旅の日記

キューバ編その2(2000年1月28〜31日)

2000年1月28日(金) エメラルドの海へ(Party at the beach)

 今日は早くもバラデロ最終日、そしてシュノーケリングツアーが決行される日だ。朝起きてカーテンを開けると、おお、太陽が顔を出している。やった、初めての晴れだ。
 朝食後、ツアーのバスがホテルに迎えに来た。20分ほど走ると、バスは全長20メートルほどの大型ヨットの前で止った。この船でツアーに出るのだ。みんな太陽を少しでも浴びようと甲板の上で早くも水着に。出航すると風が涼しかったが、それでもフリードリンクのビールやソフトドリンクを飲みながらの航海となった。
 ツアーガイドによるとシュノーケルを行うはずだったところがまだ波が荒く、水が濁っているので予定を変更、バラデロ半島の先端の方にある島まで行くという。仕方ないが、おまかせすることとしましょう。
 1時間ほどクルーズした後、ヨットは二つの小さな島の間のわずかな海峡に停泊した。まわりはマングローブばかりで、降りられる岸がない。泳ぎたい人はヨットから海に降りて泳げといい、シュノーケルの道具が用意された。ヨットが停泊できるくらいだから、深さは3、4メートルはあるだろう、とても足は着かない。ここで言っておくが、私は完全なカナヅチである。しかし、ここでシュノーケルをあきらめては元がとれないと、勇気を出していざ海の中へ。
 マングローブの岸の方まで行けば底が見られるというので、20メートルほど離れた対岸の岸まで行った。水は思ったよりも透明でなく緑色で、あまり底も魚も見られなかった。仕方なくヨットまで引き返そうとしたとき、シュノーケルから水を吸ってしまった。そこでパニックになってしまい、その後何度シュノーケルを噛みなおしても水が入ってくるようになってしまった。こうなると呼吸が荒くなり、とても顔を水につけて泳げない。仕方なく、変な格好の立ち泳ぎで少しずつヨットの方へ。泳げる久美子は海を満喫しながら写真などを撮られていたが、私はその横をほうほうのていでヨットに戻った。
 海から上がると、生きたままのロブスターが用意されていた。追加で10ドル払えば、ここで軽くボイルしただけの新鮮な味が楽しめると言う。私は立ち泳ぎの疲れでダウンしていたので食べなかったが、久美子たちはおいしそうに食べていた。何でも、昨日のキューバ人のロブスターよりおいしかったらしい。
 その後、ヨットは別の島へ移動。ここには白い砂浜のビーチがある。さすがに8人いると強い。ビーチのど真ん中に陣地を確保、海の中に柱が数本立っている人気の写真スポットでもみんなで尻を出して写真を撮ったり、隣でトップレスになっているお姉ちゃんの写真を撮ったりと、傍若無人の限りを尽くす。ここの海は透明で遠浅、波もほとんどなく、南国のポスターで見るとおりの景色だ。ここで昼食が用意され、木陰のピクニックテーブルでチキンを食べた。その後も砂浜で肌を焼き、ビーチリゾートを満喫。ツアー参加費45ドルは高かったが、元はとった。
 午後3時ごろ、ヨットは島を離れてバラデロへ向かった。帰りの船ではみんな疲れて横になっていたが、もうすぐ港につくという段になってツアーガイドが音楽をかけて踊りはじめた。久美子が誘われ、一緒になって楽しそうに踊っていた。そしてヨットは無事もとの港へ。有意義なツアーとなった。
 夜は別のレストランで食べたが、ここの方が料理も音楽も良かった。明日はハバナへ移動する日。キューバの日程も残り少なくなってきた。

本日の走行距離     0キロ(計16333.8キロ)

出費             10$ ロブスター代
                12$ 夕食(ステーキ)
               2.2$ アイス
計            24.2$

宿泊           Horizontes Hotels Club Tropical

「久美子の言わせて!」
 
シュノーケリングツアーはやや晴天。やっとあつーいと思える太陽に会った気がする。船に乗ってちょっとリッチな気分。誰か船買って!昨日に引き続きエビを食べる。しかし、今日のエビは採れたて!生きたエビをすぐ焼いて、ででーんとお皿にのっていて、むちゃくちゃおいしかった。とっても幸せ。カズはなぜかいらないと言ったので、自分のお金でむしゃむしゃ食べる。すみからすみまできれいにいただきました。ほんとおいしかった。島に着いてから、島での撮影会おもしろかった。詳しくはフォトアルバムで!



