旅の日記

ニカラグア編(2000年4月15〜16日)

2000年4月15日(土) 灼熱のニカラグア(Nicaragua is burning hot)

 さあ、ホンジュラスみたいに頭に来る国はそうそうに立ち去ってしまおう。
 朝8時半にチョルテカを後にすると、ニカラグア国境まではわずか50キロ、9時過ぎには着いた。さっそくギアが言い寄ってきたが、人数にして4、5人ほど、大人しい少年ばかりで、「ギアはいらん」と強く言うとサッと引いてくれた。駐車場にいた子どもにバイクを見ておうように言いつけ、出国の手続きをする。ペルミソのキャンセルで少しまごついていると両替商のオヤジが手伝ってくれた(両替はこっち側ではしないといっているのに)。結局オヤジとバイク見張りの少年に合計で30レンピーラのチップをあげる。
 橋を渡ってニカラグア側へ。こっちはさらに大人しく、ギアや両替商がかけ寄ってくることもない。イミグレの前にバイクを停めて、そこにいた少年の中でも一番貧しそうな少年に(明らかに浮浪孤児だ)、戻ってくるまで見張るように言いつける。さて、果たしてイミグレに行って入国の手続きをするが、日本人は最近ビザが不要になった代わりに7ドルでツーリストカードを取得せねばならない。入国管理の係官は一人しかいなく、長蛇の列ができていた。7ドルちょうどが無かったので、パスポートに20ドル札をはさんで無愛想なヒゲの係官に提出する。係官は奥の部屋へ行き、戻ってくるとまた他の人の相手を始めた。どうやら待てということらしい。
 しかし、10分たってもヒゲの係官は動かない。黙々と他の人のパスポートにスタンプを押しつづけるだけだ。「俺のはまだか」と言うが、聞こえていないのか無視しているのか、相手にしてくれない。すると、隣に並んでいたギアのオヤジが「こういう場合はこっちにあるんだ」と言って、裏の出国手続きのカウンターに私を引っ張っていった。「でも、こっちは出国側だぞ」「いいからいいから」。オヤジはカウンターの係官に「ハポンのアミーゴのパスポートはどこだ」と聞く。出国側の係官は「知らん」というが、ギアのオヤジはその係官の後ろの机の上にポンと置かれた私のパスポートを発見した。そこでなぜか出国側で入国のスタンプを押し、おつりの13ドルもくれた。変な感じ。
 さて、また流れでこのオヤジを雇うハメになった。まあ、国境越えにも疲れてきたし、失礼だが、あまり悪さができるほど頭が良さそうじゃないし、まあいいか。まずはオバちゃんの両替商にレンピーラをコルドバ(ニカラグアの通貨、レートは1レンピーラ=0.82コルドバ)に換えてもらい、書類一式を持ってイングレッソの窓口へ。グアテマラあたりまではバイクの書類というとペルミソ(一時輸入許可証)だけだったが、最近このイングレッソという書類が加わる事が多くなった。でも、何の書類だかよくわからない(オヤジは警察が何だとか言ったが)。10ドル払ってイングレッソを取得し、ペルミソを作ってくれる小屋へ。オヤジがまかせておけ、というので外で待ち、15分後に出てきたオヤジの持っているペルミソをチェックしたらナンバープレートの記載が間違っていた。やはりこいつ、頭が悪い。結局やり直させるのにまた15分ほど待った。
 ペルミソの作成では手数料はなし、最後にオヤジと見張りの子どもに合計で80コルドバ払い(オヤジにはあげ過ぎだった気もする)、国境を後にする。所要時間は両方で約2時間と、最近の中では早いほうだった。
 さて、首都マナグアを目指して走るが、道がひどい。前半の約80キロはハリケーンの影響で舗装は穴だらけ、橋もところどころ流されていて、仮の細い鉄橋がかかっている。横には大きな橋が建設中で、看板があるので見ると「日本の援助により橋を建設中」と日本の国旗が描いてあった。このような箇所は他にも2、3箇所あった。ちょっと日本人であることを誇らしく思うカズヒロだった。
 猛烈な暑さなのでTシャツだけで走るが、あたる風が熱くて全然涼しくない。まわりの風景も乾燥地帯なのか枯れ木が多く、荒れ果てた感じで、オーストラリアを思い出しながら走る。
 ニカラグア第2の都市レオンあたりから道は一転して良くなり、大型観光バスの後を追って飛ばす。途中で休憩したガソリンスタンドにはキレイなコンビニもあり、ATMの機械もあってVISAのキャッシングもできる。こういうのを見ると何かホッとするなあ。
 午後3時ごろに首都マナグア着。ウワサに偽り無し、閑散とした街だ。あまりの何もなさに、地図をみなければ自分が走っているのが街一番の大通りだということに気付かなかった。この街にある日本人宿「マンゴー荘」を探すが、住宅街の中で探しにくい。アンティグアでは「マンゴー荘は移転した」とのウワサも聞いたし、日も傾いてきたのであきらめ、安宿が密集している地帯へ。
 最初はあまりにも暑かったのでエアコン付きのホテルにしようかと思ったが、チェックアウトが朝の8時だとふざけたことをいうのでやめた。結局水シャワー、扇風機付きの5ドル(63コルドバ)の宿にした。宿から街一番のホテル「インターコンチネンタル」と、それに併設されているショッピングモールまで歩いて行けたので、夕食はその中にあったマクドナルドで食べる。しかし、喉ばかりが乾いて食欲があまりない。夏バテだ。

