旅の日記

ブラジル・サンパウロ編(2000年7月13〜16日)

2000年7月13日(木) 南米一の大都市へ飛ぶ(Flying to SauPaulo)

 広い4人部屋に1人で寝るのはとても空しかった。朝方には蚊の襲撃で目が覚め、しばらく目が冴えて眠れなかった。みんなはどこまでアマゾンを下ったろうか。

 朝、マナウスで最後のインターネットをした後、午前11時過ぎにホテルを出て空港へ向かう。タクシーだと20レアルかかるというので、ローカルバスを探して40分ほどかけて空港に到着。バスは1レアルだから、19レアルも得した。
 国内線の割りには出発2時間前、12時45分に来いと言われたのだが、12時半ごろにチェックインを済ませるとヒマでヒマで仕方がなかった。マナウスは一応国際空港だが、大した店も無く、時間をつぶせる施設もない。仕方なく、イスに座ってエクアドルで拾ったビジネス書を読む。
 午後2時45分、時間通りに飛行機は出発。機内はほぼ満席で、日本人の姿もチラホラ見える。空港を離陸するとすぐに市の南、ネグロ川とソリモエス川が大アマゾンとして合流する地点の上空に差し掛かった。ネグロ川の黒い水とソリモエス川の白茶けた水が混じりあわずに、何キロも平行して流れているのだ。この奇観は有名だが、空から見るとよく分かる。
 アマゾン河を後にすると、後はただ緑。「樹海」というのはこういうのを言うのだろう。富士の裾野くらいじゃ、「樹池」がいいとこだ。何せ、マナウスからサンパウロまで約2600キロ。これは北海道から台湾までの距離に相当する。そしてサンパウロに近づくまで都市らしい都市は見えず、ただジャングルと、その後に高原地帯が続くのみなのだ。世界の酸素の大半だか何分の一だかわからないが、ここから大量に生産されていると思うと御礼を言わずには居られないのだ。「おいしい空気をありがとう」

 サンパウロ時間(マナウスより1時間早い)で午後7時半頃、サンパウロに到着。「南米最大、ブラジルの人口と富が集中する活気の街」というので、何か暑いところを予想していたら、寒い!飛行場の気温計は12度を指している。これには本当にびっくりした。フリースを牛次郎に置いてくるんじゃ無かった・・・。
 国際線ではないので、入国審査など面倒な手続きはなし。荷物を受け取り出口を出ると、市内行きのリムジンバスの出発時間が迫っていた。ちょうど良いと、急いでチケットを買って乗る。
 リムジンバスは約30分でヘプブリカ広場に到着。サンパウロやリオは夜、危険だというので(両市とも現在、外務省が危険度「1」と発表している)、そこからタクシーを使って日本人街へ行こうと思ったが、目の前が地下鉄の駅だったので乗って見ることにする。荷物の大半を牛次郎に置いてきたので、身軽な行動ができるのだ。
 地下鉄は一律1.4レアル。チケットを買ってホームへ下ると、思いのほかモダンで綺麗。地下鉄の車内も幅がゆったりとしていて新しく、落書きなども無い。東京都営線なんかよりよっぽど綺麗だ。危険な感じは全くしない。
 無事、リベルダージ駅に到着。世界最大の日本人街(といっても、他にまともに機能しているのはロスのリトル・トーキョーくらいだが)は、この駅を中心に広がっている。
  向かった先はホテル池田。「あれ、荒木じゃないの?」という意見も多いだろう。ここ、サンパウロには「ペンション荒木」という老舗の日本人宿があり、多くの旅人はそこを利用する。 しかし私は今回、パスすることにした。荒木はドミトリー(相部屋)で、同じような旅行を続けている旅人と触れ合いながら滞在する。これは大変楽しい反面、時にエネルギーを必要とする。どこから来たのか、どこへ行くのか、社交事例的な自己紹介から始まり、やがて打ち解け、そしてウメさんらと私みたいに、その後の行動を共にする場合もある。私は今回、日本へ帰るためにサンパウロに来た。滞在は長くても5日だろう。その間、チケットを探したり、御土産を買ったりと忙しい。中途半端な人間関係を築くよりは、できれば、もっと時間がある時に「荒木」を利用したい。日本からサンパウロに帰ってきたときに行って見よう。

