コラム

グアテマラ邦人リンチ事件の真相(2000年5月12日)

 普段はアホばっかり書いているが、たまには真面目な事を書こうと思う。

 グアテマラで先日起きた邦人旅行者リンチ事件については、皆様の記憶にも新しいところだと思う。グアテマラこそ出国していたものの、当時まだ中米にいた私のもとには「大丈夫か」「中米のような野蛮な所は早く脱出しろ」というようなメールを多数いただいた。私はこの事件について、エクアドルの日本大使館にあった読売新聞で詳しい記事を読んだ。見出しは「秘境ツアーに落とし穴」。内容はいかにグアテマラという国が危険なところか、そしてそのような所にツアーで行くべきで無いか、というようなことが「その筋の知識人」のコメントとして載っている。海外にいる身なので、他の新聞やテレビがどのように伝えているか分からない。しかし寄せられたメールを読むと、実に多くの人がグアテマラという国について誤解しているようなので、この事件については大変気になっていた。
 そんな時、エクアドルの安宿「スクレ」で、その事件の現場に居合わせた猪飼直之さんに会った。彼とはメキシコシティの「ペンション・アミーゴ」、そしてグアテマラの「レフヒオ」でも会っていたので、彼があの現場にいたとは正直驚いた。そして彼から詳しい話を聞くと、事件の真相は報道されているものとだいぶ違っていた。これは詳しく伝えねばならないと思い、ここに記述する次第である。

 まずは、日本でおそらく報じられている内容から。(あるいは続報が出たにもかかわらず、多くの人が信じている内容)
 2000年4月29日、グアテマラのトドス・サントス・クチュマタンという地方の村で、邦人団体旅行者が暴徒と化した先住民の群衆に襲われ、邦人男性1名及びグアテマラ人バス運転手1名が死亡、数名が負傷した。村には「子どもをさらいに来る団体があるらしい」という噂が流れており、団体、とくに外国人に対する警戒心が高まっていた。そこに日本人の団体ツアー客が訪れ、先住民にカメラを向けたのがきっかけとなり、団体ツアー客が「誘拐団」として誤認され、リンチにあった。先住民の間では「写真を撮られると魂を抜かれる」という迷信がいまだに信じられており、カメラを向けられることに対して嫌悪感を覚える傾向が強い。また、内戦中に虐殺があったことなどから、軍や警察に対する不信感が強く、犯罪者を自分たちで私刑にする風習がある。ちなみに昨年一年間では71人がこの私刑により死亡している。

 大体、このような内容だと思う。次は、猪飼さんから聞いた話。(左の写真は事件を伝える現地の新聞)
 猪飼さんはその村で、被害者や他の旅行者が警察に誘導されて避難した先のホテル「カサ・ファミリア」に宿泊していた。事件当時は最初の現場となったメルカド(市場)と、次にバスが襲われたパルケ(公園)の中間くらいにいた。一緒にいた旅行者が「市場で子どもがさらわれたらしく、人々が興奮している」という情報を聞いたので、その場にいたグアテマラ人の男性などに話を聞いていたそうだ。そうこうしているうちに団体ツアーの現地人ガイドが警察へ行こうとして先住民数名に捕まり、リンチにあっているのを目撃した。そして先住民女性の「危険なので逃げたほうがいい」というアドバイスに従い、ホテルに避難した。以下の内容は最初の被害者となった「おじいさん」、その他避難してきた団体/個人旅行者、そして猪飼さんとともにホテルに避難し、その後得意なスペイン語で事件の真相を取材した元JICA職員の女性、その他警察官などから、猪飼さん自身が直接聞いたものである。

 事件当時、村には24人の日本人がいた。内訳はまず、西遊旅行社主催のツアー客が17人。この団体は2台のバスに分乗し、それぞれに邦人ガイドが1名、グアテマラ人ガイド1名、グアテマラ人バス運転手1名がついていた。ガイドを含むと、ツアーの邦人は10人と9人という二つのグループに分かれていたことになる。これで19人。あとは個人旅行者が5人。うち1人は警察によるパスポートや名簿のチェックを受けていないので、発表されている数字には入っていない。発表されている数字はそれ以外の4人(猪飼さんはこの中に入っている)を含め、23人となっているはずである。
 その日は土曜日。村では市が開かれ、近隣から行商をしに多くの先住民、そして彼らの色鮮やかな民族衣装を目当てに観光客が集まっていた。事件発生当時は午前中で、ツアーは自由時間だった。彼らは数人ずつに分かれて市場を見たり、お茶をしていたが、出発時間が近いので二つのグループのうちの大きい方、10人の方はガイドの呼びかけに応じ、その半数以上が公園の前で待機していたバスに戻っていた。

