2000年4月3〜7日(月〜金) 学生になる(Learing Spanish in a school)
いよいよ今週はスペイン語強化週間。月曜から金曜までの5日間、スペイン語学校に通うのだ。我々の申し込んだ学校「カノ」は宿から歩いて10分、月曜の朝6時半に起きて朝食を食べ、8時前に初登校。授業はマンツーマンで、同じ先生がずっと受け持ってくれる。私の先生はマルコ、グアテマラ大学で心理学を学んでいるご覧のとおりの色男だ。彼の大学は午後からで、このアルバイトが終わったあと1時間半かけてバスでグアテマラシティのキャンパスまで行き、講義が終わってアンティグアの自宅に戻るのは午後9時過ぎだという。忙しい日々、今の私にはマネできない。 さて、スペイン語の授業は朝8時〜12時まで、10時から休憩30分をはさむ正味3時間半だが、これがとても長く感じる。思えば、高校の50分の授業だって集中して聞くことはできなかったし、大学の90分授業なんて、全部を聞いてまともにノートを取ったことなど1度もなかった。それがいきなりの2時間+1時間半授業、しかもマンツーマン。最初こそ新しい経験だから楽しく感じたが、2日目ではやくもイヤになった。 マルコは動詞の活用など基本からはじめ、便利な表現や例文を分かりやすく説明してくれる。安い学校は先生の当たりはずれがあるというが、彼は間違い無くアタリだろう。しかし真面目な分一生懸命教えてくれるから、それに応えないと悪い気がする。しかも心理学を学んでいるというから、ちょっとボケっとしたり、別のことを考えていたりすると見透かされそうで恐い。そして毎日宿題が出る。大した量ではないが、宿に戻るともうノートを開きたくない心境なので、やり終えるのに大きな精神的エネルギーを必要とする。毎日授業が終わると昼食を食べ、昼寝をし、起きて宿題をして夕食を食べて早く寝る、という生活だ。 何とか良い生徒を演じて三日目、マルコが生の音楽に興味はないか、と聞いてきた。無いわけではないと答えると、明日の夜自分のバンドが地元のライブハウスに出るので聴きに来いという。さして他にすることもないので、木曜の夜は彼の指定した場所へ。すると、色男ぶりにますます磨きがかかり、狭いステージの上でギターをかき鳴らすマルコの姿が。バンドの名前は「Tabu」、英語で言うタブーという意味だ。メンバーは4人、ドラムとベースのリズムセクションがイマイチだったが、マルコのギターはとても上手だった。あの忙しい毎日を送りながら、どこにこんなに練習する時間があるのだろうか。曲はスペイン語のロックばかりだったが、有名な曲なのだろうか、客の多くは一緒になって歌っていた。 金曜、昨晩の曲はどこのものか聞いたところ、なんと自分たちのオリジナルだという。本当は大学で音楽を勉強したかったが、グアテマラでは無理だそうで、仕方なく心理を専攻したそうだ。機会があれば卒業後プロになるか、アメリカで音楽を学びたいらしい。でも、アメリカは高いから、と寂しそうに付け加えた。 木曜の夜は遅かったのか、金曜の最後の授業ではさすがにマルコも眠そうだった。私もつられて出るアクビを殺しながら、何とか5日間、17.5時間の授業は終わった。40ページのノートをちょうど使いきるほどの内容、最後は動詞の過去形だった。すべて理解したとは言いがたいが、それでも達成感があり、まるで夏休みに突入した子どものような気分。アンティグアでスペイン語を学ぶ日本人のほとんどはもっと長く通うが、みんな真面目なんだなあ。 金曜の午後は来週の旅立ちに備え、オイルを交換。新たな門出が近い。 |
5日間の走行距離 0キロ(計21385.7キロ、オイル交換9回目) 出費 458.25Q 食費 420Q 宿代 39Q インターネット 108.5Q 写真現像代 計 1025.75Q 宿泊 Posada Refugio インターネット Enlaces |
「久美子の言わせて!」 5日 あとちょっとで物凄いものを見られる瞬間だった。というのは、アンティグアには1個も信号がない。たぶん世界遺産に登録されているということで作れないのだろう。なので、交差点ではどちらかの方向にたいがい一時停止の標識がある。あれでよく事故らないよなー、といつも思っていたのだ。今日、遠くからパトカーがサイレンを鳴らしながら石畳なのに物凄いスピードで走ってきた。途中サイレンをなぜか止め、私達がいた交差点に近づく。その交差点では1台の車がハンバーガーを買いに行く為に停車しており、イラだった後続の車がそれを抜かし、横から交差点に進入するところだった。停まっている車でお互いが見えない。