旅の日記

ブラジル・サンパウロ編その2(2000年9月6〜10日)

2000年9月6日(水) さよなら久美子(Goodbye Kumiko)

 色んな意味で再出発の日である。

 サンパウロに戻るフライトは午後7時発、5時に成田に着けば間に合う。昨夜も渋谷で飲んでいたので、帰ってリニューアルしたHPをアップロードするので精一杯だった。支度がまだできていないので、午前中は奔走する。
 実は昨夜、ロシアから帰ってきたライダー、YOGGYと会い、彼が連載をしていたバイク雑誌を見せてもらったのだ。そして銀鉛カメラ、ポジフィルムで撮った写真の美しさを再認識し、カメラが欲しくなったのである(もちろん写真が綺麗だったのは彼のウデによるところが大きいが)。
  一眼レフはあるが、大きすぎて持って行きたくない。今まで持っていたコンパクトカメラも悪くはないが、たまに写真に線が入ったり、黒点が出たりする現象が出る。 気になっていたコニカ・ビッグミニを買うか買わないか迷っていたが、購入を決定。近くのカメラ屋やディスカントショップを回るが、なぜか売っていない。仕方なく、成田に向かう途中に新宿に寄り、ヨドバシカメラで買った。フィルムもポジを買い、景色専用にする。

 両親は成田行きのリムジンバスが出る水天宮のT−CATまで来てくれた。成田へ着いたのはかなり早めの午後4時。チェックインを済ませ、ブラブラと時間をつぶしていると、久美子が見送りに登場。二人で最後のお茶をする。
 他愛も無い話しかできない。いつしか時間は過ぎ、出国のゲートをくぐらねばならない時間になった。「じゃ、元気で」、ゲートの前で握手をすると、久美子の目には涙が溜まっていた。なんだバカ、こっちも泣けるじゃないか。

 久美子と別れ、出国手続きを済ませる。そして午後7時、ほぼ定刻どおりにロス、サンパウロ経由、リオデジャネイロ行きヴァリグ航空837便は飛び立った。
 一時帰国は終わった。一年ぶりの日本はとても暑かった。いろんな事があった。精神的につらい時もあった。でも、まだ旅はつづくのだ。ウメ夫妻と牛次郎と、そしてDRが南米で待っている。



2000年9月7日(木) サンパウロ到着(Back in SaoPaulo)

 サンパウロまでのフライト時間は約24時間。偏西風の影響で日本へ向かうときより短いが、実際はもっと短く感じた。一回経験しているからだろう、慣れの問題だ。家にあった赤川次郎の文庫を2冊読むのと、機内食を食べている時以外はほとんど寝て過ごし、「あっという間」は言い過ぎだが、予想よりもかなりフライト時間は短く感じたのである。機内も日本へ向かうときよりずっと空いていたし。
 現地時間で午前7時、サンパウロ着。ブラジルの税関はかなり厳しく、DRのパーツや電気機器を山ほど持っていた私は難癖をつけられるのでは、と心配していたが、荷物を調べられたにもかかわらず、無事通過できた。空港から市内までリムジンバスを使い、バスの降り場からはタクシーで日本人街の「ペンション荒木」を目指す。

 ペンション荒木には午前9時過ぎに着いたが、ウメ夫妻はまだ寝ていた。なんだ、早く着くのは知っているはずなのに、まだ起きていないのか。
 チェックインし、置いてあった「週刊ポスト」を読みながら午前11時半まで待った。まだ起きてこない。しびれを切らし、ウメ夫妻の部屋のドアをたたく。しばらくすると、まるでさっき眠った人が起こされたような、死にそうな声で返事がした。
 頭ボサボサのKさんがドアを開けた。ウメさんともども、フラフラだ。なんでも、昨夜はずっとゲームをしていて朝になってしまったので、私が来るまで起きていようとがんばったが、午前8時半に力尽きて眠ってしまったらしい。なんだ、ほんとに寝たの、さっきじゃん。

 それでもがんばって起きると言うので、起きてもらって、お互いマナウスで別れてからの話しをする。なっとうご飯の昼食を食べ、近くの駐車場に停めてある牛次郎の様子を見て、スーパーで買物を済ませると、時差ぼけでとてつもなく眠くなってきた。
 午後もなんとか眠らずに通し、野菜炒めの夕食を食べたが、意識を失いはじめてきた。午後10時まで酒の勢いで持ち越したが、電池がとうとう切れた。くずれるようにベッドに入り、その数秒後からもはや記憶が無い。


出費                   12R  リムジンバス
            5R  タクシー
            1R  夕食の材料費
計        18R(約1060円)
宿泊         ペンション荒木


2000年9月8日(金) ニッケイ新聞を訪ねる(Visiting a Japanese Newspaper)