 その時、市場で事件は起こった。最初の被害者は小さい方、9人のグループの邦人ガイドの女性と、そのグループに属するおじいさん。彼はガイドの近くで買物をしており、女性はガイドなので、この2人は写真を撮っていない。カメラを向けたことがきっかけというのは誤りである。この2人が襲われたきっかけに関しては諸説があるが、地元の新聞は「自分の子どもがさらわれた」と市場にいた先住民の女性2人が叫び、その怒りの矛先がこの2人に向けられた、と報じている。おじいさんは、それまでににこやかに商談していた店の人がいきなり態度を変えて殴りかかってきたと言っている。
 トドスからバスで約3時間のところにある、その地方の中心都市ウエウエテナンゴ周辺では、臓器売買を目的とした小児誘拐事件が発生しており、これが先住民の間では「悪魔崇拝教団が生贄の子供を狙っている」と受け止められていたらしい。子供がさらわれたと主張した女性2人は確かにその時、自分の子供の所在がつかめなかった(後で子供の無事は確認された)。そこでパニックを起こし、騒ぎ立てた可能性が強い。
 死亡した男性は、女性ガイドとおじいさんの近くにいた。彼がカメラを向けたことによって殺害されたかのように語られているが、彼はその時カメラを出していない。実際、彼の遺体とともにカメラケースに入ったままのカメラがあった。確かに彼は事件発生前、先住民の写真を撮っていたが、海外留学経験もあり、年に数回の海外旅行が楽しみだったという彼は現地の習慣を重んじるタイプで、英語ではあるものの先住民と話をし、了解を得てから写真を撮っていた。この事は猪飼さんの友人の個人旅行者2人が証言している。ちなみに猪飼さんも事件前、殺された男性同様に先住民の写真を撮っている。その写真のうち、2点をこのページで紹介する。全部をお見せできないのが残念だが、どれも実にいい表情で撮れている。猪飼さんはこれらの写真の撮影に際し、何の問題にも遭遇していない。
 殺された男性は近くにいた2人の様子がおかしいので近寄っていった。ガイドの女性は「危ないから来ないで下さい」と彼に叫んだが、彼女らを救おうとした正義感からだろうか、彼は側に行き、そしてコントロールを失った先住民に囲まれ、殺害された。撲殺と報じられているが、個人旅行者の1人はこの現場の目の前のホテルの部屋から、夕方まで放置された男性の遺体を目撃した。彼によれば、男性の顔は鋭利な刃物で切られたように大出血していたという。おそらくマチェット(道具としても広く使われている蛮刀)のようなもので切りつけられたのではないだろうか。男性の最後の言葉は「何で殴られたんだろう」だったという。

 邦人女性ガイド、おじいさん、殺された男性の3人の次(あるいはほぼ同時)に先住民が狙ったのは、公園前のバスで待機していた10人の方のグループである。彼らの求めていたのは「近くにいるはずの仲間のグループ」であった。彼らの目には、バスに乗っているグル−プが子供をさらい、今まさに逃げようとしているように見えたのだろう。彼らが「団体」を狙ったという裏づけとして、周辺には個人旅行者やツアー客の一部もいたが、先住民は目もくれていない。
 果たして、公園前のバスは先住民に囲まれた。市場からそこまでの途中には9人のグループのバスも停まっていたが、こちらにはツアー客が全く乗っていなかったために素通りされた。先住民は公園前のバスの運転手に、隠している子供を出すよう要求した。運転手は子供などいないと主張したが、襲いかかられ、倒れたところにガソリンをまかれて火を放たれた。運転手が焼殺されるのと前後して、バスにいたグアテマラ人ガイドが近くの警察に助けを求めに行った。しかし彼も捕まり、引きずられ、リンチされた。その様子を猪飼さんは実際に目撃した訳である。また、先住民はバスに対して投石を行った。始めは小さい石だったが、やがて大きな石が窓を割り、中にいたツアー客は破片から身を守るために衣服を頭まで被った。