 ホテル池田は新館と旧館があるそうだが、駅から歩いて行くと旧館が見つかった。シングル、朝食つきで21レアル。「荒木」より9レアル高いのは承知だ。予想より部屋は汚かったが、通されたのはツインの部屋で、ゆったりとしていた。
 チェックインしたあとは夕食にでかける。もう午後10時を回っていたので、日本人街も閑散としている。歩いているうちに「回転寿司、定食・・・えびす食堂」という看板が目に入り、迷わず突入。寿司は日本に取っておくとして、豊富なメニューの中から五目ラーメンをセレクト。あと少しで日本に帰るのだから、何もここで日本食を食べなくても・・・と思うかもしれないが、近辺には日本食しかまともなレストランが目につかなかったし、第一、日本よりも安い。具がたっぷりとのった中華風のラーメンは8.8レアル(約500円)。うまい。

 空旅で疲れていたので、夜は早めに寝る。しかし、今日の空旅はわずか3時間半。地球の真裏、日本に帰るのにはこの7倍はかかる。しんどいだろうなあ。


出費                 37.5R  マナウスの宿代(5泊分)
            4.5R  インターネット
            1R  市内バス
            3R  昼食(ハンバーガー)
            12R  リムジンバス
            1.4R  地下鉄
            8.8R  夕食(五目ラーメン)
計        68.2R
宿泊         ホテル池田旧館
インターネット    Discover Internet
「久美子の言わせて!」
 明日ロンドンに発つ。ギリギリに奴はやって来た。長ーい間ずっと追いかけていたあの人とついに会うことが出来た。出発前に一度会っただけでEメールでは何度かやりとりはしていたものの、まさか本当に会えるとは思わなかった・・・。最後のNYを楽しんでユースホステルに戻ってくるとフロントにメモが置いてあり「NY到着!このレストランにいるから電話下さい」 と書いてあったので早速電話したら「今そっちにむかいました」と言われ待っていた。感動のご対面はユースの狭い廊下だった。 お互い「あれ?もしかして?」と指差し確認。そして感動!!ついに捕まえた!あのイトケンを。イトケンとは出発前に怪しいライダーの集会で一回だけ会って「僕もアメリカ大陸行くんです。どこか出会えるかも」とたったそれだけの関係だったけど、まさか本当に会えるなんて。しかもNY。もうだめかと諦めていたところにイトケン参上!うれしかった。二人の最後と最初のNYの夜を見晴らしのいいエンパイヤーステイトビルの屋上で過ごしその後、上田さん(ワユー)のいるレストランサッポロでラーメン&餃子をご馳走になりNY最後を飾るにふさわしく3人でバーで飲み話しまくった。ワユーもライダーで今は休憩中。来年の1月くらいからまた活動開始 するらしい。私たちは4時まで飲み続け別れた。少ししか会えなかったけどあのイトケンにあえてよかった。


2000年7月14日(金) 18、748、0000円引き出す(Buying the tikcet back to Japan)

 今日は18、748、000円もの現金を引き出した。もう少しで二千万円である。おい、お前はそんなに金持ちなんかい!!というツッコミが聞こえてきそうだが、まあ、最後まで読んで欲しい。

 朝一番で日系の旅行会社を回り、成田行きの往復チケットを探した。マナウスで会った旅行者がサンパウロでも安いチケットは出回っていなかったというので心配したが、JALでもヴァリグ航空でも1450ドル(往復、1年オープン)という代理店を見つけた。そうか、JALでも一緒なのか、とも思ったが、先日高くてもマイレージが付くヴァリグにしたので、せっかくだから日本へもヴァリグで飛ぶことにした。一番早く予約が取れる便を調べてもらうと、19日発、21日着。え〜、そんなに遅いの〜、もっと早いの無い?と代理店の金髪のお姉さん(ちなみに日本語ペラペラ)にオネダリすると、実はヴァリグ航空の成田行きのフライトは全日空 との共同運行で、機体こそヴァリグのものの、全日空が確保している席があるという。調べてもらうと17日発、19日着の便に全日空扱いの空席があった。即、予約を入れてもらい、購入を決定。
 VISAカードで支払おうと思ったが、全日空はブラジルでは新しい会社なので、カードでの支払いは出来ないという(真偽のほどは?だが)。現金で用意するしかないが、当然そんな金額は持っていないので、シティバンクの場所を教えてもらって地下鉄で下ろしに行く。
 
