2000年2月8、9日(火、水) 寿司再び(Sushi again)
最近めっきり日差しが強くなった。冬も終わり、メキシコはこれからどんどん暑くなるという。キューバでは思ったほど日光を浴びられなかったので、8日はみんなで机と椅子を屋上に運び、パンツ一丁で麻雀。一日でけっこう日焼けした。 二日間の走行距離 0キロ(計16367.5キロ) |
今日は大変なことになった。一生分の麻雀運を使ったかもしれない。明日からミチワカンへ蝶を見に行くが、その途中で死ぬとみんなに言われたほどだ。 さて、これで今週2回目の役満がでた。みんなは納得がいかず、タケバ氏がグアナファトで買ったミイラキーホルダーをお守りとして持ってきた。ところが次の半荘、またも対子場の局がやってきた。七対子のリヤンシャンテンまで行ったが、ここでタケバ氏のキーホルダーに向かって「この牌をツモらせて」とお願いしたら、何と3回連続で欲しい牌が来て、またもツモリ四暗刻をテンパイ。そしてリーチをかけて3、4巡目、五萬をツモってまたも四暗刻。ありがたや、ミイラのおかげ。しかし、自分でも怖いほどのツキ。みんなは呆然、こんな事があるのかと信じられない様子。エヅレ団長は「やる気がなくなった」と本気で言っていた。その時の手牌が以下のとおり。上のが問題(?)のミイラキーホルダー。 さて、これでアミーゴでの麻雀も思い残す事が無くなった。しかし、みんなは勝ち逃げ許してくれるだろうか。明日からはアミーゴでの最後のイベント、蝶の大群見物。 本日の走行距離 0キロ(計16367.5キロ) |
今日は蝶の大群を見に出発する日。オーナーのパスさんと二人の息子も一緒に行くため、週末になるのを待っていたのだ。朝9時にアミーゴを出て、メトロでバスターミナルへ行く。 蝶の大群が北米から越冬に来ているのは、ミチワカン州アンガンゲオという田舎町の近くのエル・ロサリオという保護区。とりあえずはアンガンゲオの近くの都市、シタクアロ行きのバスに乗る。メキシコシティからは4時間ほどのバス旅だったが、ボロいバスだったので座席も狭く、予想以上に疲れた。 午後2時過ぎにシタクアロ到着。ここからアンガンゲオまでは別のバスで1時間ほどだが、今日はもう蝶を見るのは無理。アンガンゲオまで行っても小さな町なので、12人と言う大人数を泊めてくれるホテルがあるかどうか怪しい。とりあえず今夜はこの町に泊まることにする。 このシタクアロという町、何の特色も無い片田舎の都市なのだが、妙に豪邸が多い。メキシコシティでもなかなか見られないような豪邸が立ち並んでいる。そしてバイクも多い。モトクロッサーがバリバリ走っているかと思えば、ピカピカのCBRやニンジャが走っている。この町は何で富を得ているのだろうか。 何軒かあるホテルのうち一番安いホテルにチェックイン。ダブルベッドが3っつある部屋に6人ずつと若干狭いが、一晩だけだし我慢することにする。 さて、やることが無い。魚介レストランで昼食を食べ、そのあとは部屋でプロレスマスクを被ったりして遊ぶ。写真は青いマスク(ブルー・パンテラ)を被った久美子に卍固めをされる和広。夜は15ペソで買ったきた怪しい酒(みんなはマズイと言っていたが、私は気にならなかった)を飲み、「山の手線ゲーム」をして盛りあがる。蝶を見に来て、結局やっていることは同じなのだ。 本日の走行距離 0キロ(計16367.5キロ) 出費 150N$ バス代 100N$ 昼食(魚のフライ) 70N$ 夕食(チキン、ポテト、ビールなど) 84N$ ホテル代 計 404N$ 宿泊 Hotel Mary 「久美子の言わせて!」 蝶を見に来たのに酔っ払って「山手線ゲーム」で騒いでいるカズをよそに、私は堕落した生活(昼夜逆)をおくっていたので隣のベッドで夕寝をしていた。が、あまりにくだらないお題で目が覚める。ある女の子も酔っ払っていて(彼女はいつもの事だが)カズも相当テンションが高い!これはとめなければこいつは吐くぞ!と思いなんとか起きたが、みんなもだいぶ酔っ払っていて、ゲームのお題も尽きてきたので終了となった。まったく酒は飲んでものまれるな。 |
昨日あれだけ酒を飲んだわりには、みんな起きるのが早かった。シタクアロからアンガンゲオまでは1時間ほどなので、午前中は散歩したり、朝食を食べたりして過ごす。 昼頃にチェックアウトして、バスでアンガンゲオへ。バスを降りるとすぐにトラックの客引きが話しかけてきた。アンガンゲオの町から蝶の保護区、エル・ロサリオまでは凸凹のひどい未舗装路を30分ほどトラックに揺られて行かねばならない。観光客が多いわりに未舗装路なのは、きっと舗装するとみんな自分の車で行ってしまうので商売にならないからだ。12人が乗れるというそのオンボロのトラックと交渉し、乗せてもらうこととする。 さて、その問題の道だが、日本の林道並みに荒れている。