 相変らずウメさんのバイタリティはすごい。
 ぐっすり寝ても、まだ朝8時だった。ウメさんたちも早めに起こし、朝ごはんを食べていると、「ねえ、新聞社に行こうよ」とウメさんが言った。サンパウロには日本語の新聞を発行している新聞社が何社かあり、たまにオートバイとか自転車とかで旅行している人が紹介されることがあるという。 せっかく「牛次郎」で旅しているのだから、サンパウロにきた記念と、HPを宣伝するためにと、新聞で取り上げてもらうよう売りこもうとというのだ。

 というわけで、朝食後、さっそく新聞社を探しに日本人街へ出る。眼鏡屋のおじさんに「ニッケイ新聞」という新聞社の場所を教えてもらい、いきなり編集部に押しかける。
 最初は中年の編集者らしき方が話を聞いてくれ、事情が分かると若い記者を呼んできて、そのまま取材となった。記者の人が我々の旅でユニークだと思ったのは、ネットを使って南米の危険情報をリアルタイムで集めているところ。従って、質問もパソコンやネットを中心としたものだった。
 取材は約20分ほど、大変好意的に進めていただいた。牛次郎と3人で写ったいい写真が無かったので、駐車場まで行って写真を撮り直し、記者に提供した。これでうまくいけば、日本人街の有名人になれるぞ!

  その後は宿へ戻り、Kさんが作った天ぷらで昼食。午後はずっとパソコンをしていた。ネット接続はウメさんが開拓したあるルートで、とても速い回線とLAN接続することができた。このHPを読んだ人がそこへ押しかけてもいけないので、そのルートは秘密にしておく。
 夜は餃子を食べながらワインを飲んだ。とても贅沢な気分だ。なんか、ブラジルに戻った気がしない。


出費                なし
宿泊         ペンション荒木
インターネット    とある方のパソコンとLAN接続


2000年9月9日(土) サンパウロ動物園に行く(Sao Paulo Zoo)

 朝、ペンション荒木の「旧館」に行く。ペンション荒木は新館と旧館に分かれていて、ウメさんたちも私も新館に泊まっているのだが、オーナーの荒木さんがいる旧館の方には毎日「ニッケイ新聞」が届けられているのだ。
 ちゃんと載っているかな、と思って旧館のリビングに入ると、いきなり荒木のおばちゃんに「あんたら、大きく載ってるよ!」と新聞を見る前から言われた。8ページだての新聞を開くと、おお!「武蔵丸が六連勝」「コロンビアの麻薬組織が潜水艦製造」と並んでの大きな扱い。新聞用語でいうと、6段分の記事の大きさだ!
 見出しは「海外旅行も情報時代/パソコンで危険予知/安全な道選びながら旅/世界一周の3人来社」とある。やはりパソコンで情報を集めながら、という新しい旅のスタイルの紹介が主だ。うーん、昨日の思いつきで今日、こんなにデカデカと載るとは。これでブラジル日系人社会のスターだ!(うそ)

 気分を良くした我々は、せっかく早起きしたということもあって、あの毒グモや毒ヘビの標本がたくさんあるというブタンタン研究所に行く事にした。この前一人で行って、閉まっていたので仕方なく帰ってきた、あそこだ。
 しかし、まずは開いているか閉まっているかブタンタン研究所行きのバスが出るヘプブリカ広場のインフォメーションセンターへ行って聞いてみる。すると、ていねいにもブタンタン研究所のあるサンパウロ大学まで電話してくれたが、土曜日で誰も出ず、確認が取れないという。これは悪い予感がしたので、研究所行きはあきらめ、代わりにサンパウロ動物園に行く事にした。

 サンパウロ動物園は市内の南の方にあった。途中、間違った駅で地下鉄を降りてしまったが、事情を説明するとタダで改札を通してくれた。ブラジル人は本当にいい人が多い。
 動物園の入場料は7レアル(約400円)と思いのほか高かったが、この動物園、思いのほか楽しかった。像、キリン、ライオン、虎、クマ、カバ、サイ、ワニ・・・などと動物のラインアップは基本的だが、それぞれの動物がサービス精神旺盛で、動き回っているのだ。
 たとえば、虎はバターになる寸前までグルグル歩きまわっているし、カバは大口あけてエサ食っているし、サイは鼻息で砂を飛ばすし、クマが豪快に水浴びしているし、アリクイは濃密な交尾をしていた。
 広さも適当で、3時間ほどで見終わった。天気も良く、いい運動にもなった。大変満足して動物園を後にする。帰る途中にレストランに寄り、ピザとビールで腹を膨らます。

 日本人街に戻った我々は、新聞屋でニッケイ新聞を15部買って帰った。何部かもらおうとニッケイ新聞の編集部に寄ったのだが、すでに閉まっていたのだ。
 宿に戻ったあとは日記を打ち、HPの更新。 日本にいる間にウメさんのHPのアクセス数と5000も差が開いてしまった。これはがんばらねば。


