旅の日記

再出発〜チリ・サンチャゴ編(2001年4月14〜16日)

2001年4月14日(土) 3度目の出発(The third departure)

 いよいよ3度目の出発である。一時帰国は2度目だったのだが、今回も酒で散財したなあ。海外ではケチった生活をしているのに、日本に帰ってくるとどうしてもサラリーマン時代の金銭感覚に戻ってしまうのだ。しかしケチって酒を飲んでも仕方ないので、使うべきときには使うべし、ということにしておこう。
 次に日本に帰るのはいつになるかわからないが、今度は一年は帰らないつもりでがんばろう・・・。

 14日夕方、ロス行きのマレーシア航空機に乗って成田を後にする。約9時間のフライトだが、隣に座った中国系マレーシア人のお婆ちゃんが強烈だった。ひんぱんにトイレに立つのだが、機内はすでに消灯され、前の席の人はシートをリクライニングして眠っている。すると、お婆ちゃんはすごい剣幕で前の人を叩き起こし、「席を立ちにくい」と、シートを元の位置に戻させるのだ。それで前の人がしぶしぶシートを元に戻そうが、通路側に座る私が席を立って道を譲ろうが、礼は一切なし。スチュワーデスとは機内食のことやアメリカ入国審査用紙のことでモメにモメ、「次は何をやらかしてくれるんだろう」と期待しているうちに、あっという間にロスに着いてしまった。結果的にこのお婆ちゃんの隣で良かった気がする・・・。

 ロスに無事到着したものの、次のメキシコシティ行きのフライトまでは約5時間もある。時刻は昼過ぎだが、私の体内時計では深夜〜早朝。おもいっきり眠い。しかし全財産を抱えて空港のベンチで眠るほど私は肝っ玉が大きいわけではないので、コーヒーを飲み、大沢在昌の小説を読みながらがんばって起き続ける。
 ようやくボーディングタイムになり、メキシコシティ行きメヒカーナ航空機のシートに身をゆだねた瞬間、意識を失う。機内食が出たのも気付かないほど深い眠りだった。

 メキシコシティには現地時間で午後11時過ぎに到着した。税関で緊張する。メキシコの税関には緑と赤の信号機があり、通過する際、下についているスイッチを押さねばならない。緑が点くか赤が点くかはまったくのランダムだそうだが、赤が点いた場合は荷物検査が待っているのだ。 今回、私は「ペンションアミーゴ」の連中に頼まれた大量の日本食材ならびに大量のバイク部品を持っている。法律には引っ掛からないだろうが、調べられると面倒だ・・・。祈るような気持ちでスイッチを押す。緑。無事、通過する。
 空港にはタケバ氏、唯土、どいうら氏、赤瀬氏が迎えにきてくれた。タケバ氏のワーゲン号で深夜のメキシコシティを「アミーゴ」に向かう。

 4度目の「アミーゴ」到着は夜12時近く。まずは日本から運んできたブツを配布する。浜崎あゆみのベストアルバム、プロレス雑誌、デジカメ、テント、そして大量の日本食、おかし・・・「アミーゴ」に届ける荷物だけで12キロはあった。まるで運び屋である。しかし「アミーゴ」と日本を往復する者は運び屋になる宿命にあるのだ。日本に帰る者あればお土産などを持っていってもらい、日本から来る者あれば何か買ってきてもらう。こりゃ「アミーゴ」だけでなく、長期旅行者の一般常識である。成田の税関で「人から預かったものはありますか?」とよく聞かれるが、「あるに決まってんだろ!」と、つい言いたくなるんだよな・・・。

 お気に入りの「アミーゴ」だが、今回は1泊だけしかできない。軽く酒を飲んで寝る。オーナーのパスさんのはからいで、この1泊分はタダということになった・・・グラシアス。


本日の走行距離           0キロ(計39271.4キロ

出費                 1.34$    コーヒー(ロス空港)
   4.60$  昼食(ハンバーガー、ロス空港)
   15N$  ビール(アミーゴ)
計        5.94$(約713
         15N$(1ドル=約9.5メキシコペソ、約190
宿泊         ペンションアミーゴ


2001年4月15、16日(日、月) サンチャゴでクリスと再会する(Meeting Chris in Santiago)

 15日朝、ふたたびタケバ氏のワーゲン・バンでメキシコシティの国際空港に向かう。昨夜の4人に加え、ハーレーで北米を回っている女性ライダー、ミッキーも見送りに来てくれた。この人、かなりの天然キャラで、日本ツーリング界(?)に旋風を巻き起こすと私は勝手に考えている。
  それにしても次はいつ、「アミーゴ」に戻れるだろうか・・・南米からヨーロッパに渡ると、いよいよメキシコは遠くなる。まあ、メキシコに戻れる日が来ても、そのころには仲のよい連中はみんな日本に帰っているだろう・・・。

 昼過ぎ、コパ航空でパナマに向かう。パナマシティでトランジットし、最終目的地チリのサンチャゴに到着したのは16日の午前2時半。サンチャゴの空港は24時間営業なので、安いチケットの便はとんでもない時間に発着となるのだ。朝3時や4時に市内に行ったって、宿は入れてくれないだろう。朝が来るまで、人気のない空港で待つ。はじめは本を読んでいたが、途中であまりにも眠くなってベンチで寝てしまう。ロスの空港よりは安全な雰囲気なのだ。
 乗合のコレクティーボに乗り、サンチャゴの中心地にある安宿「ヌエボ」に到着したのは午前9時ごろ。空港で眠ったのだが、それでも眠気はとれない。宿のベッドで改めて寝る。

 結局、昼食を食べに外に出た以外は16日はずっと寝ていた。そして夜、ドアをノックする音で目が覚める。時計を見ると午後11時。ようやく来たか。
 ドアを開けると、あの懐かしい顔が。昨年の11月、牛次郎の旅を終えてバイクの旅を再開した日にエクアドルで出会ったイギリス人ライダー、クリスである。彼はその後、愛車のBMWのサスが壊れたり、ドライブシャフトが折れたりとトラブルに見まわれながら、私より約2ヵ月遅れでウシュアイアに到着。今日、ようやくサンチャゴまで北上して戻ってきたのだ。本来なら、私はサンチャゴに着いてすぐにバイクを預けてあるビーニャ・デル・マルの汐見荘に行きたいところなのだが、彼がサンチャゴに来るというので、ここで待ち合わせをしていたのだ。
 クリスが何も食べていないというので、彼の遅めの夕食に付き合う。場末のバーのようなところしか開いていなかったが、ビールを飲みながらお互いの旅のことや、ヨーロッパへのバイクの輸送手段について話し合った。彼によると、1ヵ月前までスイスカーゴ(スイスエアーと同じマークなので、同じ系列のカーゴ会社なのだろう)を使えばヨーロッパまで貨物飛行機で安く、早くバイクを送れたのだが、最近は同社もバイクなどの「危険物」をチリ国外へ持ち出せなくなったそうで、今では唯一それができるのがラン・チリ(チリの航空会社)のカーゴだけだという。本当だとすれば、ほんの1ヵ月違いで面倒なことになったわけである。・・・とにかく、1ヵ月前に相談したスイスカーゴの担当者に、また電話してみなければ・・・。


2日間の走行距離           0キロ(計39271.4キロ)

出費                  2800P   朝食(サンドイッチ、サンチャゴ空港)
   3200P  空港→市内コレクティーボ
   1290P 昼食(チキン)
530P りんご、パン
   1200P  生ビール
計        9020P(1ドル=約600チリペソ、1800
宿泊         Hotel Nuevo