ弱は稼げた。目的地は遠いが、調子は悪くない。


出費                 26320P   「汐見荘」宿泊費8日分
            2050P  夕食(チキン)
計        28370P(約5370円)
宿泊         ラ・セレナのスタンドに停めた牛次郎


2000年10月16、17日(月、火) アタカマ砂漠を走る(Across the Atacama desert)

 皆さんは南米というと、どういうイメージを抱くだろうか。緑深いジャングルの中をアマゾン河が流れているシーンだろうか、それとも雪を被ったアンデスの山々に響く「コンドルが飛んで行く」だろうか・・・。
 南米には本当に色んな顔がある、と最近つくづく思う。もちろんジャングルもあれば、高い山々もある。南に下ればカナダのような風景が広がるところもある。インカの遺跡もあればスペイン統治時代のヨーロッパ調の街並みもあり、そして東京に引けを取らないほどの近代的な都市もある。
 そして、今回は砂漠である。そうです、南米にあまり詳しくない人たち、南米にもサバクはあるのです。

 16日、ラ・セレナの街を出てしばらくは、まだ海沿いの、サボテンとかが生えた緑のある風景だった。しかし午後になると植物の姿は完全に消え、岩だけがゴツゴツ転がっている、まるで月面のような風景になった。これがチリ北部に広がるアタカマ砂漠である。
 砂漠といえど、道は平らでは無い。アタカマ砂漠は結構山がちで、5号線はアップダウンを繰り返した。ここを自転車で下ってきた唯土君が「大変辛かった」と言ったのがよく分かる。しかも、牛次郎が最も苦手とする「緩くて長い登り」が続き、トップギアでは登れないので、3速で延々と走らねばならないのだ。夜は寒いくせに、昼はジリジリと照り付ける日光をさえぎる雲ひとつ無く、大変暑い。運転席に座っている事は日光とエンジンの熱とで、もはや苦行の域に達していた。
  昼間は車も人もオーバーヒート気味で、距離が稼げない。心地良く走れるのはやはり夜で、二日で走った約1000キロの半分以上は暗くなってから稼いだものだ。

 17日の深夜に5号線を東に外れ、標高2300メートルほどのカラマの町に着いた。ここから目的地サンペドロ・デ・アタカマは目と鼻の先だ。世界最大の塩湖ウユニも近い。


出費                   400P    コインシャワー
            300P  コーヒー
            370P  ジュース
計        1070P(約200円)
       
宿泊         スタンドに停めた牛次郎


2000年10月18日(水) サンペドロ・デ・アタカマに到着(SanPedro de Atacama)

 カラマの夜は寒かった。朝7時前に寒さで目が覚めたが、車内の気温は4度しか無かった。寝袋を頭まで被って再び寝に入ったが、その2時間後、今度は暑さで目が覚めた。車内の気温は25度。2時間で20度も上昇したのだ。乾燥した砂漠はやはり過酷なのだ。

 目的地サンペドロ・デ・アタカマにはATMが無いらしいので、カラマの銀行でペソを下ろしてから出発する。
 残った距離は約100キロだが、この100キロが意外と長かった。サンペドロ・デ・アタカマも標高は2400メートルほどだが、途中3200メートルほどの峠を越えた。気温も標高も高く、牛次郎は遅々として進まなかった。

 午後になって、ようやくサンペドロ・デ・アタカマに到着した。砂漠の中にポツンとある小さな町だが、ここはアタカマ砂漠観光の基地で、外国人観光客が多い。また古代アタメーニョ人というのが最初に部落を作ったところでもあり、チリで最も古い町なのだそうだ。
 町の入り口の近くには「月の谷」という景勝地があり、ちょっと寄ってみようかと思ったが、場所を間違えてちょっと違うところに出てしまった。まあ、ここも月のようで、谷のようでもあったから、いいか。