出費                  3.6R  地下鉄
            2R  バス
            7R  動物園
            2.7R  ハンバーガー
            6R  ピザ、ビール
            8.4R  ニッケイ新聞
            3R  インターネット
計        32.7R(約1930円)
宿泊         ペンション荒木
インターネット    とある方のパソコンとLAN接続


2000年9月10日(日) 本場のサッカーを見る(Watching a Football game)

 今日はブラジルで日本語教師をしているテツさんという方とウメさんたちがサッカーを見に行くというので、いっしょに見に行くことにした。

 昼の12時に待ち合わせて、まずは日本人街の「なんでもや」という、計り売りのレストランで昼食を食べる。ブラジルでは「POR KILO」という看板が出ている計り売りのレストランが多く、食べたいだけ皿にとって、その重さで料金が決まるシステムになっているのだ。この「なんでもや」は和食の計り売りであり、メニューは刺身、天ぷら、などと豊富である。懸命な読者はお気付きかと思うが、刺身でもごはんでも重さが一緒なら料金も一緒なので、なるべく重さのわりに高級な食材を選ぶと、とてもトクをするのである。
 この日は遅めの朝食を食べていたので、ウメさん夫妻ともどもあまり腹が減っていなく、サーモンとマグロの刺身をおつまみがわりに取ってビールを飲んだら、とても安くてトクした気分になった。たぶん刺身だけ取っている分には原価より安いと思う。

 腹が膨れた後は、みんなで試合が行われる「モルンビースタジアム」へ地下鉄とバスを乗り継いで行った。ペンション荒木の宿泊者も3人、一緒に来た。今日の試合は地元サンパウロのクラブチーム「コリンチャンス」対サルバドールの「ヴィットリオ」。ブラジルのサッカー事情に詳しいテツさんによると、「コリンチャンス」はサンパウロでも最下層の人たちに支持されているチームで、その応援の荒っぽさは有名だそうだ。今日の試合はたいして重要ではないのでスタジアムは2割くらいしか埋まっていなかったが、行きのバスの中では数名の「コリンチャンス」ファンが応援歌を歌ってすでに大盛りあがりで、バスの壁は叩くわ、踊るわ、大変な騒ぎだった。

 しかし、試合はとても地味な展開だった。0対0でハームタイムを迎え、後半に入って「コリンチャンス」が先制したものの、しばらくして同点にされ、ファンの罵声のなか1対1の引き分けで試合は終わった。4連敗中の「コリンチャンス」のファンは怒って暴動も起こしかねないそうだが、この日は大人しくスゴスゴと家路についていた。
 「つまらない試合」とテツさんは言っていたが、さりげなく選手が見せるプレー、例えばトラップ&シュート、スルーパスなどに目を見張るものがあり、サッカー大国ブラジルの選手層の厚さが伺えた。

 試合が終わったあとは近くのショッピングモールで夕食を食べてからペンション荒木へ戻る。そしてシャワーを浴び、支度をして地下鉄で「チエテ」のバスターミナルへ。今夜はこのまま夜行のバスに乗ってリオデジャネイロへ向かい、明日1日で観光してサンパウロへ戻って来ようと決めたのだ。
 「チエテ」のバスターミナルはブラジルでも最大の規模を誇り、100にも及ぶプラットホームには24時間ひっきりなしに長距離バスが発着している。電車網もなく国内の航空料金が高いブラジルでは、この長距離バスが庶民の足であり、この「チエテ」のバスターミナルはまさにブラジルの交通網の要となっているのだ。
  サンパウロ〜リオ間はメジャーな路線で、リオ行きのチケットを売っているバス会社の窓口はいくつもあった。リオまでの所要時間は約6時間、早く着きすぎても困るので、深夜1時半発のバスのチケットを買って時間をつぶす。
 ようやく乗りこんだバスは23レアル(約1500円)という料金にもかかわらず、とてもゆったりとした高級バスで、飛行機で言うならビジネスクラスの大きな椅子に飲み放題のミネラルウォーターとコーヒー、そしてもちろんトイレも完備だった。バスが動き出すと同時に椅子をいっぱいまでリクライングし、深い眠りについた。さあ、明日の朝にはリオデジャネイロだ。


出費                   3.2R  昼食(計り売り)
            7R  プロポリス・喉スプレー
            2.4R  地下鉄
            2.2R  市バス
            10R  サッカー入場料
            2R  ホットドッグ、ビール
            4.2R  夕食(スパゲティ)
            2.4R  地下鉄
            1.6R  ビール
            23R  長距離バス    
計        58R(約3415円)
宿泊         高級バスの中