旅の日記

コスタリカ・サンホセ編その2(2000年4月24〜26日)

2000年4月24日(月) つづく幸運(Changing the rire tire)

 幸運の女神はまだ私を見放さなかった。タイヤが見つかったのである!
 まず朝一番にホテルのすぐ近くにある大きなカワサキのディーラーへ行くが、タイヤはほとんど置いていない。近くにどこか無いか訪ねると、通りを挟んだ住宅街の中に部品屋があるという。言われたとおりに住宅街の中をほっつき歩くと、「Moto Boutique」なるバイク用品店を発見!店内にはところ狭しとオフロードバイクのタイヤやハンドル、ウェアー類が並んでいる。特にタイヤは地下の倉庫にもダダーンと並んでおり、こりゃ期待できる。で、店員に130/80−17と書いた紙を見せ、このタイヤが欲しいというが、無いという。え?こんなにあるのに?と、そこら辺のタイヤを見るが、微妙に16インチだったり18インチだったりする。取り寄せは15日かかるというが、コスタリカといえどもラテン社会、1ヵ月はかかるかもしれないだろう。
 あきらめて宿に帰り、宿のスタッフでホンダXL600に乗っているロサリオという男が起きるのを待つ。彼のバイクのタイヤもコスタリカで普通に出まわっているものよりも太いが、こういうのが手にはいるところを知っているのだそうだ。しかし彼は昨日のパーティで遅くまで騒ぎすぎたため、まだ寝ていた。起きるまでインターネット屋に行ってメールの送受信を行う。
 宿に帰るとロサリオが起きていたので、タイヤ屋の場所を聞く。すると、サンホセ郊外のウルーカ(Uruca)というところにバイク屋が集まっているらしい。早速言われたとおりにバイクで行く。ウルーカは国際空港方面に向かう高速道路にのって最初の出口で降りるところだ。すると、あるわあるわ、ヤマハ、ホンダ、スズキなどのバイクディーラーの他にも車のディーラーなどがズラリ、ここはサンホセの車・バイク街だ。コスタリカではヤマハが強く、町でもセローやDTばかり見かける。ウルーカのディーラーの中でもヤマハが一番大きく、パーツやアクセサリーの品揃えも豊富だ。早速部品担当の兄ちゃんに紙を見せると、そのサイズのタイヤがあるという!やった!と思って見させてもらうと、懐かしや台湾製チンシンタイヤ「MAXXI’S」・・・。値段は18000コロンというから60ドルくらいだが、アメリカでこのタイヤを履いたとき、どうがんばっても8000キロしか持たなかったのだ。ちょっと考えさせてくれと言って店を出て、別のところを探す。
 すると、「Moto Partes」という大きな用品店を発見。入るやいなや、何がそんなに嬉しいのか、笑いっぱなしのミョーに明るいオヤジが「アミーゴ、何を探しているんだ」とやってきた。紙を見せると、それならこれだ、とダンロップの同サイズのタイヤを持ってきた。しかし100%オンロード用のタイヤ、峠を攻める小僧が履くようなほとんどスリックのパターンだ。しかも値段は30000コロン(100ドル)以上という。これは参った。パターンと値段で選ぶならチンシンだが、何しろ耐久力が無い。かといってダンロップだと南米の悪路は走れないだろう・・・とロダンの考える人より考えに考える。するとオヤジがまた笑いながら、「ごめん、こんなのもあった」とダンロップのトレールマックスを持ってきた!これッスよ、探していたのは。価格も20000コロンちょいというから、チンシンとあまり変わらない。思わず「ムイ・ビエン」と、そのオヤジよりも幸せな顔つきで言うのだった。
 店の装備部門は閉店時間ギリギリにもかかわらずタイヤの交換にとりかかってくれた。日本からバイクで来たというと、みんな入れ替わり立替わりやって来て、いろんな質問をするのだった。いつも聞かれて一番困るのが「全部でいくら金がかかるか」という質問。正直に言ったら目の玉が飛び出てタイヤ交換に差しつかえるし、あまりにも安く言ったらウソだと分かるし。結局この日もテキトーにお茶を濁すのだった。
 ていねいにバランスもとってもらい、無事タイヤ交換終了。古いタイヤはまだ2分ほど山が残っていたが、ここで換えて正解だ。何でもここのバイク街にはパナマからも客が来るらしい。中米というとグアテマラがパーツが豊富で有名だが、ここウルーカのバイク街でもほとんどのトレールバイクのタイヤは手にはいるぞ!

