旅の日記

アルゼンチン・横断編(2000年10月4〜6日)

2000年10月4日(水) 犬に嗅がれる牛次郎(Heavy check of the Argentine custom)

 もう、面倒なパラグアイにいるのはよそう。今日は国境を越え、アルゼンチンに入国することにした。
 しかし、朝から牛次郎の調子は悪かった。バッテリーがあがっているのは承知のことだったが、押しがけしてもバッテリーの充電状態を示す電流計が動かない。調べると、やはりジェネレーターのコードが一本抜けていたが、今度はそれを直しても全くエンジンがかからなくなった。牛次郎を止めたところが修理屋の軒先だったので、そこのメカニックのおじいさんに見てもらう。
 おじいさんはプラグが発火していないことを確認すると、バッテリーからの電気を分散するデストリビューターの調整にかかった。デストリビューターまで電気が来ていることは我々も確認していたが、それでプラグも発火しているものと判断していたのだ。
  おじいさんはデストリビューターを分解し、電極の接触具合をていねいに調整。するとエンジンは一発で始動。しかも走り出して見ると、今までに無くエンジンの調子がいい。今まではアクセルを大きく踏みこむとエンジンは不完全燃焼を起こし、溜まった混合気が一気に発火して「パン!」と爆発する現象が起きていたが、それが全く起きなくなった。牛次郎にとって革命的な効果をもたらしたのだ。

 さて、生まれ変わった牛次郎はアルゼンチンとの国境までの約50キロを快調に飛ばした。パラグアイ側での出国手続きは全く問題なし。わずか10分ほどですべてを終える。
 そして橋を渡ってアルゼンチン側へ。ここでの税関のチェックが厳しい事この上なかった。
 まず、積んでいる荷物すべてを降ろすよう指示された。そしてその荷物が調べられている間、空になった牛次郎には麻薬犬が乗り込み、あるはずの無いブツの探索が始まった。しかし、黒い麻薬犬はあまり利口では無かった。青いシャツを着ている係官が「ここを嗅げ」と指示するが、犬はすぐにイヤがって降りてしまう。仕方なく、青いシャツのお兄さんは自ら執拗なまでの探索を開始。「おかしいなあ。あるはずなんだがなあ」とブツブツ言いながら 天井はたたくは、下に潜りこむは、もう完全に決め付けてかかっている。まあ、それもそのはず、どう見ても我々は怪しいし、ウメさんなんかボブ・マーレーがマリファナを吸っている絵柄のTシャツを着ているし、目のつけどころは大変正しいのだ。ただ、ブツは持ってはいないが・・・。
 しかし、野菜類が引っ掛かってしまった。生鮮食料品は持ちこみ禁止なのだそうだ。せっかくシウダード・デル・エステで見付けた大根と長ネギが、泣く泣くゴミ箱行き・・・。ああ無念。別にしていたピーマンや玉ねぎは見つからなかったのに。逆だったら良かった。
 また、ウメさんたちは土産用にプロポリス商品を大量に持っていたが、税関に貼ってあった説明によるとハチミツ関係も持ちこみ禁止だそうだ。しかし、係官はプロポリス石鹸を不審そうにみていたが、ラッキーにもパスできた。もしこれらが全て没収されていたら、ウメさんたちにとって大ダメージだった。

 かくして、約1時間にわたる厳重なチェックは終了した。厳しいのは我々に対してだけでなく、ここの国境ではバスの乗客も全て降ろされ、荷物のチェックを受けていた。アルゼンチン人は厳格な面があると聞くが、ちょっと垣間見た気がした。しかし、客観的に見て我々を調査するのは至極まっとうな気がするので、イヤな気はしなかった。

 無事国境を通過し、アルゼンチンに入国。次の目的地、チリのビーニャデルマル目指してアルゼンチンを横断!と意気込んで走り出すが、幹線道路には数十キロおきに検問があった。大体は簡単な書類チェックで済むのであまりイヤな気はしていなかったのだが、深夜になり、ある検問所で止められた時には事務所の中に連れ込まれ、堂々と「金銭による協力を要請する」と警官に言われた。つまりワイロをよこせと言うことやね。
 アルゼンチンはパラグアイとは違うと思っていたのに、大変残念だった。「我々旅行者だって物を買ったりして、その税金が警察に回ったりしているんだろう。払う筋合いは無い」と抵抗するが、あまり険悪なムードになってもイヤなので、何を言われても「分かりません」とニコニコ笑ってごまかすことにした。すると、「もう行け」と解放されたが、帰り際、警官同士は「まったく東洋人(チノ)は何を言っても理解できないんだ」と笑っていた。理解できないのはお前らの方だろ。お前らの心無い行為が、どれほどお前らの国の印象を悪くしていることか。南米でも生活水準の非常に高いアルゼンチンの警官が生活に困っているとは思えないし・・・。

 国境を越えてから約400キロほど走ったところで、夜もたいへん遅くなったので適当なガソリンスタンドを見つけて寝る。アルゼンチンのスタンドにはシャワーがないところが多いので残念だ。


出費                 なし
宿泊         幹線道路脇のスタンドに停めた牛次郎


2000年10月5、6日(木、金) ただただ走る(Driving though the Pampa)

 この二日間は、チリを目指して西南方向にただただ走った。走った距離は約1300キロ。6日の深夜にメンドーサの街を抜けてアンデスに近づくまで、坂らしい坂は一つも無し。パンパと呼ばれる大平原を、ただ地平線に向かって走り続けるのだ。車窓から見えるのはまっ平らな農場ばっかり。景色が変わらないから、運転していてもつまらない。舗装が良いので牛次郎は快調に走るのだが、全然距離が縮まらない。道路脇には1キロ置きに距離を表示するポストがあるのだが、わずか1キロでも大変長く感じるのだ。この感覚はオ−ストラリア大陸を走った時とよく似ている。
 こうなると、距離が稼げるのは夜だ。日光があたってポカポカ温かく、眠くなってくる昼間より、景色も何も見えない夜を考え事でもしながらガーッと走ったほうが、気がついてみると距離が伸びているのだ。二日とも適当なガソリンスタンドをみつけ、隅っこで夕食を作って食べるのが夜11時ごろ、さらに走り、寝るのは午前2時ごろとなった。
 あれだけパラグアイは暑かったのに、このあたりは夜になるともう寒い。気温は10度くらいしかなく、寝るときはフリースを着て、寝袋にくるまって寝るのだ。

 6日の夜はチリとの交通の要、メンドーサの街を抜けたあたりのスタンドで泊まった。南米大陸を南北に貫くアンデス山脈はもう目の鼻の先、明日の朝になれば雪を被った山々が見えるはずだ。


出費                     1P    コーヒー
             3P  サンドイッチ
計        4P(1ドル=1ペソ、約430円)
       
宿泊         幹線道路脇のスタンドに停めた牛次郎