旅の日記

エルサルバドル〜ホンジュラス編(2000年4月12〜14日)

2000年4月12日(水) さらば久美子、エルサル突入(Goodbye Kumiko, entering El Salvador)

 心配していた雨も夜のうちに上がり、朝は青空が広がっていた。よし、行けるぞ。
 朝食をレフヒオの一階のカフェテリア(といっても汚いテーブル数脚にハエ数匹)で食べる。ここの朝食は良く食べたが、これが最後だ。
 荷物をバイクに積み、久美子に見送られて朝10時前に出発する。そう、久美子とはここから別行動となったのだ。6月にペルーで合流する予定だが、それまでは別。別れるときは今までの事がこみ上げてきてちょっとグッときた。荷物が一人分になり、当然久美子もいなくなったからDRは軽快に走る。でも背中にあの重みが無いのが変な感じだ。
 グアテマラシティまでは何度も往復したいつもの道。シティを越えて国境のバジェ・ヌエボまでは険しい山道で、大型トラックが多いからよく渋滞している。アンティグアを出て約2時間半後、昼すぎに国境に到着する。
 着くやいなや、10人ほどのギア(ガイド)が案内をさせろ、とバタリアン(って映画知ってる?ゾンビより数段速いヤツ)みたいに一斉に駆け寄ってきた。全く無視し、税関へ向かうが、ギア10人はコバンザメのようについて来て「ここが税関だ」「あそこがイミグレだ」と、分かり切った事を恩着せがましく言う。それでも無視し、ペルミソのキャンセルとパスポートの出国手続きを済ます。手数料は一切かからなかった。
 10人ほどの取り巻きの中には、良く見れば両替商もいた。ここでハッと気付いた。ケツアル対コロン(エルサルバドルの通貨)の現在のレートを調べるのを忘れていた。たしかコロンはメキシコのペソと同じくらいだから、コロンの方が多くなるんだよな、と自分で確認する。レートを聞くと1ケツアル=1.1コロン。他に両替商がいなく、比較もできない。かなり悪いレートの気がするが、面倒くさくなって残っていたケツアル(579Q)を全てコロンに交換することにする。で、この金額を両替商に渡したら、彼(オヤジと言うには愛嬌がない。ちょっと悪そう)は自分の計算機を取り出して、ほらこの数字になるだろう、と計算してみせる。仕掛けでもあるのだろうと注意深く見ると、どう計算したのか、400数十コロンだという。アホか、何で減るんじゃ、と間一髪いれずツッコミを入れ、自分の計算機を出して636.9コロンだと説明すると、しぶしぶその額をよこした。ニセ札とかが入っていなければよいが。
 当然ギアにはチップなどやらず、エルサルバドル側へ。エルサルはウワサよりもずっと先進国だと聞いていたので、手続きは楽かと思ったら、大変な間違いだった。
 まずイミグレで入国の手続きを済ませて税関に行ったら、外の男に言え、と言われた。見ると、外で車を見ながら書類を記入している男がいる。「俺のバイクもお願い」と言って書類を渡すと、それに目を通して彼が言う事にゃ「俺、これからメシ」。仕方なく約30分、彼が昼飯を食い終わるのを待つ。すると興味深い男が話しかけてきた。
 彼は緑色のHYUNDAI(韓国の車)に乗っている男で、アメリカ人だという。彼も担当官の昼食で待ちぼうけを食らっていた。毎月一回、中古車をアメリカで買ってエルサルバドルまで運び、そこで売って生計を立てているという。いつもは一回につき4台買い、2台を自分で陸送(1台をもう1台で牽引する)、もう2台をマイアミからグアテマラのカリブ海側の港へ船で送るらしい。自分で運転する2台は約4日でエルサルバドルへ着き、そこでその2台を先に売り、それが済む頃には船で送った分がグアテマラに着くので、それを取りに行く。1台につき利益は800〜1500ドル、儲ける秘訣は「事故車などなるべく安い車を見つけ、新聞の個人売買でバカや金持ちに高く売りつけること」だそうだ。当然緑のHYUNDAIも売り物だという。私とそんなに歳が変わらないように見えるが、エルサルバドルに奥さんと子どもがいる。たくましいなあ。
 また、待っている間にそこら辺にいたオバちゃんの両替商にレートを聞いたら、1ケツアル=1.13コロンだった。こっち側の方が良かったが、あんまり変わらなくて良かった。