本日の走行距離    12.7キロ(計23039キロ、リアタイヤ交換3回目)

出費                   965c  昼食(炒飯)
                      1000c  インターネット
                      2495c  ジーンズ
                      1000c  夕食(焼きそば)
                   20086.2c  タイヤ(カード) 
                      2063c  工賃
計         27609.2c

宿泊          Petit Hotel
インターネット     Internet Cafe Costa Rica
「久美子の言わせて!」…大大大冒険
 なにから書いていいのか・・・。私にとってはめちゃくちゃつかれた。普通のパッカーはみんなこんなものだろう。やはり人は見掛けで判断しよう。悪い人は結構いい人である。いい人そうにみえる奴は大概悪い奴が多い。人は信用してはいけませんなー。つかれた。
 まずグアテマラからメキシコの国境越えが大問題。私が「エルカルメンに行く」と言っているのに、どこからかきたおっさんが「近い、近い」といって無理矢理バスからおろしてへんちくりんなタクシー(荷台が前についていて後ろから自転車で押すやつ)にのせ、国境まで連れてってくれた。いったのはいいが訳わかんない。またそこはグアテマラからメキシコのイミグレーションがめちゃくちゃ遠い遠い。そしてメキシコのイミグレからタパチュラまでさらに遠い。やる気なくして交差点に座っていたらちょうどピックアップバンが通りかかったので、値段交渉してタパチュラまで行く。そのバンに一緒だった兄ちゃんがまたいい人でバスターミナルまで荷物を半分持って案内してくれた。ほんといい人だった。しかしセマナサンタの影響でプエルトエスコンディート行きの1等バスは売り切れ。すっごく疲れていたので、リッチに飛行機で一気にメキシコシティまで飛んでしまおうかと考えた。しかし時間がおわっていたのでやはり最初の目的,海をめざす。
 2等バスで先に進む。しかしこれがこんなに大変だったとは・・・。検問の度に起こされ荷物をチェック。私は1回だけ身分証明書を提示されられたけど、あれは時間かかるよー。乗り継ぎ乗り継ぎでグアテマラから27時間後にやっとプエルトエスコンディートに着いた。
疲れた疲れたつかれたよーーー。
 波が大きくてとてもボディーボードなんてできない。重たい荷物をしょって移動していたが、宿がなかなか見つからない。こうなったらいっきにメキシコシティに行こうかと思ったその時、またもや神が手を差し伸べた!



2000年4月25日(火) 幸運尽きる(The luck ends)

 さあ、無事タイヤも交換したし、出発の仕度を始めよう。まずはバイクの整備だ。ブレーキパッドは前後ともパナマで換える予定だったが、昨日タイヤを交換した際に見てみると後ろの減りが予想より早い。使用限界を示す溝がすでに消えていたので、後ろだけ交換することとする。パッド交換は難しい作業ではなく、ものの10分ほどで終了。
 さて、今度はタペット(バルブクリアランス)でも見ておこうか。ロスを出てすでに12000キロは走っているのでタペットと、本当はバランサーチェーンの調整時期だが、バランサーの方は大変な労力が必要なのと、これくらいの距離では実は大丈夫そうなので今回はパス。タペットを調整するためにまずカウル類とガソリンタンクを外す。するとDRは二まわりも小さくなって、まるで羽をもがれたカラスのよう。さて、プラグを外し、クランケースの点検キャップを外そうとする。しかし、点検キャップが開かない。この直径5センチほどの丸いキャップは中心に開いた10ミリの六角の穴にレンチをはめてクランケースにねじ込んであるのだが、ロスで締めたときにこんなにしたっけ?と思うくらい固い。ちくしょう、このカズヒロ様を怒らせたな、と思って力を込める。すると、あの、モロリというイヤ〜な感触!見ると六角のレンチは見事に穴をナメ、六角どころか10角くらいになっているではないか!や〜っちゃった、やっちゃった、なのだ。こうなったらもう元の10ミリではお手上げ。方法としてはもう一回り大きな六角レンチを押しこんで回すか、それとも何か溶接するか・・・?
 とりあえず街へ出て11ミリの六角レンチを探すが、10軒ほど金物屋、道具屋を回っても見つからないのであきらめる。仕方ない、切羽詰っている訳ではないし、今回のタペット調整はあきらめ、一時帰国する前に何とかするか。南米で工場か何かを探し、やってもらって、ダメならクランクケースごと持って帰ろう。ヘタしたらクランクケースごと交換?とか心配してしまうのだった。カズヒロの幸運ここに尽きたり。
 おかげで明日出発しようとしていたのに、仕度が全然出来ていない。そんなに仕度が必要なのか、と思われるかもしれないが、こういう旅をしていても1ヵ所から次に移動する時に腰を上げるのって結構重いんです。服も洗濯したいし、メールが何日できないとか家族などに知らせたいし、あと心の準備も・・・。というわけで出発は1日延期、27日になる模様。(模様って、また伸びるのか?)

