旅の日記

グアテマラ・アンティグア編(2000年3月23〜27日)

2000年3月23日(木) アンティグア着(Arriving Antigua)

 朝早く出ようとしたら、アンドレアスも仕度をしていた。彼は大都会が嫌いなので、グアテマラシティを迂回するダートロードでアンティグアを目指すらしい。彼に我々はレフヒオというホテルに泊まるつもりだと告げ、再会を約束して別れる。
 我々の選択した道はグアテマラシティを経由するメインルート。途中までは気分よく飛ばせる道だったが、グアテマラシティに近づくにつれてアップダウンが激しくなり、交通量が増えた。登りで前に遅いトラックがいたりすると、抜かすまでに真っ黒な排ガスを浴びなくてはならない。登りになると二車線に増えるが、下ってくる車も容赦無く抜かしてくるので、追い越し車線にずっといるのは危険だ。遅い大型車の間をぬうようにしてグアテマラシティに着く。
 遠くにはモダンな高層ビル群が見えるが、中心部に行くと大変なので、シティをぐるりと回ってアンティグアに向かう道を探す。グアテマラの道路標識はメキシコよりしっかりしている感じがするが、それでもよく分からない。何度か道を聞き、迷いながらようやくグアテマラシティを抜けてアンティグアに向かう道を見つけた。道が見つかればあとは簡単、景色のいい山道を飛ばす。遠くには富士山にそっくりのアグア火山が見える。アンティグアはその近くだ。
 グアテマラシティからは30分ほどでアンティグアに到着。街に入ったとたん石畳の道になり、凸凹していて走りづらい。それもそのはず、アンティグアは16世紀に当時の首都としてスペイン人によって建設されたコロニアル調の古都。大地震による被害で首都はグアテマラシティに移されたが、アンティグアには地震で被害を受けた古い建物などがそのまま残っており、メキシコのグアナファト同様、街全体が世界遺産に指定されている。街からはアグア火山をはじめとする山々が目の前に見え、景色も素晴らしい。一大沈没地とされるだけあって、長期滞在の予感がします。
 まずは安宿の定番レフヒオにチェックイン。ここは特に日本人宿ではないが、日本人旅行者が多く宿泊することで知られる。メキシコシティの「アミーゴ」やカンクンの「カサ吉田」で知り合った旅行者が何人か来ているはずだ。バイクが停められるか心配だったが、扉つきのパーキングがちゃんとあった。これで安心。
 ホテルに入ると、すぐにアミーゴで会った坂本さん、カンクンで会った前君と渋谷さん、そしてベリーズシティで一緒にテレビを見たあの学生と再会した。世界は狭いなあ、というより、日本人の行動パターンの狭さか。
 腹が減っていたのでまずは市場で昼食。帰ってくると、アンドレアスがちょうどレフヒオに着いたところだった。我々より2時間余計にかかったが、とても景色の良いダ−トロードだったという。
 アンドレアスの荷物を運ぶのを手伝った後はバイクの修理。最近チェーンからチャリチャリ音がすると思ったら、二つあるゴム製のチェーンローラーのうち上の方に亀裂が入り、外れていた。運良くローラーは引っかかって残っていたが、何で亀裂が入ったのかが分からない。とりあえず元の位置に戻しておく。
 その後はインターネット屋を探す。さすがに一大観光地というだけあって数多くのインターネット・カフェがあるが、予想に反して自分のパソコンを繋がせてくれるところが見つからない。どこも商売繁盛で混み合っているためか、それともいじられるのがイヤなのか、理由を聞いても「どうしても」というのが多い。4、5軒回ってもダメで、見つけた最後のカフェでようやくOKが出た。OKというより、ここはモバイラーのために専用の机があり、LAN接続も今までのようにカフェのパソコンからケーブルを外して接続するのではなく、新たにIDやパスワードを登録して自分のパソコンをネットワークの一員にするという手の込んだもの。初期登録料に30Qかかるが、これで接続できるのならまったく問題ありません。
 うまく接続ができたところで久美子を残し、私はホテル「アンティグア」へ。ここは街一番の高級ホテル、普段なら縁の無いところだが、今夜ここでアメリカ人ライダー・マイクから教えてもらったBMWミーティングのレセプションが行われるのだ。まずは60Q払って登録し、BMWのロゴが入ったTシャツやタオル、キャップとともに明日、明後日のスケジュールを受け取る。明日みんなでパナハッチェルまで走りそこで一泊、明後日に戻ってくるという。私は明日だけ参加するつもりだ。
 午後7時にホテルの中庭でオリエンテーションが始まった。参加者の多くはグアテマラ、エルサルバドルの住人で、BMWなどのバイクに乗れるのだからかなりの金持ちばかり、40〜50歳代の白人系がほとんどで、みんな小奇麗な格好をしている。会場では生バンドが小粋なラテン音楽を演奏しているし、オイルの染み込んだTシャツの私と、くっついてきたアンドレアスの2人は完全に場違いだった。しかし、新車のBMWの展示やパリダカのビデオの上映、新型車「F650パリダカ」の発表など、興味深かった。マイクとも再会を果たし、ホテルに帰る。
 夕食はレフヒオの屋上で前君が作ったスパゲティを食べる。レフヒオでは屋上のキッチンでみんなで夕食を作って食べるというのが習わしだが、ここでバハ半島のラパスで出会い、アミーゴで再会したあの変なTシャツを着る彼とまた遭遇してしまった。「あれ、ここで何してんの」って、こっちのセリフですがな大将。イヤ〜、世界は狭いなあ。