 そんなこんなで、ようやく昼食を終えて例の係官が登場。カルネの最初のページを見ながら彼はフレーム番号などを書類に記入する。そして複写式のB5くらいの紙をよこし、別の窓口で9コロン払ってここにスタンプをもらい、またあそこでメシを食っている警察官からもスタンプをもらえ、という。指示にしたがい、窓口で9コロンと引き換えにスタンプをもらい、警察官の方へ。するとこの警察官、なれていないのかもっと若い警察官に聞きながらチンタラと書類の裏に何か書いている。見せろと言ったパスポートは5分くらい眺めているし、こりゃ嫌がらせか。
 その後また別の窓口に呼ばれて書類記入代50コロンを取られ、ようやく2ヵ所にスタンプをもらい、税関の列に並ぶ。10分並んで空いた窓口に書類を出すと、登録証のコピーが必要なのよねえ、とオバさんがいう。裏のコピー屋で取ってきなさいというが、それなら先に言えっての。しぶしぶコピー屋でコピーを取り、オバさんに提出。5分待ってペルミソを作成してくれた。で、このペルミソのコピーを出口にいる警察官に提出しろ、というのでまたコピー屋へ行ってコピーを取る。二度手間取らすな、全く。
 そしてそのコピーを敷地の出口にある事務所の警察官(さっきとは別)に提出すると、「まいったなあ。登録証のコピーも必要なんだ」という。アホか、だったら先にいいなさい、っての。しかたなく、またまたコピー屋へ行ってコピーを取り(コピー屋のオヤジはその度に笑う)、警察官の元へ。「これで終わりだ」と彼がいうので、ホッと一安心。国境を後にすると、ガケ崩れがあったのか、400メートルほどひどい凸凹の箇所があった。それを越えると警察官が立っているゲートがあり、「ペルミソのコピーを提出しろ」という。これにはさすがにあきれて、しばらく声も出なかった。「さっき下の警察で出した」というが、「それは関係無い。ここはここで必要」というので、スーパーサイヤ人のように怒りで逆立つ髪を押さえて、また凸凹道を戻る。4たびコピー屋の世話になるが、ここでこともあろうに紙切れになり、オヤジが紙を補給する間待つ、というおまけまでついた。そしてようやく取ったコピーをゲートに提出、これで正真正銘の終わり。時刻は3時半、四国よりも小さな国を通過するだけなのに、手続きは3時間もかかってしまった。アホくさー、もっと簡素にしろよ。だいたい、国境に1台しかないあのMITAのコピー機が壊れたらどうする気なのだろう。
 国境から首都サンサルバドルまでの道は前半がところどころダートのひどい舗装路で、途中から片側二車線の美しい道となった。途中軽く雨に降られる。高度が下がったこともあってムシ暑い。まわりの山々はヤシの木が覆い、雨雲が山の頂上を隠す。いかにも熱帯、ディープな中米まで来たなあ。
 夕方5時半ごろサンサルバドルに到着。ここの治安は中米でも1、2を争う悪さだと聞いていたので、特に危ないという旧市街をさけて郊外の道沿いにあったホテルに入る。近くには中米でも最大の規模を誇るメトロ・セントロというショッピングモールがあり、歩いて行って見ると、アメリカでもなかなか無いほどの大きさで、中もビックリするほどキレイだった。この辺はいわゆる新市街で、地元のおばちゃんとかも夜間問題無く歩いている。ちょっと安心した。でも、人間コワイもの見たさっていう欲望もあるんだよねえ・・・。

本日の走行距離     270.1キロ(計21658.6キロ)

出費           18Q  朝食
            58.5Q  ガス代
              59c  バイク入国手数料
             4c  コピー代
            150c  宿代
             30c  夕食(焼肉)
            14.5c  水、カップ麺
計           76.5Q
           257.5c(1米ドル=8.7コロン)

宿泊          Hotel Shadai



2000年4月13日(木) サンサルバドルの1日(A day in San Salvador)