 サンペドロの町に入り、適当な宿を見つけてチェックインする。キャンプ場もかねた質素な所だったが、居心地は良い。
 シャワーを浴びて洗濯をしてから、町のツアー会社に行く。我々はここから国境を越え、ボリビアのウユニ塩湖を見るツアーに参加するため、ここにやってきたのだ。本来なら牛次郎を運転して自力で行きたいところだが、ボリビアへ抜ける道は大変険しく、牛次郎では間違いなくムリ。バイクでも行きたかったのだが、これからエクアドルまで戻って、DRで下ってくる頃には雨季と重なってしまう。ますます通行が難しくなるそうなので、安全策ということで、気候のいい今のうちにツアーで行っておくことにしたのだ。
 ツアー料金は情報通り、2泊3日の往復ツアー(ボリビアへ抜けるだけの片道ツアーもある)で90ドル。これには宿泊費、食費なども含まれる。ただし、この日程だと肝心のウユニ塩湖であまり時間が取れないので、3泊3日+半日にしてもらったが、料金は同じだった。ただし、ボリビア側のウユニの町で余計に一泊する分の料金は当然自分持ちである。
 今日到着し、いきなり明日はちょっときついので、ツアーは明後日発ということで予約を入れた。一度この町に来ているウメさんたちには、明日、タティオ間欠泉群を見に行くツアーに参加するよう勧められた。何でも朝日に染まる間欠泉を見て、帰りに温泉に入るという魅力的なツアーだそうだが、出発時間は午前4時・・・。間欠泉はアメリカのイエローストーンでイヤというほど見ているので、今回はパス。でも、標高4500メートルの露店風呂というのは心残りだなあ・・・。

  ツアー会社の帰りに、町で1軒だけ開いていたインターネットカフェに行く。マシンが2台しか置いていない小さな所だったが、電話線を貸してくれてダイヤルアップ接続ができた。料金も観光地のわりには通常の値段で助かった。
 そして夜はチリ・ワインを飲み、早めに寝る。久々のベッドだ。


出費                   700P    インターネット
計        700P(約130円)        
宿泊         Camping Los Perales
インターネット    Atacama Online


2000年10月19日(木) ミス・チリとご対面(Meeting Miss Chile)

 昨夜も寒いかと思われたが、そうでもなく、朝は10時ごろまでくっすりと寝た。
 朝起きて昨日の夕方に洗ったジーンズを見たら、パリッパリに乾いていた。おどろくほど空気が乾燥しているのだ。そういえば唇も痛いし、皮膚はガサガサである。

 午前中はパソコンに向かい、最近の日記を書いた。
 そして午後からサンペドロの町を散策に出たが、これが思いのほか疲れた。サンペドロの町は2、300メートルの範囲にほとんどのものが集中している小さな町だが、何しろ日差しが刺すように強い。ちなみに写真の通りがサンペドロでも一番繁華なところ、いうなればサンペドロ銀座である。いかに田舎か、分かるだろう。

 帽子を被ってこなかったことを後悔しながら向かった先は、町の考古学博物館。ここはサンペドロ周辺で発掘された石器時代の石器や、インカ文明の影響を受けたとされるティワナルカ文明の遺物などが展示されているが、一番の見所は「ミス・チリ」と呼ばれる少女のミイラだ。
 1000ペソの入場料を払い、いざミス・チリとご対面。考えて見れば「ミス何とか」というような方とお会いできるのは今回が初めて。これで生きていたらなあ。それにしても見事に干からびてしまって・・・究極の乾燥肌だな。メキシコはグアナファトのミイラ博物館を思い出す。
 しかし、よく見ると「地球の歩き方」に載っていたのとちょっと違う。最初は髪型や服装を変えたのかと思い、勝手にそんなことしていいんかい、とも思ったが、よく見ると顔まで違う。これは違うミイラだ。ミス・チリで無いとすると、せいぜい準ミスか。本物はいずこにいるのやら。

 博物館の帰りには民芸品の市にも寄ったが、変わり映えのする物は売っていなかった。この町には「自称アーチスト」のヒッピーも集まるらしく、市の入り口ではアクセサリーなど、自分の作品を売っている白人の若者たちがいた。しかし、売れている気配はまるでなし。これで物価の高いサンペドロで生きていけるのか?
 あまりにも日差しが強く、ダメージがジワジワと効いて来たので早めに宿に戻る。そして涼しくなる夕方を待って、昨日のインターネットカフェと、ツアー料金を払いにツアー会社に行った。

 さて、明日は待望のウユニ塩湖ツアーの始まり始まり。ここより日差しは強くなるはずだから、日焼け防止対策をして行こう。(最近、肩や背中のホクロ、シミが増えた気がする。もはやジジイか!?)


出費                   700P    インターネット
            7000P  宿代2泊分
            1000P  博物館
            420P  ジュース
           50940P  ウユニ塩湖ツアー代
計        60060P(約11370円)        
宿泊         Camping Los Perales
インターネット    Atacama Online