あーぶつかるー!!車がぶつかるのを見たい!という気持ちとあぶない!という気持ちが瞬時に浮かぶ。追い越そうとした車はゆっくり進んでいたので、あと少しという所でパトカーに気付き停車。その瞬間デビルになり、おしい!(不謹慎)と思った。パトカーは交差点で急ブレーキをかけ、しばらく停まりその車をじーっと睨みつけていた。パトカーからして見れば「おいおい前の車はちゃんと俺達の為に停まっているのに、貴様はなんて野郎なんだ!このやろー!」といった感じだろう。「怒れる神父イダルゴ」ならぬ「怒れるポリシア」であった。あんなに急いでいたにもかかわらず、しばらく停車していたのだから相当怒っていたのであろう。結局、一番迷惑かけたハンバーガーを買いに行った奴らが良い子ちゃんになってしまった。学校とかでもそいつが一番悪いのに、なぜか先生怒られなかったり、逆に誉めらる奴っているよねーとカズと盛りあがった。世の中間違っている。 |
昨日までのように早起きはしなくてもよいが、習慣で8時ごろに目が覚めた。朝食を食べ、近くの市場に買い物に行く。 アンティグアの市場は土曜日になると色鮮やかな民族衣装に身を包んだおばちゃんたちが一斉に店を開き、果物や野菜と言った食料を中心に売る。雑貨などの露店は他の日でも出ているが、土曜日の活気は格別なのだ。 特に何を買うわけでもないが、おばちゃんたちの食品売り場をウロウロし、ときおり写真を撮る。レフヒオのキッチンがもっと使いやすく、冷蔵庫があれば買物ももっと楽しくなるだろうに。市場の出口に近い雑貨屋でソニーのヘッドホンを、宿の近くの路上で土産売りのおばちゃんからロウソク立てを、また靴屋では中敷を買った。 午後は映画を見に行った。といっても映画館ではなく、ビデオ上映屋だ。アンティグアには映画のビデオを上映するスポットが多く、ミニシアターのように暗い小さな部屋にモニターが置いてあるだけの所や、レストラン、バー形式をとっている所もある。スーパーや食堂、また宿の掲示板には各種ビデオ屋の上映予定表が貼ってあり、みんな好みの映画は上映されないかコマメにチェックしているのだ。我々が今日見ようと思ったのは「Lock, Stock, and the two smoking Barrels」というイギリス映画。詳しくは知らないが、アンドレアス(そういえば彼は火曜日に出て行った)と、アミーゴで出会いここで昨日再会したヨシトミさんがおすすめだというので、見に行く事にしたのだ。 人気のある映画だそうだが、上映開始の3時半になっても客は我々だけだった。広さ12畳くらいの部屋にソファーが何列か置いてあり、一番前に28インチのモニターが置いてある。一番前のソファーに座り、貸しきりの状態で映画は始まった。 舞台はロンドン。4人組みの遊び仲間が一山あてようと軍資金を集め、高レートのポーカー賭博に挑戦するが、イカサマにはめられて逆に高額の借金を背負うことになる。返済期日は1週間後、過ぎれば仲間の父親のバーがカタに取られる。途方に暮れる4人だったが、偶然隣に住むギャング団の部屋からマリファナの売人宅を襲う計画が聞こえてきた・・・。 複雑に入り組む各登場人物の事情、物語はタランティーノの「パルプ・フィクション」のように各人の視点から進み、最後に一つとなる。説明じみたセリフが多くて最初は分かりづらかったが、登場人物全員が把握できたあとは簡単でスピーディーな展開、2時間弱の上映時間はあっという間に過ぎた。それにしてもロンドンのコックニー訛り、懐かしい。でも、ロンドンって街はもうお腹いっぱいって感じなんだよね。4年近くもいたし。 |
本日の走行距離 0キロ(計21385.7キロ) 出費 26Q 朝食(オムレツ) 50Q ヘッドホン 15Q ロウソク立て 5Q 靴の中敷 7Q ジュース 15Q 昼食(肉) 19Q 映画 12Q インターネット 37.80Q 夕食(バーガーとビール) 計 186.8Q 宿泊 Posada Refugio インターネット Enlaces |