 昨日の「コワイもの見たさ」の欲求を果たすため、今朝はバスで旧市街の方へ。やはり旧市街の方を見ないとエルサルバドルという国を訪れたことにならないと思い、出発を1日延期したのだ。
 まずは旧市街でも治安が最悪と言う中央市場方面へ。近づくにつれて人と露店が多くなり、ゴチャゴチャとしてきた。市場では所狭しとおばちゃんたちが食料品の店を出し、買物客であふれてすごい活気だ。スリなどはいるだろうが、やはり昼のために全然恐くない。アンティグアの市場だってこんな感じだったぞ。
 次は中央広場方面へ。ここも地球の歩き方によると「地震で崩壊した建物がそのまま放置されており、立ち入りはすすめられない」と書いてあるが、全く問題なし。中央広場では警察官が日向ぼっこをしているほどのどかだった。広場にはカテドラルと国立宮殿が面しており、いずれも白く美しい建物で、地震で崩壊した建物はどこじゃい、と探してしまった。そういえばさっき、市場の近くに廃墟があったような無かったような。いずれにしても、昼間では街のコワサがわからない。
 エルサルバドルは中米でも一番小さな国だが、人口密度は一番高い。そしてエルサルバドル人は働き者、だから12年も自分たちの理想のために内戦を続けたし、もともとスペインから中米連邦が独立した時も口火を切ったのはエルサルバドルの人たちだった。それを繁栄してか、旧市街では市場に限らずすごい活気がある。街を歩く人のスピードも速いし、ちょっと東京を思い出した。
 それにしても暑い。4月は雨季直前で、年間を通して一番暑い月らしい。旧市街をウロウロして疲れたので、帰りはタクシーで新市街へ戻る。
 宿に帰って昼寝したあと、ヒマなので昨日のショッピングモールへ映画を見に行った。アメリカ式の大型の映画館で、全部で6本やっているが、あまり面白そうなのはやっていない。その中で「A Simple Plan」という映画を選んだ。ストーリーは、アメリカの片田舎に住んでいる真面目で勤勉な男が、オツムのちょっと弱い兄と、その友達でさらにオツムの弱いアル中の三人で、雪山から墜落した小型飛行機と、それに積んであった現金440万ドルを偶然発見する。男がその金を預かり、春まで待ってほとぼりを冷ましてから3等分すると決めるが、オツムの弱い兄とアル中がどんどんボロを出して・・・というもの。出ている俳優は男の妻役にブリジット・フォンダが出ているくらいであとは分からなかったが、兄役がいい味を出していた。映画の舞台といい、雰囲気といい、「ファーゴ」を思い出した。予想より面白かったが、冷房が効きすぎていたのでちょっと寒かった。でも国際学生証が効いて少し安くなったのが嬉しい。
 その後は同じモールの中にあったインターネットカフェへ行って見る。とても自分のパソコンを接続させてくれる雰囲気ではなかったので(店内がキレイすぎた)、グローバルIMEをインストールさせてくれと言ったが、最初は断られた。しかし、これがあれば日本人観光客がワンサカ来るとでまかせを言って何とかOKをもらう。無事CD−Rに焼いた同ソフトをインストールし、フリーメールでメールの送受信を行う。最近なぜかヤフーメールの調子が悪いので、ホットメールのアドレスを新たに作った。ここのカフェの回線速度は速く、悪名高いホットメールでもストレスを感じなかった。
 さあ、明日はまた国境越えだ。もしかしたら一気にホンジュラスも抜け、ニカラグアまで行けるかも!?

本日の走行距離       0キロ(計21658.6キロ)

出費            1c  バス
             25c  タクシー
            7.75c  ジュース
             150c  宿代
            28.5c  昼食(マクドナルド)
             25c  映画
             35c  インターネット
             39c  夕食(魚)
            16.7c  パンなど
計          327.95c

宿泊         Hotel Shadai
インターネット      Cafe Internet EJJE

「久美子の言わせて!」
 私から「ここから先は別行動する。私は海へ行き遊んで暮らすのだー」と言ったにもかかわらず、いざひとりになると無性にさびしい。いつも部屋に帰るとカズが居たし、何ヶ月もずーっと同じ時間を過ごしてきたから、急にぽつーんととり残された感じ。カズを「あほー。ばかー。はげー」と言っていたのがすごく昔に感じる。6月に合流するまでお互いが、どのように成長しているかとても楽しみだ!
 昨日映画「SALVADOR」をひとりで見に行った。いつもは通訳(カズ)がいて分かりやすいのだが・・・。映画を見た後、カズは無事エルサルバトルを通過できるか心配になった。たくましくなれよー。

カズへの一言」(New)
 時間がなくて食べれなかった「出前一丁」食べたよ。めちゃうま!ほんとうについてない人だ。



2000年4月14日(金) 怒りのホンジュラス入国(Entering Honduras)

