旅の日記

メキシコ・チアパス編(2000年2月24〜27日)

2000年2月24日(木) チアパス州突入(Entering Chiapas)

 朝早くオアハカを抜け、一路西へ。オアハカまではまっすぐな高速道路だったが、一転してカーブのきつい山道となった。まあ、高い高速料金を払わなくて済むが。
 途中の村の食堂で昼食を食べ、午後2時ごろテナンテペックに到着。ここは高度がほとんどなく、海にも近いので蒸し暑い。この先はかなり離れたチアパス州の州都トゥクストラ・グェテーレスまで町らしい町がないので、泊まるならこの町だが、勢いもついているので先へ行く事に。
 しばらく走ってチアパス州に入った。メキシコの中でも最も原住民の比率が高く、そして貧しい州。ゲリラ活動も多く、確か外務省の危険情報でも「注意喚起」になっていたと思う。しかしパレンケをはじめ見所も多く、なによりここを通らないとグアテマラに下れない。気を張って州境を越えたが、なんのことはない。田舎道が続くだけだ。
 夕方トゥクストラ・グェテーレス着。久々の500キロオーバーとなった。最も貧しい州の州都だというから、さぞかし悲壮感がただよう町かと思ったら、比較的新しい町らしく、道もきれいに整備されている。マクドナルドやケンタッキーといったアメリカのファストフード店や、デパートも多い。こりゃだまされた。しかし、所詮は田舎、物価が安い。中心地でパーキング付のビジネスホテル風の宿に泊まったが、それでも120ペソだった。うーん、ちょっと我慢すればここに住めるぞ。

本日の走行距離   539.4キロ(計17753.8キロ)

出費             44N$ 昼食(定食)
                86N$ ガス代
                10N$ ジュース、アイス
                15N$ ビール
                26N$ 夕食(タコス)
               120N$ 宿代
計             301N$

宿泊           Hotel Fernando

「久美子の言わせて!」
やはり呪いがかかっていた。先日カズがミイラパワーで運がつきまくっていたことがあったけど、こんなになってしまうなんて…。バイクで走り出してからずーっと「けんけん」咳をしているし、昨日夜中に突然目が覚めて、第2回腹痛大会を起こすし、みるみる痩せていく。あわててロモティル(下痢薬)を飲む和広であった。あんまり飲むといざって時に効かなくなるぞ。これ、どっかで聞いたセリフだなあ。でも、ほんと大丈夫かな。食欲はあるけどたくさん食べないし、「ほんとカズくん死んじゃうよ」っていったら「そんな風に言われたらなんていっていいかわかんないよ」と真剣に心配していた。ちょっといじめすぎたかな?咳がひどくならないと良いんだけど。痩せゆく旦那を持つと極悪妻に見られるからなぁ。頼むからふとってくれ!



2000年2月25日(金) リーさんの小包(The parcel of Edward Lee)

 昨日無理してトゥクストラ・グェテーレスまで来たのには訳があった。ペンション・アミーゴで一緒だったリーさんが以前チアパスから小包を出したのだが、料金が不足でタパチュラの郵便局で止まっていた。必要な分の追加料金をトゥクストラ・グェテーレスの郵便局へ送金したのだが、それ以来音沙汰が無いという。そこで、トゥクストラに行く事があったら中央郵便局へ行って問い合わせて欲しい、と頼まれていたのだ。郵便局は当然週末が休み。ということは、金曜である今日中に解決したかったのだ。
 朝一番で郵便局へ行き、リーさんが教えてくれた女性を訪ねる。その女性は休暇でいなかったが、その上司が直接話を聞いてくれた。モスコソさんという、スーパーマリオみたいなそのオヤジは郵便局でもかなり偉い人らしく、けっこう広い個室を使っていた。モスコソさんは小包の件について、スペイン語はわからんって言っているのにベラベラとスペイン語で話した。全然わかりません、と首をかしげていると、オヤジの机の上に「Lee」と書かれた箱を発見。なんだ、ここにあるんじゃん。
 オヤジが言うには、追加料金が送金されたことは知らず、小包をどうしたらいいのか困っていたという。オヤジは秘書を使って送金された金のことを色々調べたが、ちょっと時間がかかるという。いったん朝食を食べて戻ったが、まだ分からない。こりゃ、ヘタしたら午後になるかも。この件でこの町にもう一泊はしたくなかったので、ええい面倒くさい、不足分を払ってしまう事にした。金額は130ペソだが、これのために一泊すれば、もっとお金がかかる。オヤジはもったいない、あとでまた来い、無理なら数日後に戻って来い、というが、130ペソのためにわざわざここには戻りません。130ペソ分の切手を買って箱に貼り、一件落着。あとは走るぞ。
 小包の一件があったので出発は午後1時過ぎ。でも次の目的地のパレンケまでは300キロほどだし、夕方には着けるだろうと思った。
 そしたら、大間違い。トゥクストラ・グェテーレスから次のサンクリストバル・デ・ラスカサスまでは80キロほどの距離だが、その間に高度を1500メートルほども上がる。当然道も険しい山道で、遅いトラックなどが前をふさぐ。結局サンクリストバルまでで1時間半もかかった。しかし、パレンケまではもう220キロ、がんばれば着けるだろうと思った。
 そしたら、大間違い。道はさらに険しくなり、断続的に原住民の村が続く。村に入るとトペという、スピードを殺させるための高い段差があるので、ゆっくり走らなければならないのだ。原住民の方々はもっと素朴かと思ったら、貧しいだけあって、かなり切羽詰った目をしている。子どもも「金をくれ〜」と追ってきたりする。いつしか景色は深いジャングルとなり、日陰になると結構暗い。時間は午後5時、パレンケまで120キロほど残したオコシンゴの町で今夜は泊まる事にした。何も無い町だが、ホテルは数軒あり、うちガレージ付きのところに泊まった。明日はパレンケを見るぞ。