 その後、ようやく警察が催涙ガスを用いて事態を収拾し、死亡した男性を除いた市場の2人やその他ツアー客、個人旅行者(欧米人を含む)を避難場所のホテル「カサ・ファミリア」に誘導した。同所の庭は四方を壁やがけに囲まれており、隣が市長宅ということもあって避難場所に選ばれたと推測される。前頭部に傷を負ったおじいさんは、看護婦だという欧米人の女性旅行者2人に応急手当をしてもらった。
 続々と避難者が到着する中、1人の先住民の少年が泣きながらホテルにやってきて、2名の死者が出たことを伝えた。ホテルは先住民が運営しており、当時その家族や従業員、近所の人と思われる先住民が多数いたが、少年の話を聞いた瞬間彼らは泣き出し、騒然となった。先住民の女性1人は、泣きながらおじいさんを抱きしめたという。
 その後警察が避難者の数と手当てを受けている人数を合わせ、邦人が一人足りないのを確認、パスポートや名簿をチェックして死亡した男性を特定した。彼も9人の方のグループに属するが、そのグループの邦人ガイドは上記のように被害にあっており、10人のグループのガイドの方がスペイン語が達者なことから、彼女が警察官に付き添われて身元を確認にいった。しかし遺体の損傷がひどく、男性が首から下げていた「西遊旅行社」と入ったボールペンを見て、ツアー客の一人であることが確認できたという。
 避難者はウエウエテナンゴから応援に来た警察と、おそらく公安と同じような役目を果たす中央の別の調査員、そして国連の職員の事情徴収が終わる夕方頃までホテルにいた。その間、同胞の起こした事件に対して残念に思うホテルの先住民は、気を静める効果があるという薬草を煎じたお茶や食事、休憩するための部屋を避難者に提供した。

 事情徴収が終わったあと、一部の個人旅行者を除き、猪飼さんを含む邦人は警察の車両に乗せられてウエウエテナンゴに向かった。猪飼さんは警察のピックアップの荷台に乗せられていたので途中で民間のバスに乗り換えたが、全員無事に到着した。
 次の朝、猪飼さんがツアー客の宿泊しているホテルを訪れると、彼らは国際電話で自分の無事や事件の事を家族などに伝えていた。そして彼らは日本で「写真がきっかけ」と報じられているのを知り、真実がいつ語られるのかと心配していたという。
  ツアー客の約半数は事件直後に日本に帰国し、残りの半数はそのまま旅行を続けたという。
 猪飼さんはその後、アンティグアに戻った。彼の元には大手マスコミから取材の申し込みがあったが、彼らは「いかにグアテマラが危ない国か」というコメントを求めているように思え、拒否した。

 目撃者の証言を得るのが難しく、捜査は難航するかに思われたが、最新の地元の新聞は警察当局が主犯格14名の容疑者を特定した、と報じている。この中には子供がいないことでパニックに陥り、最初に「叫んだ」とされる女性2人も含まれている。観光大国グアテマラの警察当局も今回の事件を重く見て、威信にかけて捜査しているようだ。

 以上が猪飼さんの語った事件の全容である。
 
 猪飼さんがトドスを訪れたのは、この時が2回目だった。前回訪れた時は全く危険は感じず、夜も問題なく出歩け、彼がグアテマラの中で最も気に入った場所だという。そして今もそれは変わらず、居合わせた彼以外の個人旅行者のほとんども、もう1回訪れたいと語っているという。確かに村はツアー客が訪れるような観光名所ではないが、個人旅行者の間では口コミでその良さが語られ、ある種「バックパッカーの聖地」的な場所であった。実際観光客の落とす金で村は潤い、新しくてきれいな建物が目だつと猪飼さんはいう。白人女性がスペイン語学校を開き、その生徒も問題なくホームステイしており、特に外国人に対して警戒心が強い村とは言いにくい。「地球の歩き方」にも2ページにわたって紹介されており、ツアー客の1人は「トドスに行くというからこのツアーを選んだ」といっている。この村に長くホームステイし、スペイン語を学んだ私の友人のアメリカ人リーさんも、この村での生活が素晴らしかったといい、事件については「ただ信じられない」と語っている。殺害された男性のカメラは遺体とともに残っており、グアテマラシティなどの大都市で横行しているような窃盗の類がこの村では少ないことを示している。