 クソー、今思い出しても頭に来る。今日のホンジュラス入国のことだ。
 エルサルバドルからニカラグアまでは、最短で140キロくらいしか間のホンジュラスを通らない。今朝は出きるだけ早く起き、一気にホンジュラスを抜けてニカラグアまで行こうとしたが、甘かった。午前8時前にはサンサルバドルを出発し、約3時間半かかってホンジュラスとの国境に着いた。
 はじめは国境が近いとは気付かず、道路上にコーンが置いてあったものの、きっと検問か何かだと思い、人がいないように見えたのでそのまま通り抜けようとした。そしたら脇から少年のギア5人ほどが駆け寄ってきて、今の所で止まらねばならないという。仕方なく引き返し、道路脇の建物の前にバイクを止める。まだ国境では無いが、どうやらここでペルミソのコピーを取っておかねばならないらしい。いつもより出国の手続きが面倒くさそうなので、ギアの中から10コロンで全部やるという少年を雇う。まずはペルミソのコピーを取り、ゲートにいる係官にスタンプをもらう。次に実際の国境まで進めというので、少年を後ろに乗せて約4キロ先の国境へ。
 国境へ着くとさらに多くのギアがワンサカ寄ってきた。しかしすでに少年がいるので、すぐにあきらめる。他のギアがしつこく言い寄ってこないだけでも雇ったかいがあった、と思った。しかし国境での手続きはいたって簡単で、少年がいる必要はなかった。ペルミソのキャンセルに20コロンかかる、と少年がいうので窓口で払ったら、係官はそのまま机の引出しの中にポイと入れた。「レシートが欲しい」というが、聞こえないフリして無視する。クソー、ぼられた。最後に少年に約束の10コロンを払うが、「さっきの20コロンは俺の金だ。払え」とふざけた事をいう。「そんなバカな。ほなさいなら」と引きとめる少年を振りほどき、橋を渡ってホンジュラス側へ。しかし、試練はここからだった。
 ホンジュラス側のイミグレではバスの時間と重なったのか、大勢の入国希望者が列をなしていた。約20分ほど並び、その間に両替商と残ったコロンを全てレンピーラに換える。レートは1コロン=1.59レンピーラ、エルサルバドル側では1コロンに対して1.25レンピーラだった。やはりこっち側の方がいい。ようやく番が回ってきて、30レンピーラでパスポートにスタンプをもらう。
 次に問題のバイクの通関。まず税関で指定されたイミグレの隣の部屋に行くが、そこは午後1時まで昼休みとのことなので、約20分ほど待つ。時間が来てドアが開くと、みんな一斉に入ろうとする。ドアには番が一人いて、一人入ったらドアを閉めようとする。しかし、並んでいる人たちは俺も入れてくれ、と無理やり入ろうとする。まるでタイタニックの救命ボートに乗ろうとしている人たちみたいだ。はじめは列の後ろの方で大人しく待っていたが、ドアの所でいい位置をキープし、手まねきしている男がいる。そういえば、エルサルバドル側で、「ホンジュラス側に渡ったら俺を雇ってくれミスター」と言ったギアだ。まいったな、雇う約束はしなかったんだが、と思うが、このまま大人しく列に並んでいても日が暮れそうだ。男の所まで行き、失礼、失礼と横入りし、部屋に入って書類を提出する。しかし、担当官はペルミソはここではない、裏の税関だ、という。税関でここに来るようといわれたというと、税関の係あてにメモを書いてくれ、これを渡せと言う。なんじゃそりゃ。それにしても、何の部屋だよここは。
 横入りさせてもらった流れ上、そのギアを雇わねばならなくなった。まあ、その方がスムーズに行くだろう、と思ったのが間違いだった。まずは税関へ戻り、メモと書類を提出する。次に入国の用紙を120レンピーラで買い、別の窓口で20レンピーラでタイプしてもらう(なぜ最初からその用紙をよこさないんだ)。それを税関へ持って行き、ペルミソを打ってもらうが、そのために30分も待たされた。しかもこのペルミソを打つ人たち(2、3人)がタチ悪く、顔見知りのはずのギアが頼んでいるのに、今休憩しているからイヤとか言って、しばらく書類を受けつけなかったのだ。公務員だろう、お前ら。ちゃんと仕事せい。で、ようやく出来たペルミソだが、手数料が308レンピーラ+タイプ代50レンピーラという。ばかな、高すぎる、と抗議するが、書類にもその金額が打ってある。しぶしぶその金額を払う。しかし、すでに500レンピーラ近く払っているぞ。
 最後にゲートのポリスにスタンプをもらわねばならない、とギアがいうので、一人の警察官の所へ。しかし、これが間違いだった。「ここで280レンピーラ俺に払え」とその警察官がいう。これにはさすがに頭に来て、「何のために。今までにすでに500も払っているのに」と抗議するが、「いつもならこの金額は銀行に収めるはずの手数料だ。今は銀行が閉まっているから(実際そうだった)、俺が受け取っておくのだ」という。「そんな手数料は聞いた事が無い。払うんなら、ちゃんと領収書をくれ」「ばか、警察官に領収書などあるか。何なら、明日銀行が開くまで、お前を通さないぞ」。最後はサングラスの奥からニラミをきかせ、すごまれた。クソ、この警察官とギアがグルだ。今思えば、ギアがこの警察官に話しかけるとき、他の警察官がいなくなって一人になるのを待っていた。払いたくないが、その場合この警察官がどんなイヤがらせをしてくるかわからない。仕方なく、280レンピーラ(約20ドル)もの金額を払う。払うやいなや、警察官は金をポケットにしまい「行っていい」という。「おい、書類にサインも何もしないのか?だったらこの手数料は何だ」と最後の抵抗をすると、しぶしぶ書類に意味のない何かを書いていた。
 約2時間半もかかって全てが終わり、バイクへ戻って走り出そうとすると、ギアが思い出したように「俺の仕事料は?」という。クソ、きっと警察官からリベートをもらうくせに、と思いながらも20レンピーラを払って国境を後にする。
 今、宿で落ち着いて考えても、あの警察官に払ったことは仕方のないことだったのか、もっと抵抗すべきだったのか、分からない。あの場で払わずにゲートまで行き、他の警察官に聞いたほうが良かったかもしれない。しかし、そうしたらあの警察官はどうしたろうか。もともとあのギアを雇わねば良かったのだが、そうしたらもう1時間はかかっていただろう。それほど税関の係官の態度は悪く、排他的だった(ギアしか建物の中に入れさせなかったり、そのギアでも場合によっては入れないこともあった)。エルサルバドルより時間はかからなかったが、やり方がひどいぞホンジュラス。
 結局合計で800レンピーラ近くもかかり、国境を後にしたのは午後3時近く。これでは今日中にニカラグア入国は無理だ。約70キロほど行ったところにあるチョルテカの街で泊まる事にする。80レンピーラで駐車場の広いモーテル風のホテルを見つけた。ただし扇風機があるものの、標高がほとんど無いために全開にしても汗ばむほど暑い。これからしばらくは暑さとの闘いだ。