本日の走行距離     228.2キロ(計20846.8キロ)

出費         20Q  昼食(市場で定食)
           63Q  ガソリン代
           60Q  宿代
           60Q  BMWミーティング参加費
           36Q  インターネット代
           16Q  夕食
計          255Q

宿泊        Posada Refugio 
インターネット   Enlaces



2000年3月24日(金) 暴走族になる(Big BMW meeting)

 今朝は8時半に教会に集合。中米のバイカーたちとパナハッチェルまで走るのだ。時間通りに着くが、集まっているバイクは10台ちょっと。思ったより少ない。集まったバイクをしげしげと見ていると1台、また1台と増えてきた。8時半集合というのに、もう時計は9時を回った。まだマイクたちが来ない、と思ったら、最後に大集団が轟音を響かせてやってきた。これで集まったオートバイは何と50台ほど。ほとんどが750CCを超える大型のオートバイで、約6割がBMW。オンロードとオフロードの両方、新旧のBMWが勢ぞろいだ。残りが日本車勢、KTMが1台だけいた。みんなピカピカにバイクを磨いていて、文句無く私のDRが一番キタナイ。それでも日本から来ているという事で、密かに注目を浴びたのだ。
 街ゆく人は何が起こったのか、という目で教会の前に集まった集団を見る。バイクの多いグアテマラだが、高級車がこんなに集まったのを見るのはおそらく初めてだろう。この集いも、これが第一回目だという。私も中米でこんな集会に参加できるとは夢にも思わなかった。
 ただ、問題が一つ。主催者側がテキトーなのか、どうゆうグループ分けをするとか、どこで休憩するとか、何の説明もないままに数名のライダーが自主的(だと思う)に走りだし、他のライダーも、おお出発かと後を追う。流れ解散ならぬ流れ出発で、少しずつ集団は教会を後にする。
 我々は街外れのスタンドで給油をしていた大きな一団を発見、一緒に走る。集団だから安全運転かと思うが、みんないい歳して運転は強暴。街中でもかまわずバンバン遅い車を抜かして飛ばす。郊外にでれば120キロくらいの速度でワインディングを爆走する。遅いトラックなどをみんなで追い越す訳だけだが、一番先頭のバイクが抜きにかかり、後続も行けるようなら後ろに「来い」とハンドサインを出し、だめそうなら「来るな」と出す。この仕草がカッコよく、私も先頭になったときには超得意気に同じ事をやるのだった。
 当然バイクの種類も違うから、ペースも違う。速いバイクはバンバン他のを抜かして前へ行くし、遅いのはトコトコ走っている。私もがんばって一番速いレベルの人たちと走ろうとしたが、抜かし方がハンパじゃないので無理だった。みんな対向車が来ているというのに反対車線に突っ込んで抜かすし、ブラインドコーナーでも抜かしにかかる。一番アグレッシブだったのはGSX−R1100に乗ったオヤジで、あと少しでバスと正面衝突だった。みんないい身分で、守べきものも多いだろうに。死に急ぐなかれ。
 パナハッチェルまでは150キロほどの道のりだが、走って楽しい道をコースに選んでいるらしく、ほとんどが気分良く飛ばせるワインディング。不思議なことに、途中何ヵ所かにパトカーが止まって道ゆくバイクを見ていたが、明らかにスピード違反なのに何の手出しもしない。まさか主催者が買収したわけでもないだろう。
 警察も手出ししない熟年暴走族は、昼過ぎにアティトラン湖を望む展望台に到着した。ここからは「世界一美しい」とされるアティトラン湖と対岸の火山が一望でき、天気がいいこともあって素晴らしい眺めだ。ここでしばし休憩、他のライダー達と話をするうちにパナマとコロンビアのBMWディーラーと知り合いになった。これで両国で何かあれば頼れるぞ。