2000年1月29日(土) ハバナへ移動(Moving to Havana)

 今日はハバナへ移動する日。バスが出るのは午後2時なので、残り少ない時間をビーチで楽しむ。以前ビーチで麻雀した時にはタケバ氏が大使館に行っていたので参加できなかった。同氏がぜひ移動する前に一勝負、というので最後のビーチ麻雀開始。どうせやるならホントの波打ち際で、というのでテーブルを思いきり海の方へ。最初は海側に座っていたタケバ氏の尻が濡れる程度だったが、そのうちに大きな波が来てテーブル全体が潮を被った。時間も無くなってきたので仕方なく麻雀は中止。ホテルの部屋でチェックアウトの用意をする。
 荷物をまとめてフロントへ行くと、タオルが一枚無いという。誰も紛失していないのであるはずなのだが、もうベッドメーキングが入って掃除済みなので証明できない。納得できぬまま、タオル代10ドルを追加で取られた。
 さて、チェックアウトの時間は12時、あと2時間ほど時間をつぶさなくてはならない。そこで、タケバ氏とジャマ氏がビリヤードを始めた。今アミーゴではビリヤードが密かなブーム、タケバ氏らはマイ・キューをメキシコから持ってきて、「キューバでキュー」が実現できたと喜んでいた。私もちょっとだけ参加、その後はハンバーガー屋で昼食を食べたりしていた。
 問題の2時になったが、バスが来る気配はない。どうせ遅れるのだろう。ロビーで葉巻を吸いながらガラ悪く待つ。すると3時ごろになってようやく大型の観光バスが迎えに来た。
 ハバナまでの帰路は、みんな眠っていたがとても長く感じられた。いくつものホテルに寄ったので、私たちがホテルに到着するころにはすっかり日が暮れていた。私たちのホテルは海に面した「デュービル」。ハバナ市内だけあってリゾートという雰囲気は皆無、ビジネスホテルみたいな感じだ。まわりのビルもボロボロのものばかり。凄いところだなあ。くやしかったのは、部屋によって広さが全然違う。我々の部屋は小さく、ハズレだった。でも、バラデロのホテルではすぐに熱いシャワーが出るアタリの部屋だったので仕方ないか。
 夜は数ブロック離れた中華街まで歩いた。ハバナの夜は街灯もほとんど無く、本当にまっくら。人もいないように見えるが、良く見ると暗い中で肌の黒いキューバ人が歩いている。そこら中の建物が今にも崩壊しそうだし(実際崩れている建物も多い)、すごい雰囲気だ。「葉巻はどうだい?」「やあ、チーノ(中国人)」などど声をかけられるが、危険な感じは全くしない。そういえば、ハバナでは最下層の人たち、ホームレスやストリートチルドレンなどを見ない。住民みんなが平均的に物や金には困っているが、犯罪に手を染めなければ生きていけないほどではない。そういう意味では社会主義が功を奏しているようだ。
 さすがに中華街まで行くと、少し明るくなってにぎわっていた。何軒か中華料理屋のメニューをチェックしたあと、一軒のにぎわっていそうな中華料理屋に入る。みんなでラーメンや炒飯などを注文したが、まあまあの味で嬉しかった。ここのウェイトレスは若い白人系で揃えていて、制服はスリットが深く入ったチャイナドレス。男はみんな鼻の下を伸ばしっぱなしだ。
 夜は疲れていたので、テレビでやっていた「ダイ・ハード」を見ながら早めに寝る。キューバを去るのは明後日の早朝。実質、明日がキューバ最終日だ。ハバナを思いきり楽しまなければ。

本日の走行距離     0キロ(計16333.8キロ)

出費            5.5$ 昼食(ハンバーガー)
                18$ 夕食(中華)
計            23.3$

宿泊           Horizontes Hotels Deauville

「久美子の言わせて!」
 
ビーチでリーチ2をし、名残惜しくバラデロを後にする。寝ていたにもかかわらずバス移動は疲れる。ハバナ市内に着いたころには外はまっくら。みんなで中華城(中華街)へ夕食を食べに行く。グルメチームだったのでおいしいものをいろいろ注文してくれ、とてもおいしかった。夜もふけ、男どもは街へそろりそろりと繰り出した。その意味を次の日に知るが、私は「DIE HARD」を見ながらいいところで眠ってしまった。なんて無邪気なんだ。



2000年1月30〜31日(日、月) ハバナ観光、メキシコ帰還(Seeing Havana,,back to Mexico)

