旅の日記

チリ・ビーニャデルマル編(2000年10月7〜14日)

2000年10月7日(土) アンデスを越える(Drive over the Andes)

 朝、目が覚めると、西の方角に白い雪を被った山々が見えた。あれがアンデス山脈、コロンビア以来の対面だ。今日はあの山々を越え、反対側のチリへ行くのだ。
 ガソリンスタンドを出発し、国境へ向かう道を進むと、すぐに道は急な登りとなった。そこから国境までの約150キロはずっと登り坂のまま。しかし、パラグアイでデストリビューターの調整をしてもらった牛次郎は調子良く登ってくれた。車窓からは真っ白な山々が見え、目を楽しませてくれる。

 国境はアンデスを越える峠にあるが、その手前で「インカの橋」という看板があったので止まってみる。そこは温泉が涌き出ている場所で、温泉とともに湧き出した鉱物が自然の橋を作り出していた。かつての温泉宿と見られる朽ち果てた建物が橋のすぐ下にあり、そこでは今でも温泉が湧き出しているので、若い観光客たちが足をつけて温めていた。私もやろうと思ったのだが、思ったよりもぬるく、あがった後によけい寒くなりそうなのでやめた。ここら辺ですでに標高は3000メートル弱、風も強く、かなり寒かったのだ。

 「インカの橋」を後にして、約20分ほどでアルゼンチン側の国境事務所に到着。ドライブスルーの形式になっていて、車に乗ったまま約5分でパスポートの出国手続き、ペルミソのキャンセルができた。
 そしてチリ側を目指して走り出す。すると、なんと料金所があった。しかも、牛次郎は「小型バス」に分類され、普通自動車の2倍の6ドルを払えという。「アルゼンチンでもずっと普通自動車の分類だったのに、何でここだけ違うのか」と抗議するが、窓口のオヤジは払わないと警察を呼ぶという。しぶしぶ6ドルを払うが、おつりの4ドル分はアルゼンチンペソでないと払えないという。これはひどい。もうアルゼンチンは出国していたものと思って、残っていたペソはわざわざ全部使っていたのに。国境事務所の向こうに料金所は設けちゃいけないだろう。

 チリ側に入るすぐ手前に、南米大陸の最高峰アコンカグアが見えるポイントがあった。展望台も無く、ただ道路脇に「アコンカグア」と書かれた看板があるだけなので、気をつけていなければ見落としてしまいそう。牛次郎を道の脇に停め、看板のあるところから北側を見ると、標高6960メートルのアコンカグア山頂までがクッキリ見えた!おお、これが南米の屋根か・・・。今日は本当に天気が良くて良かった。もし雨でも降れば何にも見えない上、雪になりそうな高度だし、寒さだし。実際、ここはアルゼンチンとチリを結ぶ一番メジャーなルートだが、冬季はチェーンなどのすべり止めが無いと越えられないらしい。

 本当の国境がある峠はすこからすぐだった。標高3200メートル、そこは長いトンネルになっており、トンネルの真ん中あたりで「ようこそチリへ」という看板が見えた。
 トンネルを抜けるとチリ側の国境事務所があった。アルゼンチンほどの厳しさでは無かったが、税関では荷物を降ろされてのチェックがあった。約1時間ほどで全ての手続きを終え、国境事務所を後にする。

 チリ側では、アルゼンチン側とうって変わって下りの連続。勾配がアルゼンチン側より急なのか、道は腸のようにカーブを繰り返し、まるでイロハ坂のよう。ガードレールも無いので、ハンドルを切り損ねたら大変だ。
 ブレーキの調子がイマイチの牛次郎なので、エンジンブレーキを多用し、なるべく普通のブレーキに負担をかけないようにして下る。約1時間ほど慎重に下りつづけ、日が落ちる頃、ようやく平地にたどり着いた。

  我々の目指すビーニャデルマルは太平洋に面したリゾート地だが、アンデスの峠の国境からは190キロほど。チリは南北に4300キロもある国だが、東西の幅は平均してわずか180キロの、非常に細長い国だ。今日はチリに入国し、早くも横断するという訳である。

