2000年1月28日(金) エメラルドの海へ(Party at the beach)
今日は早くもバラデロ最終日、そしてシュノーケリングツアーが決行される日だ。朝起きてカーテンを開けると、おお、太陽が顔を出している。やった、初めての晴れだ。 朝食後、ツアーのバスがホテルに迎えに来た。20分ほど走ると、バスは全長20メートルほどの大型ヨットの前で止った。この船でツアーに出るのだ。みんな太陽を少しでも浴びようと甲板の上で早くも水着に。出航すると風が涼しかったが、それでもフリードリンクのビールやソフトドリンクを飲みながらの航海となった。 ツアーガイドによるとシュノーケルを行うはずだったところがまだ波が荒く、水が濁っているので予定を変更、バラデロ半島の先端の方にある島まで行くという。仕方ないが、おまかせすることとしましょう。 1時間ほどクルーズした後、ヨットは二つの小さな島の間のわずかな海峡に停泊した。まわりはマングローブばかりで、降りられる岸がない。泳ぎたい人はヨットから海に降りて泳げといい、シュノーケルの道具が用意された。ヨットが停泊できるくらいだから、深さは3、4メートルはあるだろう、とても足は着かない。ここで言っておくが、私は完全なカナヅチである。しかし、ここでシュノーケルをあきらめては元がとれないと、勇気を出していざ海の中へ。 マングローブの岸の方まで行けば底が見られるというので、20メートルほど離れた対岸の岸まで行った。水は思ったよりも透明でなく緑色で、あまり底も魚も見られなかった。仕方なくヨットまで引き返そうとしたとき、シュノーケルから水を吸ってしまった。そこでパニックになってしまい、その後何度シュノーケルを噛みなおしても水が入ってくるようになってしまった。こうなると呼吸が荒くなり、とても顔を水につけて泳げない。仕方なく、変な格好の立ち泳ぎで少しずつヨットの方へ。泳げる久美子は海を満喫しながら写真などを撮られていたが、私はその横をほうほうのていでヨットに戻った。 海から上がると、生きたままのロブスターが用意されていた。追加で10ドル払えば、ここで軽くボイルしただけの新鮮な味が楽しめると言う。私は立ち泳ぎの疲れでダウンしていたので食べなかったが、久美子たちはおいしそうに食べていた。何でも、昨日のキューバ人のロブスターよりおいしかったらしい。 その後、ヨットは別の島へ移動。ここには白い砂浜のビーチがある。さすがに8人いると強い。ビーチのど真ん中に陣地を確保、海の中に柱が数本立っている人気の写真スポットでもみんなで尻を出して写真を撮ったり、隣でトップレスになっているお姉ちゃんの写真を撮ったりと、傍若無人の限りを尽くす。ここの海は透明で遠浅、波もほとんどなく、南国のポスターで見るとおりの景色だ。ここで昼食が用意され、木陰のピクニックテーブルでチキンを食べた。その後も砂浜で肌を焼き、ビーチリゾートを満喫。ツアー参加費45ドルは高かったが、元はとった。 午後3時ごろ、ヨットは島を離れてバラデロへ向かった。帰りの船ではみんな疲れて横になっていたが、もうすぐ港につくという段になってツアーガイドが音楽をかけて踊りはじめた。久美子が誘われ、一緒になって楽しそうに踊っていた。そしてヨットは無事もとの港へ。有意義なツアーとなった。 夜は別のレストランで食べたが、ここの方が料理も音楽も良かった。明日はハバナへ移動する日。キューバの日程も残り少なくなってきた。 本日の走行距離 0キロ(計16333.8キロ) 出費 10$ ロブスター代 12$ 夕食(ステーキ) 2.2$ アイス 計 24.2$ 宿泊 Horizontes Hotels Club Tropical 「久美子の言わせて!」 シュノーケリングツアーはやや晴天。やっとあつーいと思える太陽に会った気がする。船に乗ってちょっとリッチな気分。誰か船買って!昨日に引き続きエビを食べる。しかし、今日のエビは採れたて!生きたエビをすぐ焼いて、ででーんとお皿にのっていて、むちゃくちゃおいしかった。とっても幸せ。カズはなぜかいらないと言ったので、自分のお金でむしゃむしゃ食べる。すみからすみまできれいにいただきました。ほんとおいしかった。島に着いてから、島での撮影会おもしろかった。詳しくはフォトアルバムで! |
