旅の日記

メキシコ・プエブラ〜オアハカ編(2000年2月20〜23日)

2000年2月20日(日) さらばアミーゴ(Goodbye Pension Amigo)

 朝、いつものように2号室で目が覚める。2号室は3階、天井が高く、壁には妙な雰囲気の落書きがあって気に入っていた。目が覚めてから2、30分の間はそのままベッドの中で感傷に慕っていたが、時間がない。久しぶりのパッキングにとりかかる。
 日本から持ってきた小型のブースターケーブルはアミーゴに置いていくことにした。中米の車なんてケーブルなど持っていないと思っていたが、思ったよりちゃんとした車も走っているので、本当に困ったときに探せば持っている人を見つけられるだろう。また、今までは工具箱に入りきらなかった工具をリアザックに入れていたが、これをバイクのシートレールに取りつけることにした。DRのサイドカバーはかなり膨らんでおり、シート下のフレームとの間にかなりの空間がある。ここにエアポンプ、タイヤレバーなど普段あまり使わない工具をタイラップで固定した。これでザックにも若干の余裕が出きたはずだ。
 今日は我々だけでなく、リーさんが北へ、そして広さんが南へ旅立つ。交通量が少ない日曜日は、メキシコシティを抜けるのに都合がいいのだ。そういえば、ゴリラ世界一周のマサも休日がいいからと言って昨年のクリスマスにアミーゴを出た。彼は今、ニカラグアあたりか。早く追いつかなければ。
 荷物をひとまず中庭に降ろすと、もうリーさんの出発の準備は整っていた。彼は今日、サンミゲル・デ・アジェンデを目指すと言う。我々が温泉に入ろうとして入れなかった、あの町だ。泣くような雰囲気になるとは思っていなかったが、リーさんに別れを告げた時、ジーンと来た。思えばリーさんと我々は同じ日にアミーゴに到着し、同じ日々をここで共有した。博学なリーさんは、バイクのこと以外にも色んなことを知っていた。いつもはクールで物静かなリーさんだが、大晦日には酒で壊れたリーさんも見た。色んなことで相談にのってもらった兄貴のようなリーさん、さようなら。また絶対会おうね。
 リーさんを見送ったあとは、我々と広さんの番になった。案の定パッキングに時間がかかり、結局昨晩のスキヤキにウドンを入れた昼食を食べてからの出発となった。シティから500キロ弱離れたオアハカを目指したかったが、今日はその大分手前のプエブラ止まりだろう。
 そして、いざ出発の時となった。みんなに見送られて感動の別れ、といった感じだが、久しぶりに荷物満載のDRにまたがってそのあまりの重さに緊張していた。みんなの目の前で立ちゴケしたら一生の恥だ。広さんとはシティを抜けるまで一緒に行こうということになったので、二台で走り出す。さようなら「アミーゴ」、今度はもっと腰を落ちつけて沈没しに来るよ。
 
 2回ほど道を間違えたが、何とかシティを抜け、プエブラ行きの高速に乗った。広さんとは高速のペースが違うので、ひとまず別れることにした。でも同じ南を目指しているので、またどこかで合流できるでしょう。
 雨季が近いためか、最近シティでも雲が多くなった。プエブラへ行くまでには大きな峠を越えたが、雲が空を覆って寒かった。遠くの峰には雪が見えたし、カナダみたいだった。
 2時間ほど走り、プエブラ着。知らなかったが、プエブラは人口100万を越える大都市で、セントロのまわりもマクドナルドなんかがあって栄えていた。何軒かホテルを物色し、中庭にバイクが停められるところにチェックイン。私が風邪気味なのでそのまま昼寝したが、久美子もそのまま爆睡した。久しぶりの移動は疲れるのだ。

本日の走行距離    143キロ(計16717.9キロ)

出費             30N$ ネット接続(アミーゴ)
                90N$ 高速料金
               140N$ 宿代
                20N$ トルタス、水
計             280N$