本日の走行距離    285.8キロ(計22258.9キロ)

出費           68L  ガソリン
             10L  ホンジュラス出国手数料
             30L  出国時ギア、見張りにチップ
            12L  ジュース
             17$   ニカラグア入国費用
            80c  入国時ギア、見張りにチップ
            63c  宿代
            36c  ジュース、ビール
             37c  夕食(マクドナルド、ピザ)
計          120L
          17US$
          216c(1米ドル=12.5コルドバ)

宿泊         Hospedaje Casa Azul



2000年4月16日(日) マナグア観光(Seeing Managua)

 今日は首都マナグア観光の日。昨日市場の近くでインターネット屋を発見したので行って見るが、日曜なので閉まっていた。残念。仕方なく、市場を抜けて旧カテドラルの方へ。
 市場は日曜ということもあって大変な活気だ。まるでマナグアが閑散としているのはみんなここにいるから、といった感じだ。しかし、市場の汚さは今まででもトップクラス。道路にはダンボール、野菜の切れ端、残飯などあらゆるゴミが堆積しており、それが水や泥と混ざってグチャグチャになっている。こんな所にサンダルで来たのを後悔した。自動車などはタイヤが半分ほどゴミに埋まっていた。誰がいつ掃除するんだろう。
 そんなこんなで遠回りして旧カテドラルへ。マナグア湖に面したこの一帯は他に革命広場や国立宮殿など見所が集まっていると言うが、日曜なのに人もまばら。外国人観光客は5、6人の白人グループとすれ違ったのみだ。

 まずは旧カテドラルに入る。ここは1972年の大地震で崩壊するまで、国を代表するカテドラルだった(現在は新市街に新興宗教の総本山みたいなヘンチクリンな新カテドラルが建っている)。旧カテドラルはそこら中に亀裂が入っているものの天使像やキリスト像などはそのまま残っており、今やここの主となった鳥たちのさえずりが響いて情緒深かった。
 次にマナグア湖を望む展望台へ。マナグア湖は琵琶湖よりも一回り大きな湖だが、その汚さにビックリ。水は灰色だし、変なニオイは鼻につくし、よく湖沿いに並んだ屋台でこの水を見ながらメシが食えるなニカラグア人。地球の歩き方によると、まわりの工場から40トンもの水銀性物質がこの湖に流れ込んだらしい。それほど汚いというのはわかるが、普通これだけ水を汚しているともっと工業とかが発展しているものだが、マナグアの閑散ぶりを見ていると無駄に汚した気がしてならない。あまり気分がいいものでもないので早々に立ち去る。
 革命広場は工事しているし、国立宮殿は興味ないし、あまりにも熱いしでタクシーに乗って郊外のメトロ・セントロというショッピング・モールへ。ここの映画館で昨日、デカプリオの「ザ・ビーチ」の看板を見た気がしたのだ。しかし、いざ行って見ると今はやっていなく、かわりにやっていた映画はどれもつまらなそうなものばかりだった。
 そこから「マンゴー荘」があるはずの所が近かったので、歩いていってみる。何回か「マルヤマさんの御宅はどこですか」と道を聞きながら行くと、ピンク色の建物を発見。建物は半分が工事中のようだが、洗濯ものが干してあるところを見ると移転はしていないようだ。まわりの住人も「ここがそうだ」というし。しかし、ブザーを押すが反応が無い。オーナーが出かけているのだろうか。あまりにも客が少ないのでペンション業は止めた、という話も聞いたが、本当に宿泊客はいなさそうだ。しばらく待つが誰も戻ってこないので、あきらめて立ち去る。
 腹は減るのだが、喉が乾いて食べ物が喉を通らない。昼食はアイスクリームのみだった。宿へ戻り、暑さが和らぐのを待つが、扇風機を全開にしても暑い。部屋の中は日陰にもかかわらず、腕時計の気温計は34度となっていた。どないなってんねん、と地球の歩き方を見ると、マナグアは4月が一番暑く、月間の平均気温は29度(!)だという。この暑さはパナマなどをしのぎ、おもだった中米の都市の中で一番の暑さだ。こんな所にいてはますますやせ細ってしまう。早く標高の高いコスタリカのサンホセに行こう。


本日の走行距離      0キロ(計22258.9キロ)

出費           10c  カテドラル入場料
            15c  タクシー
            14c  アイス
            63c  宿
            19c  ジュース、水
            50c  夕食(中華)
            12c  ビール
計           183c

宿泊          Hospedaje Casa Azul

「久美子の言わせて!」
 いよいよセマナサンタに突入、ホテル代は倍になるし、街のあちこちがいっきに華やかになった。しかも日曜なのでプロセッション(キリストの御神輿を担いで歩く行列)があり通過する道の上にはアルフォンブラ(じゅうたん)を敷き、といっても本物のじゅうたんではなく草や花などを使って道の上を奇麗に飾るもので古都アンティグアにはとてもよく映える。写真を撮りに出かける途中でめぐみちゃん(ダンス好きでこちらにしばらく滞在中)と出会い「もし暇ならアルフォンブラ作り手伝わない?」と言われ、「やったー」と思った。しかし、図案も無く材料も少なかったので、アルフォンブラ作りはなかなか難しかった。ジロー君(めぐみちゃんのダンス仲間)とめぐみちゃんと私とグアテ人のイエロンでいろいろ案を出し合いなんとか完成!写真でお見せできないのがとても残念だがなかなかの出来だった。完成後、あっという間にプロセッションに踏まれてしまったが、とても楽しく貴重な体験が出来てうれしかった。