本日の走行距離   183.7キロ(計17937.5キロ)

出費             49N$ 朝食
               130N$ 切手代
             108.5N$ ガス代
                 5N$ ジュース
                77N$ 夕食(定食)
                17N$ 朝食の買物
                90N$ 宿代
計           476.5N$

宿泊            Hotel San Jose

「久美子の言わせて!」
ほんとやばい!カズの体はおかしいぞ。だって常にうんこしているんだもん。食べたらうんこ。ありゃぁ絶対、食べた量より出しているほうが多いね!カズにそういったら、カズも「これじゃあ太れないね。ははは」と淋しそうにいった。ほんともうすぐ死んじゃうよ!誰かミイラの呪いを解いてくれ〜!  
それと今日はちょっぴり悲しい出来事があった。山の途中のさびれた町を通ったときのこと。道の端に男の子と女の子(まだ4、5歳くらい)が立っていたので「ばいばーい」って手を振ったら彼らは「金をくれー」と叫んできた。なんかとっても悲しくなった。少ししか変わらない地域なのに随分、貧富の差があるんだなぁと思った。これから先はもっと増えていくんだろう。なんだか、かなしいなぁ。



2000年2月26日(土) ジャングルの中の遺跡(The ruins of Palenque)

 出来れば、今日中にパレンケ見物を済ませたい。朝一番にオコシンゴの町を出て北へ向かう。パレンケまでは相変わらずの山道だが、かなり下ってきているのがわかる。次第に暑くなり、緑は深く、ヤシの木が目立つようになった。もうこりゃ、すっかり南国ですな。
 パレンケ遺跡観光の基地となるパレンケ村までは120キロの道のりだったが、やはり到着に2時間ほどかかった。中心街でホテルを探すが、バイクを駐車できるところがない。結局、町の中心から少し離れたホテルにした。入り口の前にバイクを停めるしかないが、まわりはのどかな住宅街。大丈夫でしょう。
 チェックインしたあとは早速パレンケ遺跡へ。村から8キロ離れているが、こんなときバイクがあると便利、10分も走ればすぐ到着。メキシコの学生証を見せれば、無料で遺跡に入れます。
 遺跡の門をくぐり、しばらく歩くと深いジャングルを抜けた。そして、大遺跡群が見の前に広がる。おお、これはわざわざ遠回りして、あんな山道を走ってきたかいがあった。何しろ、スケールが違う。深いジャングルの中にそびえる本物のマヤ遺跡、「インディージョーンズ」の映画や、ディズニーランドのジャングルクルーズに出てくるようなセチュエーションが、本物として見の前に広がっているのだ。
 パレンケは7世紀に繁栄したマヤ文明の都。衰退し、放棄されたあとは800年近く人知れずジャングルの中で眠っていたという。ロマンですなあ。18世紀になってスペイン人の宣教師が発見して世界に紹介したが、おかげで後から来たスペインの調査団が略奪を行ったりして結構ダメージを与えたらしい。発見された当時はまだ屋根が残ったりして、かなりいい保存状態だったというのに、何てことすんねん。
 しかし、その後もいろんな発見があったらしい。1952年には神殿の地下から、パレンケを最も繁栄させたパカル王の墓が発見された。それまで、マヤ文明のピラミッドは宗教儀式を行うためのものとされてきたが、エジプトみたいに墓の役割もあったことが判明したのだ。
 発見された棺などは、みんなメキシコシティの人類学博物館に展示されているという。そういえば、そんなのあったなあ。できれば、こういう現地の遺跡を見たあとであそこに行きたかった。逆だと、イマイチ実感が沸かないんだよね。
 それにしても、メチャクチャ暑い。暑い、熱い、厚い、篤い。高度もほとんど無いし、湿気はあるし、日差しはあいかわらず増量キャンペーン中だし、まるでサウナ風呂。こんなに汗をかいたのは本当に久しぶりだ。本当は遺跡でゆっくり時間を過ごし、マヤ遺跡の謎に思いを馳せようかと思ったが、そんな場合ではない。2時間ほどで遺跡を見終わり、出口のジュース売りからコーラを買ってイッキ飲み。こんなにジュースが美味く感じるのもなかなか無いぞ。
 帰りに道の途中にある博物館へ寄り、遺跡の壁面にあったというレリーフを見る。この一帯は強盗の危険があるというので、遺跡から博物館までは歩かないようにと「地球の歩き方」に載っていたが、グリンゴ(白人)たちはジャングルの中をみんな歩いていた。でも、本当に危ないという雰囲気はない。
 村に戻っても喉の渇きはいえない。スプライトの2リッターボトルを買って、ガブガブ飲みながら町を散策。KLR650でアメリカから来ているという青年に会って立ち話をしたが、その間も異様に汗が出た。普通の会話をしているのに、蛭子よしかずのマンガみたいに何故か汗をダラダラかく日本人。怪しく見えただろう。
 村では2軒のインターネット屋を発見。それぞれ1時間40ペソと25ペソだという。当然安い方に行き、LAN接続をしてもいいというので繋げる。しかし、インターネットは出来るけどメールがうまくいかない。店員のオヤジに聞くが、設定の方法がわからない、というよりパソコン全般についてあまり詳しくない。聞くと、まだここはオープンして3日目だそうだ。どおりで、マシンもみんなピカピカなわけだ。もう1軒の方も新しかったし、最近できたんだろうなあ。しかし、こんなジャングルの中の陸の孤島まで普及するとは、時代の波だなあ。
 しかたないのでメールはフリーメール経由で送る。2時間やったが、CD−ROMのことについて相談にのったら半額にしてくれた。ここには明日も来よう。
 また、最近バイクに乗っていると足元からカサカサ音がするのが気になったが、見るとチェーンの古い油がチェーンスライダーやフロントスプロケのまわりにタールのようにこびりついていて大変な事になっていた。久しぶりに掃除し、緩めだったチェーンを張ってやる。
このチェーンはどこまで伸びないか挑戦中だったが、使用18000キロで初めてのチェーン引きとなった。かなり優秀だ。ただし、ところどころコマの固着が始まっているが。どうか、パナマまでもってね。