トラックの荷台には木の板を敷いただけの椅子があるが、デコボコの度にひどく揺れてケツと背中が痛い。あまりの揺れに気持ち悪さを通り越して、何か楽しい。また、週末ということもあって交通量も多く、砂埃がひどい。我々のトラックには屋根がついていたが、それでも口にハンカチをあてていないといられないほどだ。 アンガンゲオの町でも標高3000メートル近くあるが、保護区はさらに登ったところにある。トラックを降りてから有料の保護区に入り、徒歩で30分ほど登ると蝶が集まっているエリアにきた。杉の林に何百万、何千万というモナルカ蝶が飛び交っている。一見紅葉した枝のように見えるのだが、それはものすごい数の黄色い蝶が止まっているのだ。細い遊歩道を登る続けると芝生の生えた、開けたところに出たが、そこでも見上げるとヒッチコックの「鳥」のように蝶が空を覆っている。虫がダメな人は鳥肌が立つ光景だ。 しかし、蝶と同じくらい人も多い。シーズン真っ只中の週末ということもあって、メキシコ国内外から観光客が集まった。日本人のグループも他に何組かいたが、遊歩道が砂道なので、人が歩くたびに埃が舞って呼吸もできないくらい。アンガンゲオの町でマスクを売っていたが、買ってくればよかった。みんな全身砂埃まみれになってしまった。 残念なのは、大群と言う様子がなかなか写真に収められないことだ。新しいデジカメは動画も撮れるので何カットか撮ったが、静止画で大群を表現するのは無理。アップの写真で我慢下さい。 3時間かけて遊歩道を一周し、もとの駐車場へ戻った。タケバ氏によると蝶の数は昨年より少ないそうだが(暑くなったのでもっと標高の高いところまで上がったのではないか、とのこと)、それでも満足できる光景だった。高い金払っても来て良かった。 帰りも同じトラックに揺られてアンガンゲオまで下る。町の食堂で遅めの昼食を食べると、もう夕方になった。これは帰るのが遅くなりそうだ。往路と同じようにバスでシタクアロの町まで戻ると、もう午後8時。しかもメキシコシティ行きのバスは9時発だという。仕方なく1時間待ってバスに乗る。最終便ということもあって座席は満席になった。 帰りは夜ということもあって、3時間ほどでシティに着いた。それでも夜12時。バスターミナルからメトロに乗って帰るのが辛かった。アミーゴに着くとすぐにシャワーを浴び、埃を流す。寝て帰ったが、それでも疲れた〜。ビールを一杯飲んで泥のように眠るのだった。 本日の走行距離 0キロ(計16367.5キロ) 出費 4.5N$ 朝食(パン) 46N$ バス代(シタクアロ〜アンガンゲオ往復) 50N$ 保護区までのトラック往復 20N$ 保護区入場料 62N$ 昼食、ビール 150N$ バス代(シタクアロ〜メキシコシティ) 計 332.5N$ 宿泊 ペンションアミーゴ |
13日は蝶見物の疲れでほとんど死んでいた。夕方近くになって、革命記念塔が開いているというので登りに行く事に。革命記念塔はアミーゴのすぐ近くにある革命記念広場の真ん中にドーンとそびえるドーム型のモニュメント。週末や休日でないと登れないというので、今までは行きそびれていた。 14日は朝一番で空港に行った。我々はニューヨークからロンドンまで飛ぶコンチネンタル航空のチケットを持っているのだが、その日付は6月3日になっている。今から南米へ下り、そこから欧州へバイクを送ったのではとてもそんな時期にロンドンへは飛べない。日付変更が可能なチケットなので、空港にあるオフィスでしてもらおうというのだ。さて、いつに変更しようかと思ってカルネの有効期限を今一度見ると、7月31日になっている。思ったよりも早い。それまでにはロンドンでバイクの通関手続きを済ませなければならないのだ。この先、急がなければならない。 |
朝、キューバや麻雀でずっとご一緒だったエヅレ団長が日本に帰っていった。麻雀でポンするときに「ポキン」、チーのときに「チキン」という、あの独特の掛け声が聞けなくなった。エヅレさん、日本でも打ちましょう。 本来であれば今日は我々の出発日でもあったが、実は昨日、急に仕事が入ったのだ。プロレスラー、サカイ氏の紹介で入った仕事とはCMのエキストラ。撮影は夜7時から朝までかかるというが、4、500ペソはもらえるらしい。今までもオーデションには参加していたが残念ながら落選していたので、最後の思い出にと参加を決定。地下鉄に乗って集合場所のソカロ(中央広場)へ行く。 撮影には黒い服装で来るように指示されていたが、ソカロに着くといるわいるわ、白人、黒人、アジア人、メキシコ人の老若男女が300人ほど、黒い服装に身を包んでウロウロしている。夕食がまだだったので屋台のタコスなどをつまんでいると、撮影のスタッフらしき人が点呼を取り始めた。この進め方がいかにもメキシコ流、手の空いているスタッフはいくらでもいるのに、2、3人でやっているから異常に時間がかかる。