今日はハバナへ移動する日。バスが出るのは午後2時なので、残り少ない時間をビーチで楽しむ。以前ビーチで麻雀した時にはタケバ氏が大使館に行っていたので参加できなかった。同氏がぜひ移動する前に一勝負、というので最後のビーチ麻雀開始。どうせやるならホントの波打ち際で、というのでテーブルを思いきり海の方へ。最初は海側に座っていたタケバ氏の尻が濡れる程度だったが、そのうちに大きな波が来てテーブル全体が潮を被った。時間も無くなってきたので仕方なく麻雀は中止。ホテルの部屋でチェックアウトの用意をする。 荷物をまとめてフロントへ行くと、タオルが一枚無いという。誰も紛失していないのであるはずなのだが、もうベッドメーキングが入って掃除済みなので証明できない。納得できぬまま、タオル代10ドルを追加で取られた。 さて、チェックアウトの時間は12時、あと2時間ほど時間をつぶさなくてはならない。そこで、タケバ氏とジャマ氏がビリヤードを始めた。今アミーゴではビリヤードが密かなブーム、タケバ氏らはマイ・キューをメキシコから持ってきて、「キューバでキュー」が実現できたと喜んでいた。私もちょっとだけ参加、その後はハンバーガー屋で昼食を食べたりしていた。 問題の2時になったが、バスが来る気配はない。どうせ遅れるのだろう。ロビーで葉巻を吸いながらガラ悪く待つ。すると3時ごろになってようやく大型の観光バスが迎えに来た。 ハバナまでの帰路は、みんな眠っていたがとても長く感じられた。いくつものホテルに寄ったので、私たちがホテルに到着するころにはすっかり日が暮れていた。私たちのホテルは海に面した「デュービル」。ハバナ市内だけあってリゾートという雰囲気は皆無、ビジネスホテルみたいな感じだ。まわりのビルもボロボロのものばかり。凄いところだなあ。くやしかったのは、部屋によって広さが全然違う。我々の部屋は小さく、ハズレだった。でも、バラデロのホテルではすぐに熱いシャワーが出るアタリの部屋だったので仕方ないか。 夜は数ブロック離れた中華街まで歩いた。ハバナの夜は街灯もほとんど無く、本当にまっくら。人もいないように見えるが、良く見ると暗い中で肌の黒いキューバ人が歩いている。そこら中の建物が今にも崩壊しそうだし(実際崩れている建物も多い)、すごい雰囲気だ。「葉巻はどうだい?」「やあ、チーノ(中国人)」などど声をかけられるが、危険な感じは全くしない。そういえば、ハバナでは最下層の人たち、ホームレスやストリートチルドレンなどを見ない。住民みんなが平均的に物や金には困っているが、犯罪に手を染めなければ生きていけないほどではない。そういう意味では社会主義が功を奏しているようだ。 さすがに中華街まで行くと、少し明るくなってにぎわっていた。何軒か中華料理屋のメニューをチェックしたあと、一軒のにぎわっていそうな中華料理屋に入る。みんなでラーメンや炒飯などを注文したが、まあまあの味で嬉しかった。ここのウェイトレスは若い白人系で揃えていて、制服はスリットが深く入ったチャイナドレス。男はみんな鼻の下を伸ばしっぱなしだ。 夜は疲れていたので、テレビでやっていた「ダイ・ハード」を見ながら早めに寝る。キューバを去るのは明後日の早朝。実質、明日がキューバ最終日だ。ハバナを思いきり楽しまなければ。 本日の走行距離 0キロ(計16333.8キロ) 出費 5.5$ 昼食(ハンバーガー) 18$ 夕食(中華) 計 23.3$ 宿泊 Horizontes Hotels Deauville 「久美子の言わせて!」 ビーチでリーチ2をし、名残惜しくバラデロを後にする。寝ていたにもかかわらずバス移動は疲れる。ハバナ市内に着いたころには外はまっくら。みんなで中華城(中華街)へ夕食を食べに行く。グルメチームだったのでおいしいものをいろいろ注文してくれ、とてもおいしかった。夜もふけ、男どもは街へそろりそろりと繰り出した。その意味を次の日に知るが、私は「DIE HARD」を見ながらいいところで眠ってしまった。なんて無邪気なんだ。 |
朝10時出発(9時のはずだったがやはりバスが遅れた)でハバナ市内観光ツアーへ出発。一日しかないので、土地カンがまるでないハバナを効率的に見るにはツアーに参加した方がいいと考えたのだ。 さて、夕食は外に食べにでるのが面倒くさいので、ホテルのレストランで済ませる。私を含め、何人かが1ドルのミックスサラダを注文したが、出てきたのは千切りキャベツが少々にひなびたトマトが二きれのっただけの、メニューの写真とはかけ離れたものだった。エヅレ団長が文句を言ったが、ウェイターは仕方がないじゃないか、という。次のメインデッシュのためにタバスコとコショウを注文したら、どっちもないという。どういうレストランじゃい。しかも、最後にはウェイターがやってきて、「どうだ、美味かっただろう」などどいう。いいなあ、キューバ人、神経太くて。日本の小市民からすればある意味羨ましい。 |
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