 猪飼さん、私、そしてグアテマラをよく知る旅行者たちが恐れているのは、人々のグアテマラという国に対する偏見である。確かに首都グアテマラシティは治安が悪い。スリ、ひったくり、強盗の類は何時でも起こりうるし、まれに地方で賊が観光客を襲うということもあるが、だからといって今回のような事件が普段起きている訳ではない。一部では「私刑が日常化している」と報じられているが、昨年の犠牲者71名というのはあくまでもグアテマラ全土の数字である。しかもその標的は現地の犯罪者に対してであって、観光客がその標的になることは考えにくい。また、報道では数年前にこの村で白人女性が写真を撮ろうとして殺害されたことになっているが、村人はこのような事件は村で初めてだと猪飼さんに語った。誰が今回の事態を予測できただろうか。

 グアテマラは観光大国である。中米ではコスタリカと並んで旅行者に人気が高い。中でも人気が高いのは古都アンティグアで、ここはあきれるほどの数の旅行者で賑わっているが、彼らの多くはマヤ遺跡のティカル、温泉のケツアルテナンゴ、湖のパナハッチェルなどグアテマラ全土の観光名所に散らばっていく。個人、ツアーを問わず旅行者が世界中の国を訪れる中、グアテマラが特に危険な国とは言いがたい。読売の記事は、現地の日本大使館は私刑の犠牲者が多数出ているという情報を事前に得ていたかのように伝えている。だとして、日本大使館は渡航自粛や注意喚起を発表しただろうか。私がこの旅で出会った多くの旅行者の間でも、グアテマラにおける強盗などの話は聞くが、外国人が私刑の対象にされるという話は全く聞いたことが無い。かわりに私を含め、みんなが口をそろえて言うのはグアテマラという国の美しさであり、もう1度訪れる事を望んでいる、という事である。猪飼さんも私も思うのは、今回の事件は起こってはならない偶然が重なった全くの悲劇であり、憎むべきは先住民でも、ツアー客でも、旅行社でも、はたまたグアテマラという国でも無いということなのである。

 西遊旅行社の責任を問う声もある。同社は「今回のツアーに関して事前に危険は察知していなかった」という。「危険」の種類にもよるが、私刑の対象になるということなら、その通りだと思う。例えばツアーがグアテマラシティの旧市街を訪れたり、アンティグアの十字架の丘に歩いて登り、強盗に襲われて数名が死亡、というのであれば、責任が問われるのは分かる。しかし、いくら旅行業界のプロといえど、誰が今回のような事態を予測できただろうか。昨年71名が私刑の犠牲になっているとしても、外国人観光客がその対象になる可能性は極めて低く、これを予想してツアーを催行しないというのであれば、バスは事故が恐くて利用できないとか、飛行機はいつ落ちてもおかしくないのでやめよう、などどいう次元になってしまう。
 また、ツアー客が先住民を刺激しないよう、西遊旅行社がもっと配慮すべきだったという意見もあるが、猪飼さんの話を聞く限り、彼らが特に先住民を刺激するような行動を取ったとは言えない。また、いわゆる「秘境ツアー(この村を秘境と呼ぶ事に関しても抵抗があるのだが)」に参加する客はリピーターが多く、ある意味海外慣れをしていてマナーが良い事はバックパッカーの間でも有名な話である。被害にあったのが団体ツアーなので、パリを訪れてブランド品を買いあさる女性ツアー客、東南アジアを訪れて「春」を買いあさる男性ツアー客など、ツアー客のモラルの低さを今回の事件を合わせて語られた方もいた。確かに邦人ツアー客のモラルの低さはしばしば問題になるが、今回の事件に関しては猪飼さんの伝えるようにモラルとは全く無関係であり、この二つが一緒に語られることは誠に残念である。

 猪飼さんは今回の事件が正しく伝えられることを望み、貴重な時間をさいて私の前で語ってくれた。少なくても私のHPを見ている方には真実を認識し、グアテマラという国に対して偏見を抱いてもらわないようにと、今回このページを作成した次第である。