本日の走行距離      0キロ(計23039キロ、リアパッド交換1回目)

出費                   698c  昼食(サンドイッチ)
                       500c  インターネット
                      1130c  夕食(サブウェイ)
                      4550c  宿代
計          6878c

宿泊          Petit Hotel
インターネット     Internet Cafe Costa Rica
「久美子の言わせて!」
 宿探しで途方に暮れていた私に、後ろから若い男の子(スイス人)が走ってきて「部屋をシェアしない?」と声をかけてくれた。最初はだまされるーと思ったけどひどく疲れていたので、それもしょうがないかと「OK」した。でもロウフ(彼)はとってもいいやつだった。22歳。若いなぁ。また若い男を騙してと思われるので、「私は27歳だ」と正直に言ったら皆びっくりしていた。20か21にしかみえない、若い若いといっていた。しーっしっし。カナダから来ているカップルのトットとニコル、ロンドンからのマット、スイス人のロウフ、ドイツ人のカロリーナと楽しい友達がいっきにできた。



2000年4月26日(水) サンホセ最終日(The last of San Jose)

 今日はサンホセ最終日。ちょうど1週間いたことになるが、もっと長く感じる。
 まずはインターネット屋をはしご。ホームページの更新とメールの送受信を別々にやらねばならない、というのはここで最後にしてほしい。ホームページの更新を行った方のカフェ(Internet Cafe Costa Rica)はLANがうまくいかないが、回線がとても速い。一時間単位で課金という恐るべきシステムなので、あまった時間で暇なときにやるためのRPGや麻雀ゲームをダウンロードする。一時間でも500コロン(2ドル弱)という金額だが。
 帰ってRPGの方を試しにやってみるが、そのまま2時間ほどやり続けて解いてしまった。フロッピーに入る大きさのソフトだからこんなものか。しかし、今日やるためにダウンロードした訳ではないんだが・・・。
 夜は近くの中華料理屋で飯を食べるが、大きなテレビが置いてあってアメリカの映画専門のケーブテレビを流している。今夜は美しい女性に宇宙人か何かが宿り、時として化け物になって人を襲う、という映画をやっていた。炒飯を食べながら、終わるまで約1時間半も見続けてしまった。
 さて、明日は出発。本当は美しいビーチとジャングルがあるマヌエル・アントニオ国立公園に行こうと思ったが、何か面倒くさくなってきた。一人でビーチ行ってもなあ・・・。という訳で、明日はがんばってパナマ国境付近まで行こうと思います。

本日の走行距離      0キロ(計23039キロ)

出費                  1050c  昼食(定食)
                       500c  インターネット
                      1050c  夕食(炒飯)
                      4550c  宿代
計          7150c

宿泊          Petit Hotel
インターネット     Internet Cafe Costa Rica
           Cybercafe Las Arcadas
「久美子の言わせて!」
 楽しい友達ができたので毎日一緒に海へ行き念願のボディーボードができた。シカテラはサーフィン&ボードをやるには波が高すぎてむりむり。ほとんどやってる人がいない。近くのカリサリージョ(Carrizalillo)へ行った。そこは波とりも簡単で楽しめる。地元のサーファーやボーダーと仲良くなりボディボードを教わる。うまいと絵になる。めちゃくちゃかっこいい。私もあんだけうまくなればいいけど。