 チリに入ってから非常に交通量が増え、運転していたウメさんはとても気を使っていた。夜8時ごろ、ビーニャデルマルの街に到着。街に入ってすぐのところに大型のスーパーがあったので、寄って買物をしていく。
 すると、このスーパーにびっくり。おそらくビーニャでも最大規模のスーパーだろうが、なんとレジが73台も並んでいて、どこも客が並んでいるほど混んでいる。買物客の身なりはとても良く、なるほど、噂に聞いたとおり美人が多い。そこらへんにいるフツーのお兄さんやお姉さんが、まるでモデルのようなのだ。街も近代的で、物もあふれ、予想よりずっとチリは豊かな国だと思った。

 買物を終え、ビーニャの日本人宿「汐見荘」に着いたのは夜10時ごろだった。前にウメさんたちが来た時には改装中だったそうで、今回はあまりにもキレイになっていたために見落としてしまうところだった。
 汐見荘のキャパシティは小さく、満室になることも多いと聞いていたが、思ったよりも宿泊客は少なく、問題なく我々3人もベッドにありつけた。
  さて、ここで会えると思っていた旅人二人は、まだ来ていなかった。ここでは彼らを待ちながら、1週間ほどゆっくりする予定。


出費                     5P    「インカの橋」で買ったバッグ
計        5P(約530円)
宿泊         汐見荘


2000年10月8、9日(日、月) 汐見荘でゆっくり(A town besides the Pacific)

 この二日は汐見荘でゆっくり過ごした。
 ビーニャデルマルは太平洋に面した穏やかな気候のリゾート地。首都サンチャゴからも120キロと近く、サンチャゴの住人も気軽に訪れるのだそうだ。海に面した丘には高級な住宅が建ち並び、金持ち連中の別荘にもなっていると思われる。
 インターネットカフェも多く、ネットの接続には困らない。8日は久々にメールを受信すると、41通も来ていた。これはがんばって返事を書かねば。

 また、8日にはここで会えると思っていた旅人の一人、チャリダー(自転車乗り)の唯土くんが到着した。彼とはメキシコの「ペンションアミーゴ」でずっと一緒だったが、その後彼はペルーへ飛び、ペルーからボリビアと自転車で抜けて、チリにやってきたのだ。すっかり日焼けして冒険者らしくなっていた彼を見て、とても安心した。
 さて、もう一人の旅人はいつ来るのかなあ。


出費                  1000P    インターネット
            690P  ピザ
計        1690P(1ドル=560ペソ、約330円)
       
宿泊         汐見荘
インターネット    Cyber Blues Cafe


2000年10月10〜13日(火〜金) 続・汐見荘でゆっくり(Seafood paradise)

 いきなり4日分の日記なのである。手抜きといえば手抜きだが、変わり映えのする日々であったかというとそうでもなく、ここら辺をまとめてしまうことは、読者の皆様にとってもダラダラと読まされるよりよろしいのではと思い、とにかく4日分レッツゴーなのである。

 この4日は引き続きビーニャ・デル・マルの汐見荘で過ごしたが、この間、ビーニャの名物でもある安くて豊富な魚貝類を食べまくった。
 たとえば、写真のウメさんが持っているカニは11日に食べたものだが、このカニが3パイで1000チリペソ(約190円)!である。カニ味噌汁とカニ飯を4人分つくっても、そのまま食べる用のアシやハサミがたっぷりと残るほどの大きさだった。

 また、11日はビーニャの隣町バルパライソの部品屋で、牛次郎のタイヤを止めるボルトを発見した。たかがボルトなのだが、これが普通と反対にネジを切った「逆ネジ」で、今まで各地で探していたが全く見つからなかったのだ。古いボルトが破損していて、左後輪なんかは普通5本で止めているところを、わずか3本で止めていたのだ。キトまでまだ5000キロはあるし、見つかって良かった。
 そして、夜はサンパウロからここまでの、牛次郎にかかった費用を精算した。これにはガソリン代や高速代、部品代や修理代のほか、みんなで買い出しした食料なども含まれている。その金額は一人当たり、しめて463.6ドル。最近、全然出費が無いと皆様思ったでしょう。こういうことになっていたんですねえ。申し訳ありません。

 12日は巨大なアサリの酒蒸しと、名前のわからない魚の刺身を食べた。チリではレイネタという、ちょっとトロのような味のする魚を刺身で食べる事ができるが、この日に食べたのはそれと似ていたが違う魚だった。え?刺身食って大丈夫かって?ここ、ビーニャでは大丈夫です。少なくても汐見荘のみなさんはいつも食べています。