宿泊            Hotel Catedral

「久美子の言わせて!」
とうとうアミーゴを出発!とってもさみしいよー。始めてきた日は疎外感を感じ、早く出たい〜って思ってたけど、いつから新しく入ってきた旅行人に疎外感を感じさせるようになったんだろう。良い子には優しくしたつもりなんだけどなぁ。でも約2ヵ月もいたのに、なんてあっというまに過ぎてしまったのだろう。毎日が早かった。すっごく楽しかったからなんだろうなぁ。最後の1週間はわがままし放題だったし、寿司、しゃぶしゃぶ、すき焼きと日本でも連続して食べないようなごちそうを次から次へとリクエストし、おいしいご飯が食べれてほんと幸せだった。つくってくれた料理長(テツジャ)、忙しい中、肉を買いにいってくれた酒井くんや準備を手伝ってくれた皆さんほんとありがとう。普通に働いている人からみればほんと贅沢な日々を過ごせたんだなぁと思う。どうせならもうすこし居たかったな。別れはつらいけど、私は泣かない!また遊びに行けるし、他の国でも会えるから。笑顔で去るのだ。アミーゴの前で大勢に見送られ「ばいばい」って手を振ったとき涙が出そうなくらいさびしいかったなぁ。なんかやる気がなくなっちゃって、早くもバイクの後ろでねちゃった。そういうときはぐっすりねるに限る。ほんとアミーゴ最高!!。



2000年2月21日(月) オアハカ着(Arriving Oaxaca)

 朝起きたら、久美子が昨日と同じ格好で寝ていた。昼寝のまま夜寝に突入、朝まで寝たらしい。時間にして約16時間。ここまで寝られたらあっぱれだ。
 五関家からの救援物資であるカップ麺を食べ、いざオアハカに向けて出発。下の道でも十分今日中に着けるのだろうが、久しぶりの移動の疲労を和らげるため、高速道路を使う。プエブラからオアハカまでは町らしい町はなく、荒涼とした山々の間をぬうアップダウンの激しい道だった。
 4時間少しでオアハカ着。400キロも走っていないのに、風邪気味ということもあって本当に疲れた。観光都市のオアハカは郊外にも駐車場付きのモーテルやホテルがあったが、どこも高そう。とりあえずセントロ(中心街)へ行って「地球の歩き方」に載っていたホステルを訪ねるが、バイクを置くスペースが無いという。仕方無しに市場の近くにあった安宿を何軒かあたり、バイクを中庭に停められるホテルにチェックイン。ただしお湯のシャワーが朝7時から9時までの間でしか使えないというのが残念だが。
 夕方、町に出てトルタスを食べる。オアハカはプエブラよりこじんまりとしており、まわりを高い山に囲まれていて何か旅情をさそう。明日から2、3日かけてこの町と周辺の遺跡を見るつもりだ。

本日の走行距離    356.3キロ(計17074.2キロ)

出費            200N$ 高速料金
                16N$ ジュース、スナック
               120N$ 宿代
                88N$ ガソリン代
                43N$ 夕食(トルタス)
             41.20N$ ビール、パン
計           508.2N$

宿泊            Hotel Fortin

「久美子の言わせて!」
いやぁーあんなに寝るのはひさしぶり。17時間くらい寝ちゃった。最近、夜中まで飲んでたり、ビデオ観たりしてたからゆっくりねむれなかったんだよねー。すっきりしたー。これからも寝まくるぞー。カズは夜中に目を覚ますんじゃないかと心配していたそうだ。なにおー、久美子様がそんな中途半端な睡眠で目を覚ますわけが無いでしょ!心配ご無用。今日も寝まくるぞー! 



2000年2月22日(火) モンテアルバンの遺跡(The Ruins of Monte Alban)

 朝、私がシャワーを浴びたあとに久美子が浴びようとしたら、お湯が出なくなった。ホテルの説明では朝7時から9時まではお湯が出るはずだが、まだ8時過ぎだ。フロントのおばちゃんに文句を言いに行くが、そのぬるま湯までもいかない冷めた水を触り、これ位なら十分じゃないか、みたいなことをいう。さっきまでは熱い湯が出たのに。これでは延泊はしたくない。荷物をまとめ、別のホテルを探しにいく。
 何軒か回るうちに、100ペソでシャワー付き、バイクも中庭に駐車可のホテルを見つけた。中心街から少し離れるが、バイクがあるから大丈夫だ。結局、このホテルの移動で昼近くまでかかってしまった。
 無事宿が決まったあとは、郊外のモンテアルバン遺跡を見に行く事に。あいかわらず標識が分かりづらく、何回か道に迷いながらようやく到着。メキシコの学生証が活躍し、無料で中に入れた。
 さて、モンテアルバンはサポテカ人が紀元前500年ごろから建設を始めたと言う、かなり古い遺跡である。6〜8世紀の最盛期には人口25000人を誇ったという。その後、都が衰退したあとも埋葬の場として利用され、遺跡からは多くの墓も発見されている。モンテアルバンは山の頂上に作られていて、眺めが非常に良い。まわりの山々やオアハカの町が一望でき、聞こえる音も風の音と鳥のさえずりのみ。とても居心地の良い遺跡である。1、2時間もあればほとんど見て回れるし、サイズ的にもちょうどいい。我々が訪れたときには観光客も少なかった。
 オアハカの町も戻ると、今度はサントドミンゴ教会を訪れた。この教会はオアハカ観光の目玉の一つに数えられる有名な教会で、祭壇をはじめ天井や壁が金箔で装飾されて非常に美しい。何でも、建設を終えるのに1世紀もの年月がかかったという。観光地といえど教会、フラッシュ撮影は厳禁とのことなので厳粛な気持ちでデジカメに収める。
 教会の後は久しぶりにインターネットカフェへ。昨日からチェックしていたが、さすがに観光都市オアハカ、確認できただけで5、6軒はある。聞いて回ったうち、今日の午前中に発見したカフェがダイヤルアップをさせてくれるというので、パソコンを持っていって接続する。回線は遅いが2回目のトライで成功、安定もしていた。オアハカでもネット接続は全く問題なし。
 夜は町に1軒ある日本食屋で焼きそばと焼うどんを食べる。このまま、何カ国で日本食が食べられるか挑戦したいところだ。