 その後は湖畔の町パナハッチェルへ下る。街外れの高級ホテルの駐車場がゴール、飲物とサンドイッチが用意されていた。このホテルがみんなの泊まる所かと思いきや、違うらしい。ただ駐車場が広いので勝手に集まったようだ。マイクは「何が何だかわからん」と主催者に不満だったが、我々は多いに楽しんだ。
 走り出したのと同じように、何の説明もないまま流れ解散の様相を呈してきたので、一服したあと、マイクたちに別れを告げてアンティグアへ戻る。ホテルに戻ったあと、久美子が歯医者に行ったので、私はバイクの修理。昨日チェーンローラーを亀裂の入ったまま元に戻したが、やはりその亀裂から軸が抜け、ローラーが抜けていた。スペアのローラーはないので亀裂を接着剤で貼り合わせたが、これで持つだろうか心配だ。


本日の走行距離     236.7キロ(計21083.5キロ)

出費         18Q  朝食(オムレツ)
           22Q  昼食(スープ)
           60Q  宿代
          20.25Q  水、洗剤
          32.80Q  夕食(ハンバーガー)
計        153.05Q

宿泊         Posada Refugio

「久美子の言わせて!」
 
朝から引き続き咳がひどかったが、がんばってツーリングに行く。行く前は「なんでそんな集まりに参加せにゃあかんのだ」とちょっといやいやだった。集合場所に行って見るとズラーっとぴかぴかのBMWがたくさん並んでいて、おおっと思ってしまった。私の偏見だが、ライダーはあんまりカッコ良い人がいなくてオタクっぽいと思っていたが、みんな新しいジャケットを着て、ぴかぴかの新車に乗っていてめちゃかっこいかった。これならツーリング許す!と考え直したのである。たぶんこのツーリングが特別なんだろうけど。何台かのお気に入りのバイクに乗せてもらい写真を撮った。自分じゃ買えないからね。いよいよアティトラン湖へ向かって走り出した。追い越しの時のハンドサインがめちゃくちゃかっこよかった。私達は日帰りで帰ってきてしまったので明日の夜、打ち上げパーティみたいなのに顔をだそうと思う。みんな金持ちだろうからそこで数人のおやじとお友達になっておこう。うまくいくかな?乞うご期待!
 それとは別に昨日の夜からめちゃくちゃへこんでいた。なぜなら、歯を磨いていたら突然、前歯が欠けてしまった。昔治した歯だったから最近ちょっとやばかったんだけど、何もこんなところで欠けなくても…。すきっぱでまぬけ顔になってしまった。今日、自力で近くの歯医者にいき、とりあえず治してもらおうと思ったらこれがあなた、なかなかうまくいったのだ!一件落着!甦ったのである。今日は幸せに眠れるのだ。



2000年3月25日(土) まったりする(A day off in Antigua)

 今日は久しぶりに予定の無い日。朝ゆっくりめに起きて朝食を食べ、その後はたまっていた日記をつけたり、天気が良いので洗濯をしたり。一段落した後、市場へ行ってみると週末ということもあって大変賑わっていた。昼食は日本食屋「マサラ」でラーメンを食べたが、もう一味ほしい味付けだった。ただし店に日本の雑誌が置いてあって嬉しかった。
 インターネット屋でメールの送受信やホームページの更新を行った後、夜7時からホテル「アンティグア」で昨日のBMWミーティングのパーティがあるというので潜りこもうと思ったが、一人120Qかかるというのであきらめた。中米の金持ちとアミーゴになるという久美子の野望、破れたり。
 結局街のレストランで鳥を食べる。いい街だが、さすがに「地球の歩き方・中米」の表紙になるほどの観光地、生活感があまりなくて地元の人が行くような食堂が少ない気がする。物価も高いし、長期滞在したいところだが金がかかりそうだ。

本日の走行距離         0キロ(計21083.5キロ)

出費         30Q  朝食(卵)
           55Q  昼食(ラーメン)
           60Q  宿代
            9Q  アイス
           12Q  インターネット代
           15Q  絵葉書
          73.80Q  夕食(チキン)
計        254.80Q

宿泊        Posada Refugio
インターネット   Enlaces



2000年3月26日(日) 十字架の丘(The hill of the cross)