 また、 12日にはここで待っていた旅人のもう一人、猪飼くんがやってきた。ご存知のとおり猪飼くんはエクアドルのキトを牛次郎で一緒に出発し、ブラジルのマナウスまで共に行動した旅人だ。その後私は一時帰国、彼はウメさん夫妻とサンパウロまで旅したが、ボリビアへ急ぐ用事があったので、私の帰りを待つことなく牛次郎を降りたのだ。
  その後彼はボリビア、ペルーと旅し、そして最終目的地であるイースター島に行くべくチリまで下ってきたが、そこでクレジットカードを紛失していることに気付き、あえなくイースター島は断念。まもなく2年以上にもわたる彼の世界一周は終了してしまうのだ。
 猪飼くんが汐見荘に来る予定であることはメールで聞いていたので、びっくりさせようと急いでチリに来たのに、肝心の彼がなかなか来ないので心配していたら、このようなトラブルにあっていたのだ。彼の最後のメールが「今サンチャゴで、早ければ15日に日本に帰ります」だったので、あわてて「汐見荘にいるから、最後に来て」というメールを送り、無事再会できたという訳なのである。
 彼もいろいろあったが、元気そうで良かった。なに、イースター島に行ける機会はまたあるさ。
 
 そして13日は待望のウニ丼に挑戦。市場にウニを買いに行ったら、実の詰まった直径10センチくらいのウニ(殻のまま)が15個で5000ペソ(約950円)!ちなみに15個ってスーパーの袋2つ分で、6人分のウニ丼ができた。
 しかし、味は予想より淡白で残念だった。ウニの風味はあるのだが、日本のウニの、あのガツンとくる「まったり味」が無いのだ。ここのウニは馬糞ウニではなく、またエサにしているものも違うから味も違うんだろう、ということでみんな納得した。しかし、少なくても値段以上には美味かった。

 また、どうでもいい話だが、13日の夜にはこっちのケーブルテレビで北野武監督・主演の、あの「HANA−BI」が放映されることになっていた。みんなで楽しみにしていたのだが、いざ始まって見ると、タケシは「コモエスタ?」とかスペイン語を話していた。これって吹き替えじゃん!わかんないじゃん!意味ないじゃん!(以上、「SPA!」の「ONLY YOU・ビバ!キャバクラ」風に読むべし)
 他のアメリカ映画は字幕でやっていたのに・・・。まあ、昼間に「アルマゲドン」が見られただけ良しとするか・・・。

 というわけで、汐見荘の生活はこんなものです。ビーニャに限らずチリは治安が良く、人も良く、美人が多く、町がキレイで、魚が豊富で、とっても良い国。早くもお気に入りの国にランクインか!?


出費                  3260P    インターネット
            540P  乗合タクシー
           4000P  Tシャツ、ジャージ
            5160P  ポジ・フィルム
            690P  ピザ
            760P  バス
          463.6US$  牛次郎出資金
計        14410P(約2750円)
         463.6US$(約49150円)
       
宿泊         汐見荘
インターネット    Cyber Blues Cafe


2000年10月14日(土) さよなら猪飼くん(See you my friend)

 今日、猪飼君が汐見荘を去って行った。彼は首都サンチャゴへ戻り、明日の便で南米を発つ。そしてロス、バンコクと経由して日本に帰るのだ。彼の旅は2年2ヵ月だったが、私の旅はいつまで続くだろうか。
 最後にエクアドル・キトの安宿「スクレ」でよくやっていたトランプ「ナポレオン」をみんなでやり、そして彼をバスターミナルまで送っていった。猪飼君、今度は日本でね。

 その帰りにビーニャで最後のインターネットをやり、汐見荘に戻ってからは出発の準備をした。そう、明日ここを出て、牛次郎の故郷キトまで北上する旅を再開するのだ。でも、牛次郎のエンジンはかからないだろうなあ。押しがけの予感100パーセントの今日この頃。


出費                  1000P    インターネット
           4000P  ここ数日の食費精算
           690P  ピザ
            540P  乗合タクシー
計        6230P(約1180円)
       
宿泊         汐見荘
インターネット    Cyber Blues Cafe