「久美子の言わせて!」 今日はテピータの願いをかなえてあげた。石鹸できれいきれいに洗い、ぴかぴかにキレイになったテピータを屋上で陰干しした。これでまた悪から守ってもらえるかな。よろしく! そのあとメルカド(市場)で買物しようとでかけたら、ばったりオサに会った。オサとは「アミーゴ」で一緒だったスウェーデン人の女の子で、自転車でパナマまで下り貨物船でインドへ行く、と言っていた。しばらくの間オアハカ(メキシコ南部にある町)に居たが最近南下してきているという噂を聞いていたので、会うかなぁとは思っていたが、突然でびっくりした。オサはとても元気そうだった。つたない英語だったがいろいろと話をした。突然「唯土さん(ゆいと)は?」と聞いてきた。まず唯土を説明しよう!彼は自転車で南米まで下る計画で、私達と同じ頃「アミーゴ」へやって来た。その後唯土の計画は私達のように崩壊し、今もまだ「アミーゴ」に居る。雨季を計算して6月頃には出発する予定らしい。1度はオサと共に南下するはずだったのでオサは唯土のことをオアハカで待っていたらしい。なので、オサはまたアンティグアで待っていようとしたのだろうか?唯土からきいた新しい予定と、彼が来ない事をオサに説明。ちゃんと通じたかな?唯土よ!まったく罪作りな男だな!オサにはあきらめてもらおう。 |
この三日間は新たな旅立ちの仕度をゆっくりとした。 日曜日の午後、街はまた広場を中心にセマナ・サンタの前祝いで盛り上がっていた。先週より人出が多く、みんな道沿いに腰掛けて例のプロセッション(行進)が来るのを待っている。この盛りあがりようだと先週より大きな神輿でも来るのかと期待して待ったが、一時間待っても一向に来ない。そのうちまわりはすっかり暗くなり、久美子が体調が優れないというのであきらめて宿に帰った。 月曜日の午前中はホコリまみれのバイクを洗う事に。街外れのバイク屋が15Q(200円ちょっと)で洗ってくれるというので、お願いした。2、30分で終わるかと店内で待っていたが、全然終わらない。心配になって裏に見に行くとオヤジが丁寧に手洗いしてくれていた。結局1時間かけて洗ってくれ、DRは「こんなにキレイだったっけ?」と思うほどピカピカになった。嬉しいが、あまりのキレイさに余計目立つバイクとなってしまった。 午後、カンクンのカサ吉田で一緒だったゴローさんがレフヒオに到着した。近くのピザ屋で大きなピザを買い、ゴローさん、ヨシトミさんと4人でビールを飲みながら食べる。こうして話しているとアミーゴが懐かしくなった。いつかまた戻りたい。 火曜日の朝はアンティグアで買った服や民芸品、写真などを送るために郵便局へ行った。地球の歩き方には1キロ以上の小包は1キロずつの小分けにしないと送れない、とあるが、実際は問題なし。ただし航空便しかなく、料金はメキシコよりも高い。キロあたり180Qくらい(約2800円)はすると聞いて覚悟はしていたが、実際計って見ると荷物は5キロ以上あり、693.5Qと言われた。DHLで聞いた値段よりは当然安いが、それでも意識が薄れるくらいの高さ。仕方なく払うが、ここで疑問なのは、なぜメキシコとかグアテマラってのはこういう小包の料金が高いのに、高額の切手が無いのだろうか。偽造防止のためかもしれないが、ここの郵便局であった最高額の切手は1枚5Q。ということは5Qの切手を138枚、3Q、0.5Qを1枚ずつ、計140枚の切手を貼らなくてはならない。切手は箱の周囲を全て覆い、貼り終えるのに20分はかかった。メンドクサー。 あ、ここで思い出した。メキシコの切手のことだ。メキシコから日本に絵葉書を送ると5.9ペソという料金がかかるが、何とその額の切手が無い。だから「日本へ絵葉書を1枚」とお願いすると、6ペソの切手をよこされる。当然おつりもくれない。おい、なんじゃそりゃ。10センタボの立場は?5.9って決めたんなら、その切手つくらんかい!6ペソしかないなら、最初から料金を6にしとけ! アンティグアの最後の夜はバー「ピカソ」へ。この間ヨシトミさんに連れて行ってもらったところだ。一杯目のジントニックが無くなったところで一人のベリーズ人が話しかけてきた。生まれはスコットランドだというその黒人はすでに出来あがっているのか、英語とスペイン語を混ぜて精神や神について話し始めたので疲れた。そのうちに外では雨が降り始め、その影響か停電となった。しばらくローソクの灯りで彼と話していたが、明日の仕度もしなくてはならないので宿に戻る。雨足は強くないが、シトシトと長く降るようないやな感じだ。そういえばさっき雷光が山を照らしていたし、いよいよ雨季の到来か。出発にはちょうど良いかも。 |
3日間の走行距離 2.8キロ(計21388.5キロ) 出費 270.9Q 食費 29Q フィルム 15Q バイク洗車 120Q 宿(二泊分) 713.5Q 小包、絵葉書送料 40.1Q シャンプー、歯磨き 17.5Q ゴミ袋、小物入れ 54Q インターネット 計 1260Q 宿泊 Posada Refugio インターネット Enlaces |
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