本日の走行距離     37.8キロ(計17112キロ)

出費             35N$ 朝食(定食)
               113N$ ガソリン代
              18.5N$ インターネットカフェ
               133N$ 夕食(日本食)
                21N$ ビール
                 6N$ アイス
               100N$ 宿代
計           426.5N$

宿泊            Hotel Del Valle
インターネットカフェ    Internet Negosoft(1時間15ペソ、ダイヤルアップ可能)



2000年2月23日(水) ミトラ遺跡、トゥーレの木(The Ruins of Mitla, The tree of Ture )

 今日は昼頃までゆっくり寝たあと、昼食を食べてミトラの遺跡を見に行った。ミトラ遺跡はオアハカの東約30キロに位置し、モンテアルバンを建設したサポテカ人が次に建設した宗教都市である。最盛期は9〜12世紀、幾何学的な壁の模様が特徴的な遺跡だ。
 バイクで走ること約30分、迷いはしなかったが、何しろ暑い。これからどんどん南に下がるが、先が思いやられる。じりじりと照りつける太陽の下、遺跡群を見学する。
 ミトラはモンテアルバンなどど比べると小規模だが、新しいためか壁の模様がきれいに残っていて美しい。マイナーなところかと思ったが、けっこう白人観光客が多かった。遺跡の敷地内には教会があり、何でも1590年に遺跡の一部を利用して建設されたそうだ。現地の文化を無視し、キリスト教を押しつけたスペインのやりかたが伺える。
 帰りにはトゥーレの町の巨木を見に行った。ここの巨木は糸杉の一種で、高さは42メートル、幹回り58メートルだそうだ。アメリカのセコイア国立公園で見たシャーマン将軍の木の高さの半分、ただし太さは倍というサイズだ。遠くから見たときには大したこと無いと思ったが、近づくにつれて枝葉に隠れていた太い幹が露になった。これでも一本の木か?と思うほど幹はあらゆる方向にクネクネと伸び、まるで化け物のようだ。「シャーマン将軍の木」ファンの私は、「アメリカ一の大きな木」というトゥーレの木のうたい文句を信じられなかったが、なるほど、これならある種シャーマン将軍の木よりデカイ。でも、シャーマンの方が感動はしたな。
 オアハカの町へ戻り、あまりにも暑いので日も高いうちからビールを飲み、日記をつける。昨日行ったインターネットカフェへ行って接続しようとしたが、IDとパスワードを知っている店長がいないので、今日はダメだという。仕方無しに、LAN接続はさせてくれるといっていた別のカフェへ行く。店のお兄さんの指示どおりに各設定を行うが、なかなか店のネットワークが私のPCを認識してくれない。結局うまくいくまでに小1時間ほどかかったが、その間はタダにしてくれた。いい人だなあ。
 さて、三日滞在したオアハカとも明日でお別れ。どんどん南下しますぞ。

本日の走行距離   102.4キロ(計17214.4キロ)

出費             40N$ 昼食(トルタス)
                 7N$ ジュース
             24.10N$ ビール
                25N$ インターネットカフェ
                70N$ 夕食(定食)
               100N$ 宿代
計           266.1N$

宿泊            Hotel Del Valle
インターネットカフェ    Sistemax(1時間25ペソ、LAN接続可能)