 今朝は、他の人と走るのがイヤといってBMWのミーティングにも参加しなかったアンドレアスが、意外にも一緒に走ろうというので、まずはシウダード・ビエハへ行く。この古い街はアンティグアから10分ほどのところにあるが、1541年まではここがグアテマラの首都だった。その年、スペイン人の総督が戦死し、その未亡人が初の女性総督になることを宣言したが、そのわずか36時間後に富士山そっくりのアグア火山が大噴火して街は崩壊、彼女も命を落とした。今でもその未亡人が住んでいたという城の一部が残っているが、大したことなかったので写真はなし。話はドラマチックだけどね。
 次にアンティグアの反対側、「十字架の丘」へ。この丘はアグア火山をバックにアンティグアの街が一望でき、地元の人にも人気のスポット。ただし街外れのさみしいところにあり、人の少ない平日は強盗が出るというので週末まで待っていた。アンティグアの街をはずれて凸凹の山道を登ると、ものの5分で到着。週末なので地元の人や観光客が多く、警備のためか警察官も数人いたが、なるほど、人里から離れていて強盗なら襲いたくなるスポットだ。でも、ここはアンティグアのマスト・スポットとしてあげなければならないほど眺めがいい。十字架と古都と富士(アグア火山だけど)、絵になるなあ。今度は富士と鷹とナスビの写真が撮りたいけど。
 ホテルに帰ってバイクを置いた後、街へ写真を撮りに出た。色鮮やかな民族衣装を着たインディヘナの女性を撮りたかったのだ。しかし、これがけっこう難しい。年配のおばちゃんなんかは写真を撮られると魂まで取られると半ば本気で信じているらしく、カメラを向けるとサーッと立ち去ってしまう。少女たちはOKしてくれるが、それでも恥ずかしがって顔を隠してしまう。今度は自然な感じで撮ろうとするが、長いレンズではないので寄らないと撮れない。もっとズームが効けばいい写真が撮れるのに残念だ。
 昨日のラーメンがイマイチだったので、昼食はもう一軒あるという日本食屋へ。名前は「よしの」、今日のランチはカツカレー定食だというが、カツが無くなってしまったので普通のカレーに味噌汁をつけてくれて、なおかつ安くしてくれた。店の雰囲気や店員の対応、料理のでてくる早さといい、こっちの店の方がいい。店内も日本人観光客で賑わっていた。また来るのは火より明らかなのだ。
 その後は民芸品の市場でショッピング。観光地なので値切っても値段が高いけど、グアテマラ特有のビビッドな色合いの帽子や素朴な感じのシャツが魅力的で買ってしまった。これでどこから見てもラテンアメリカかぶれの観光客のできあがり。こんなルックスの観光客がアンティグアには大勢います。
 夕食は市場方面へ行ったら、夜でもやっている安食堂を発見。ちょっと味が濃いけど、ようやく庶民感覚で夕食を食べられるところを見つけられたので嬉しい。ここにまた来るのも、火より明らかだ。

本日の走行距離      18.1キロ(計21101.6キロ)

出費         18Q  朝食(卵)
           46Q  昼食(カレー)
           60Q  宿代
           25Q  フィルム
           125Q  民芸品   
          19.8Q  ビール、ジュース
          31.5Q  夕食(魚)
計         325.3Q

宿泊        Posada Refugio



2000年3月27日(月) まったりする2(The second day off)

 遅めに起き、朝食を食べたあと街をブラつく。本屋でロンリープラネットの南米版が売っていたので買う。この「ロンリープラネット」シリーズと、別の「ハンドブック」シリーズを英語で書かれたガイドブックの二大巨頭として私は認識しているが(世間ではそうじゃないかもしれない)、どっちも分厚く、びっしり細かい字で書かれているのが読むのに面倒くさそうで、今までは敬遠していた。しかし、情報量が「地球の歩き方」などに代表される日本語のガイドブックとは圧倒的に違う。日本人バイカーやチャリダー、バックパッカーの間でも愛用者は多い。私もどこかで買おうかな、と思っていたらこんなところで売っていた。金額もアメリカで買うのとそんなに変わらなかった。
 午後はゆっくりとインターネットをやる。わがホームページのヒット数が伸び悩んでいるので、「一発太郎」という、ヤフーなど各サーチエンジンに一発で登録依頼ができるというホームページを利用する。登録するのに30分ほどかかったが、これで色んな人が見てくれれば嬉しい。
 明日は朝からグアテマラシティに行くので、早めに寝た。

本日の走行距離         0キロ(計21101.6キロ)

出費         25Q  朝食(卵)
           15Q  昼食(中華風焼肉)
           180Q  宿代(3泊分)
           203Q  ロンリープラネット
           18Q  インターネット代   
          34.80Q  夕食(ハンバーガー)
          10.90Q  カップ麺
           12Q  チョコレート
計         498.7Q

宿泊        Posada Refugio
インターネット   Enlaces