 朝10時出発(9時のはずだったがやはりバスが遅れた)でハバナ市内観光ツアーへ出発。一日しかないので、土地カンがまるでないハバナを効率的に見るにはツアーに参加した方がいいと考えたのだ。
 まずバスが向かったのはハバナの新市街。旧市街に比べて近代的なビルが立ち並び、都市機能も集中している。バスはまず革命広場で止まった。ここの広場には省庁などのビルが面しているが、その中でもひときわ目立つのはキューバ革命の英雄チェ・ゲバラの大きなネオンがある内務省のビル。よく絵葉書にもなっているビルで、どう見ても団地風の作りなので「ゲバラ団地」と勝手に呼んでいたが、実は違ったのね。そしてその反対には国防省のビル。社会主義国の軍の中枢なんて観光客が近づけないと思っていたら、普通のビルだった。渋谷のNHKの方がよほど大きいぞ、しっかりしろ。広場では写真などを撮っていたが、10分しか無いので急いでバスに戻る。ツアーは忙しいなあ。
 次にバスは旧市街の旧国会議事堂に。ホワイトハウスのような白いドームが目立つ。やはり時間がないので外から写真を撮るだけだが、出発する段になっても久美子が戻ってこない。心配になってバスの外に出て待っていたら、走って戻ってきた。土産物屋でゲバラのTシャツを見ていたら遅くなったらしい。バカタレ、10分しかないのに店に入るな。
 次にバスはモーロ要塞をかすめ、アルマス広場の近くで止まった。ここからはツアーガイドが歩いて案内するという。16世紀初頭、この辺からスペインによるハバナ建設が始まった。アルマス広場には市立博物館が面しており、その前の道だけ石畳ならぬ木畳の道になっている。この市立博物館はかつてスペイン総督官邸として使われていて、総督が安眠できるように馬車が通ってもうるさくない木の道にしたそうな。
 アルマス広場からはカテドラルまでを歩いたが、みんな土産物屋に夢中でガイドの案内を全く聞かない。何度もガイドとはぐれながらカテドラルへ着いた。やはりここでも写真を撮るだけで、あとは土産を買う。私はゲバラの絵とキューバ国旗が入った帽子、久美子はゲバラのチビTシャツを買った。
 ツアーは最後に一軒のバーに入った。8人のうち3人が名物のカクテル「モヒート」を飲んだが、一杯3ドルといい値段だった。さて、ホテルへ帰るならバスで送るが、ここで解散でもいいという。芸人ホリグチ氏がホテルのフロントで聞いたお薦めのレストランが近くにあるというので、バスには乗らずにそこへ向かう。
 レストランの名はラ・ボデギータ・デル・メディオ。通りに面した一階部分がバーになっており、その奥と2階がレストランだ。歴史は古く、ヘミングウェーも常連だったという。店の内部にはくまなく落書きがされており、独特の雰囲気をかもしだしている。私はひき肉のニンニク炒めを食べた。料理は高かったが、バンドの演奏も今までで一番上手、贅沢な昼食となった。
 昼食の後はホテルまで歩いて帰る。途中に「革命博物館」なるものがあり、カストロやゲバラらがメキシコからキューバに密航した時に使ったヨット「グランマ号」を中心にT34型戦車や戦闘機、ミサイルなどが展示されている。ぜひ中に入って写真を撮りたかったが、入場料が3ドルのうえ、写真を撮るのにもう3ドル払えと言う。残念だがあきらめ、表に置いてある戦車の写真で我慢する。
 ホテルに帰ると、6階にあるプールサイドで麻雀が始まった。私は遅れていったのだが、みんなと一緒に見なれぬ日本人女性がいる。鈴木沙里奈似の彼女の名前は栗ちゃん、一人でキューバへやってきて、今夜友達と合流するらしい。彼女は興味深そうに麻雀を見ていた。6階のプールサイドからはハバナ市街が見下ろせ、葉巻を吸いながら麻雀をしていると気持ちがいい。残念ながら勝てなかったが。
 部屋に戻ってくつろいでいると、芸人ホリグチ氏が面白いことをしてしまった。連続の写真に収めたので、特別にホリグチ氏のページを作成。ぜひご覧あれ。