本日の走行距離    314.5キロ(計21973.1キロ、チェーン引き1目盛り)

出費          76c  ガソリン
             6c  ジュース
            30c  エルサルバドル出国費用
            778L  ホンジュラス入国費用(ほとんどボラれ)
            80L  宿代
            31L  夕食(肉)
            21L  カップ麺、水
            12L  ジュース
計           109c
           922L(1米ドル=14レンピーラ)


宿泊          Hotel Pacifico

「久美子の言わせて!」
 先週から虫(ダニ系)にやられ、ぼりぼりと掻く日々を送っていた。 同じベッドに寝ていたにもかかわらずカズは全然刺されていない。 なんかすっごく、くやしい!カズがいなくなって、部屋を移動しても やつらはしつこくくっついてきて、さらに陣地を広げている。 毎日洋服を洗濯し、日に当て寝袋も日に当てているのに全く効果なし。 辛抱たまらず、ある行動にでた。
 まず夜寝る前にシャワーを浴び、体をきれいにしてから今まで刺されたところ全部に 薬を塗った。その上にさらに赤ペンでマークした。なぜなら朝起きて数が増えているか確認するのが簡単だから。なかなかいいアイデアだと思うんだけど。でもあの姿は人には見せられない・・・。 案の定数が増えていたので皮膚科の病院へ行きあやしい診察をして薬をもらう。高くついたがこれで治れば・・・と無け無しの金を支払う。 虫のせいで毎晩寝るのが恐いよー。かゆいよー。虫なんて大っきらいだー。あほー。

「カズへの一言」
 病院行ったからカズにもらったQ1000にもう手が出てしまった。久美子ピンチ!