 シティバンクはサンパウロでも一大ビジネス街のパウリスタ大通りにあった。大きなビルで、おそらくブラジルでのメインのブランチだろう。早速ATMに向かい、現金を引き出そうとすると、最後に「日本円換算で000000円ですが、よろしいでしょうか」という確認のメッセージが出る。1回の引き出し限度額2000レアル(約12万5千円)を入力したのだが、日本円換算で「12、498、700円」と出る。初め、二つ目のカンマは小数点かと思ったが、どうみてもカンマの形をしている。百歩譲って小数点だとしても、それなら124、987.000円となるべきで、ケタが二つだけズレるということはあり得ない。これはおかしいとキャンセルし、係のお姉さんに言うと、今日はシステム上で問題が発生しており、午後3時には回復すると思いますので、その時に来てください、という。
 仕方なく、いったん日本人街に帰り「居酒屋 甚八」なるところでシャケ定食を食べ、しばらく御土産を買って、再びシティバンクを訪れる。
 再度ATMに向かうが、症状は同じ。お姉さんに「直っていない」というと、日本に問い合わせるでも、本部に問い合わせるでもなく、「上司」だというそこら辺にいたオバサンと相談したのち、「それはただのスクリーン・エラーであり、ご安心して引き出してください」というのだ。おいおい、そんな簡単でいいんかい?もし、本当に引き出されたらどうするんだ?当然、私は1200万円もの現金は持っていない。しかし、もし、データ上でズレているのが一ケタで、120万円と計算されたら、その額ならあるのだ。根本的に調べるでもなく、「ただのスクリーン・エラー」とする神経がわからん。エラーがスクリーンのみであり、データ上では問題無いと、どう保証できるのだ?よし、そこまで言うなら、あなたたちの名刺をくれ、問題があった時に困るから、というと、お姉さんと上司は「まだ、いうか」、というようなイヤな顔つきになった。「引き出しの際に控えが出ますので、それを証拠になさっては」というので、そうか、その手もあるかと思ってATMへ行く。2回に分け、2000レアルと1000レアルを引き出すが、控えの上でも100倍高い18、748、0000円引き出したことになっていた。まあ、大丈夫だとは思うが、気に入らないのは行員の対応、態度。そこら辺のローカル銀行でなく、天下のシティバンク、それもメイン・ブランチだぞ。そこのATMがエラー出しているまま稼動していていいんかい?明日までにチケット代を払わねばならないので、仕方なく引き出したが・・・。

 旅行代理点に戻り代金を払うと、チケットとともに会社の鞄もオマケでつけてくれた。30年前のハワイ行き団体ツアー客に配るような格好悪い事この上ないものだったが、御土産を入れるのにちょうど良い。利用するとしよう。フライトはサンパウロ17日23時50分発、 成田19日13時35分着。ロスでの給油時間を入れると、何と所要時間25時間45分。気が遠くなる〜。日本人街の本屋で、文庫本をいっぱい買って行こう。

 夕食はなぜかマクドナルドが食べたくなった。日本人街にあるマックへ行くと、ちゃんと看板にカタカタで「マクドナルド・ハンバーガー」、カウンターの下には「いらっしゃいませ」とミミズみたいな字で書いてある。しかし、それ以上に笑ったのが店の内装。障子を真似たガラスが窓に使われており、ところどころに和紙で作ったパネルが飾ってある。照明はちょうちん風だ。京都にだってこんなマック無いだろう。おそらく、世界で一番和風なところだ。

 夜は宿に帰って日記を打つ。日本人街にはインターネットカフェが無くて困っていたが、昼間見つけたコンピューター学校が明日の朝繋がせてくれるというので、行って見るつもりだ。


出費                  4.8R  地下鉄2往復
            2730R  航空券(両空港の使用税含む)
            8R  昼食(シャケ定食)
           5.4R  夕食(マクドナルド)
            3.2R  水、あんパン
計        2751.4R
宿泊         ホテル池田旧館


2000年7月15日(土) サンパウロ大学をさまよう(Wonder around in SaoPaulo Univ.)

 朝、インターネットを繋がせてくれるという近くのパソコン教室に行った。LANのシステムは無く、電話線を借りて自分のIDを使ってのダイヤルアップだった。サンパウロにはGRICのアクセスポイントが3ヵ所あるが、反応したのは1ヵ所のみ。海外のAPは本当に不安定だ。
 特別に繋がせてくれた雰囲気だったので、もしかしたらタダか?と期待したが、ちゃんと1時間5レアルという料金体系があった。まあ、おかげで今後も気兼ね無く来れるが。