芸人ホリグチ氏の一日

 さて、夕食は外に食べにでるのが面倒くさいので、ホテルのレストランで済ませる。私を含め、何人かが1ドルのミックスサラダを注文したが、出てきたのは千切りキャベツが少々にひなびたトマトが二きれのっただけの、メニューの写真とはかけ離れたものだった。エヅレ団長が文句を言ったが、ウェイターは仕方がないじゃないか、という。次のメインデッシュのためにタバスコとコショウを注文したら、どっちもないという。どういうレストランじゃい。しかも、最後にはウェイターがやってきて、「どうだ、美味かっただろう」などどいう。いいなあ、キューバ人、神経太くて。日本の小市民からすればある意味羨ましい。
 明日ホテルに迎えが来るのは午前4時。これは中途半端に寝るよりも起きていた方がいいだろう、ということになり、一番大きな部屋で麻雀と同時に栗ちゃんが買ってきたドミノが始まった。まるでモグリのカジノのような雰囲気だ。

 眠さに負けて寝てしまう人もいたが、そんなこんなで午前4時になった。みんなでロビーに降り、迎えに来たバスに乗る。その時、ホテルの人がバスにやってきて、タオルが足りないという。またかい。今回はまだベッドメーキングが入っていないので、タオルがまだ部屋にあるはずだ。何人か部屋に戻って調べたら、ある部屋に3枚タオルがあった。これで誤解が晴れ、無事バスは出発した。
 バスは午前5時ごろに空港に到着。帰りの飛行機は混んでいるらしく、チェックインカウンターは長蛇の列となっていた。チェックインした後は出国の手続きだが、私が並んだ列の係官がメチャクチャ態度が悪かった。肩肘を突き、目が合っても動こうとしない。4、5秒たって、ようやくふてくされた態度でパスポートを受け取りスタンプなどを押していた。少し考えれば、自分の態度一つでキューバに対するイメージが変わってしまうことがわかるだろうに。終わり良ければすべて良し、という場合もあるのだぞ。
 飛行機は午前7時発。ただし、席に座ると同時に寝たので、離陸の瞬間はよく覚えていない。機内食(オムレツ、行きよりいい)で一回起こされたが、あとはメキシコに着くまで寝っぱなしだった。
 そして飛行機は無事メキシコシティ着。いやー、楽しいキューバ旅行だった。願わくば、ハバナでもう少しゆっくりしたかった。みんなもぜひまた行きたい、と言っていた。アミーゴまでは行き同様タクシーで行ったが、空港で捕まえたタクシーがメーターを細工してあるのか、料金が上がるのが異常に早い。途中で降り、流しのタクシーに乗りかえる。
 午前10時すぎ、アミーゴに到着。個室は埋まっていたので久美子とはバラバラの部屋となった。そしてバラデロで仕入れた闇葉巻をみんなで分けた。エリックにも近々送る予定。喜んでくれれば良いが。そしてアミーゴには久美子のお母さんからの救援物資が届いていた。濡れ煎餅やお菓子などだ。おお、お義母さん、ありがとうございます。
 飛行機の中で少し寝ただけなので、アミーゴに着いたらバタンキューかと思ったら、そんなに眠くない。たまっていた日記を付けなければならないので、早速パソコンを立ちあげて作業を開始する。何しろまるまる1週間分だから、2日はかかる大仕事だ。そして夕食は久々にタコス。メキシコに戻ったって感じだなあ。

2日間の走行距離     0キロ(計16333.8キロ)

出費             30$ 市内ツアー参加費
                 4$ ゲバラ帽子
              10.5$ コーヒー、自分用葉巻
                30$ 昼食(30日)
                 4$ 絵葉書
                 1$ キューバペソコインのセット
                10$ 夕食(30日)
               1.5$ アイス
              1.25$ カギケース
                40$ 出国税
                18N$ タクシー
              17.8$ 闇葉巻
                50N$ カップ麺、卵など
                12N$ 昼食(31日、トルタス)
                24N$ 夕食(31日、タコス)
計           150.05$
             104N$

宿泊           Horizontes Hotels Deauville(30日)
             ペンションアミーゴ(31日)

「久美子の言わせて!」
 どうやらきゃつらはムチャチャと遊びたかったらしい。賢い2人はGETしたようだ。さすが!でもはした金じゃ愛は買えません。大金だと買えちゃうかも。愛のないせいこう禁止!
キューバ最後の夜も麻雀をつまむ。もっとキューバにいたいよー。またみんなできたいなー。とっても楽しかった。
アミーゴ到着。ほんとキューバ楽しかった。大勢で行くといろんなことがあって楽しいな。キューバ組のあやしいノリに、みんなついて来れない様子。みんな自分を開放してしまったからなぁ。日本から荷物が届いた。うれしいー。日本食。ぬれせん。ひゃーっひゃっひゃっ。食べまくるぞー。