結局全員の名簿を確認するだけで2時間もかかり、撮影にとりかかったのは夜10時ごろだった。 さて、本日撮影されるのは軍のCMらしい。ただし、大聖堂のまわりでローソクを持ちながら歩くカトリック教徒の群衆の映像なので、イメージCMだろう。「こんな平和な国を一緒に守りましょう」みたいな。 まずは3班に分かれ、第1班から撮影開始。我々は幸運にも1班だったので待ち時間は無かった。はじめに撮影するカットは、ライトアップされた大聖堂をバックにローソクと聖母の旗を持った群衆が行進し、その中で母親が娘のローソクに火を灯してあげる、というもの。5人に1人くらいの割合で旗が配られ、残りの人にはローソクに見たてたアルコールランプとライターが渡された。ただし最前列の人たちだけは本物のローソクだった。人種配分にも気を使っているらしく、違う肌の色の人がまんべんなく広がるようにスタッフが立ち位置を指示。スタッフの合図でアルコールランプに火をつけ、「アクシオン」という掛け声でカメラに向かって一斉に歩き出す。歩く距離はわずか10メートルほど、終わると息で火を消し、元の位置へ。この繰り返しが延々と10回ほども続いた。最後の方はみんな元の位置に戻るのが面倒で、最初に歩いた距離の半分くらいしか戻らない。だから列の前の方に人が集中し、横に膨れてくる。こんなんで何回も繰り返す意味もあるのか?その後、列の前の方の人と後の方の人を入れ替え、またも10回ほど撮影を繰り返した。結局、このカットを撮り終えるのに1時間ほどもかかった。 1班が終わったあとは2班が同じことを、その後の3班は大聖堂へ入場するシーンを撮影していた。その間、我々は用意されたコーヒーを飲んだり、トランプをして時間をつぶした。ただ、屋外の撮影だとは知らなかったので十分な厚着をしておらず、時間が遅くなるに連れて寒くなってきた。 3班の撮影が終わる直前、午前3時ごろに食事が用意され、先に食べてもいいというので並んで配給を受ける。発砲スチロールの皿にフリホーレ(豆)とマカロニサラダ、そしてツナの焼いたようなもののメインデッシュ。味はマズく、特にサラダは「史上最もマズいマカロニサラダ」と皆が太鼓判を押すほどだ。量も少なく、とても満足できないでいると、後から食べている3班の連中はなぜかトルティージャも食っている。おいおい、途中からメニューが増えるなんてあるかい、今さらトルティージャだけなんて食べられないぞ。 食事の後はひょっとしてギャラが支払われて解散・・・とか期待したが、やはり仕事が続いた。今度は全員での撮影。大聖堂の前の広場がロープでいくつかの区画に分けられ、その中に全員で入って大聖堂に向かってランプを振る。終わると次の区画へと移り、またローソクを振る。振り向くと、広場に面したホテルのバルコニーにカメラがある。そうか、これらの映像は後で合成するんだ。そうすると、大聖堂に向かってローソクを振る大群衆の映像が出来あがるはずだ。やるなあ、メキシコの映像業界も。それにしても、大聖堂は撮影用にいつもよりも明るくライトアップされ、大変美しい。これはなかなか見られない光景だぞ。 大群衆の撮影も2時間ほどで終わり、時刻は午前6時。さあ、これでいい加減解散だろうと思ったが、今度はタコスが用意されていた。おい、さっき食ったばかりなのに、朝からこんなヘビーなもん食えるかい、と思ったが案外ペロリと食ってしまった。それにしてもメシはもういいから早くギャラをくれ、そして解散にしてくれ。空も明るくなってきたし、もう撮影は無理だろう。 すると、どうやらギャラの用意に入ったらしい。やった!!しかし、ここでもやり方がメキシコ流。さんざん待たされたあげくに、どういう訳か二つのグループに分かれて支払いが開始された。それも、女性から先に支払われている。どうやら1人500ペソらしい。久美子も初めての500ペソ札を手にしていた。次に男性の番になったが、ものすごく時間がかかっている。なんでこんなに差があるんじゃい、と思ったら、お釣りがどうのこうの言っている。え?お釣り?500ペソで何で?などと思ったら、私のギャラは400ペソだった。お〜い、全く同じ仕事内容で男女に差をつけるな!差別だ!しかし、メキシコ人はもっとギャラが少ないらしい。人種差別もあるのだ。すごいぞ、メキシコの映像業界。 結局、アミーゴに戻ったのは朝8時過ぎ。フラフラになりながらも朝食はちゃんと食べ、そしてベッドになだれ込んだ。楽しい仕事だったが、100ペソ差をつけられたことが正直ショック。 本日の走行距離 0キロ(計16367.5キロ) 収入 900N$ CMエキストラのギャラ 出費 5N$ バイクのポジションランプ球 3N$ タイラップ 6N$ メトロ代 6N$ チェロス 計 ▲880N$ 宿泊 ペンションアミーゴ |
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