 昼から、サンパウロ大学にあるブタンタン研究所に行って見ることにする。マナウスで、ブラジルの地球の歩き方を見ていたウメさんが「スゲー」と声を漏らしたことがあった。「どしたの?」と聞くと、サンパウロにブタンタン研究所という毒虫(クモ、サソリ、ムカデなど)や毒蛇を研究しているところがあり、4000種、4万匹の標本のコレクションがあって一般公開しているという。おお、虫が大嫌いだけど恐いものを見るのが好きで、上野動物園でもパンダの100倍、爬虫類館が好きな私には、たまらないスポットだ、と思ったのだ。
 サンパウロ大学までの行き方は面倒くさく、地下鉄で先日空港からのリムジンバスが着いたヘプブリカ広場へ行き、そこから大学まで行くバスに乗らなければならない。大学までは遠く、土曜日にはあまりバスの本数が無いだろうと心配したが、思いのほかすぐにつかまった。サンパウロ大学までは約40分、バスは市内を東西に貫いて走った。どこまで行ってもビルが並び、人口1500万を超えるという大きさが実感できた。
 無事サンパウロ大学に到着し、地球の歩き方にあったように「構内に入って三つ目のバス停」で降りたが、研究所がどこにあるかわからない。サンパウロ大学のキャンパスは広大で、土地を贅沢に使っているから建物と建物の間が遠く、歩くだけで疲れる。ようやく入り口を見つけると、なぜか閉まっていた。地球の歩き方には、月曜が休みとあったのに・・・。近くにいたホットドッッグ売りのおじさんが、裏にもいる入り口がある、というので、広い研究所の敷地をグルりと裏まで回るが、途中で道は門に閉ざされており、進めなかった。
 もう4、5キロは歩いていた。頭に来たので、もう帰ることにするが、帰り方がわからない。構内のバス停でしばらく様子を見るが、来るバス来るバス、みんな行き先が違う。聞いてもかえってややこしくなりそうで、適当なバスを選んで乗ったら、運良くヘプブリカ広場の近くまで行けた。

 その後はしばらく買物をし、宿に帰って夕方まで寝た。夜はずっと部屋でパソコンに向かっていたが、とても寒かった。日本では真夏の暑さだそうだ。いいなあ。


出費                  2.4R  地下鉄
             2.3R  バス
            2.5R  インターネット
           8.8R  昼食(カレーライス)
            6R  夕食(うどん)
計        22R
宿泊         ホテル池田旧館 インターネット    MITSUBOSHIパソコン教室


2000年7月16日(日) 半分日本(Half Japan)

 今日は特に早起きする必要が無いので、ホテルに付いている朝食を放棄して10時過ぎまで寝た。
 昨夜は冷たくて長い雨が降っていたが、朝には上がって青空が広がっていた。とりあえず、土産を探しに市内の北側、ショッピングモールが三つ集中しているところへ地下鉄で行く。しかし日曜のため、3ヵ所ともほとんどテナントは閉まっていた。マナウスでも日曜日はほとんどの商店が休みだったが、まさか、サンパウロの近代的なショッピングモールまで休みとは・・・。がっかりした。
 仕方なく、民芸品の市が開かれているというヘプブリカ広場に行って見たら、けっこうな賑わいで店もたくさん出ていた。なんだ、最初からここに来れば良かった。ブラジルの民芸品はペルーやボリビアのそれと比べると高くて品もイマイチだが、何とかまあまあの物を選ぶ。

 日本人街へ戻ると、駅前の広場で「東洋市」が開かれていた。焼きそば、餃子などの食物や、オリエンタルな民芸品の露店が建ち並び、ここもなかなかの活気だ。日本人街はまるで日本だ、と当初は思っていたが、最近は日本のようで日本でない部分が見えてきて、やはり半分日本、半分ブラジルなのだと思うようになった。
 完全に日本人にしか見えない店員でも、日本語で話しかけるとポルトガル語で返ってくる。日系スーパーで売っている商品も、商品名はカタカナで書いてあっても説明はポルトガル語。 ハッピを着て露店で餃子を焼いているおばちゃんは、よく見ると黒人だった。
 日系人でも世代が代わるうちに混血の度合いが上がり、日本語を知らない人が増えている。地元の商店には「日本語フェアー」「日本文化を守る集い」みたいなポスターが貼ってあったりして、何とか後生に日本語を伝えようと必死だ。日本人街には本屋が数軒あり、日本と変わらない品揃えがあるが、いつまで続けられるのか、と心配になってしまう。地元にできるだけ溶けこむ、というのが日系移民の良いところだが、日本人街から日本語の響きが消えて行くのは淋しいことだ。

 夜は明日の仕度をする。明日はいよいよ25時間超をフライトに挑戦。しかし、フライトは深夜発、それまで何して時間をつぶそう?ホテルは午前11時チェックアウトだし・・・。


出費                  3.6R  地下鉄
             5.4R  昼食(マクドナルド)
            5.5R  夕食(餃子、エビ団子)
計        14.5R
宿泊         ホテル池田旧館