本日の走行距離   139.4キロ(計18076.9キロ、チェーン引き2目盛り)

出費             75N$ 昼食(スパゲティ)
                80N$ 宿代
              22.5N$ ジュース
                31N$ 夕食(ハンバーガー)
                 8N$ 水
                25N$ ビール
                25N$ インターネット
計           266.5N$

宿泊            Posada Lidz
インターネットカフェ   Internet Maya Palenque(1時間25ペソ、LAN接続可能)



2000年2月27日(日) 滝壷で泳ぐ(The waterfall of Misol-Ha)

 今日はパレンケ村から60キロほど戻ったところにあるアグア・アスルという滝を見に行こうとしたが、遠いのでその手前、20キロ地点にあるミソル・ハという滝に行った。ミソル・ハの方が落差が35メートルもあって大きいし、まあいいか。
 20分ほど山道を登り、入口に到着。駐車場では20ペソと言われたが、学生証を見せたら10ペソになった。すごいぞ、学生証の威力。駐車場から滝は歩いて50メートルほど。ジャングルを抜けたところにいきなり滝が現れ、エメラルドグリーンの滝壷にどうどうと落ちている。大瀑布とまではいかないが、秘境のリゾートといった感じでいい。滝の裏側までは遊歩道があるが、滝壷を完全に一周するためには滑りやすい岩場を歩かなくてはならない。無理して一周したら丸太の上でコケ、汗だくになった。
 滝壷では泳げるようになっているので、水着になって水に入る。水はけっこう冷たいが、何しろ蒸し暑いので気持ちがいい。滝壷には近づかないようにロープが張ってあるのだが、ご存知のとおりカナヅチの私はずっとそのロープにつかまって水にひたっていた。滝壷は相当深いらしくて底は見えないが、白人観光客たちはみんなザブンと飛び込んでいて気持ち良さそうだった。やはり、日本で泳ぎの特訓をしてくれば良かった。
 宿に戻ったあとは日記をつけ、昨日のインターネットカフェへ。昨日と同じ接続をしたのだが、今日は回線が異常に遅い。ホームページの更新をしようとしたが、FTPサーバへ接続できなかった。せっかくパレンケの日記を打ったのに。結局メールのチェックその他で2時間ほどもやってしまったが。
 夜、久美子と今後の予定について話し合った。そして、久しぶりに意見が合った。二人がこのあとどこへ向かうのか、乞うご期待。

本日の走行距離   44.8キロ(計18121.7キロ)

出費             50N$ 朝食(卵など)
                10N$ 滝駐車場代
                20N$ ジュース、アイス
                20N$ 絵葉書
                80N$ 宿代
                36N$ 夕食(ハンバーガー)
                14N$ カップ麺、卵
                50N$ インターネット代
計             280N$

宿泊            Posada Lidz
インターネットカフェ   Internet Maya Palenque

「久美子の言わせて!」
今日は滝壷で水浴び!気持ち良かった。でも小心者の私は底が見えないので、びびって奥まで泳いでいけなかった。カズはもともと泳げないのでロープにつかまって、くらげのようにつかっていた。泳ぐ前に滝壷を1周だー!と張りきって、ぬるっとした岩の上を歩いたり、茂みをかき分けぴょんぴょん進んでいたら、振り向くとカズが丸木の上から転がり落ちて怒っていた。ほんと面白い奴だ!